家族愛しか向けてくれない初恋の人と同棲します

佐倉響

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エピローグ(1)

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 インターホンの音に気づき、急いで玄関に向かう。

 戸を開けると一度だけちらりと見たことのある男性がいた。しかし名前は知らない。樹さんは何も言っていなかったし、約束はしていないのだろう。

 男性は私が出ると、人懐っこい笑みを浮かべた。

「琴子ちゃん、こんにちは。樹いる?」
「はい、いますよ」
「これお土産。この前、新婚旅行で買ったんだ。二人で食べて」
「ありがとうございます」

 紙袋を受け取り、ひとまず居間に案内する。

 樹さんは台所にいるので、そっと声をかけに行く。

「樹さん、あの……」
「どうした、琴子」
「さっき樹さんのお知り合い? の方が来て新婚旅行のお土産をもらったんです。それで今……」
「樹~! 来たぞ~!」

 男性が高らかに宣言する声が台所まで響く。

 樹さんの口元がひくりと動いた。

「うん、よく分かった」
「どなたなんです?」
「私が働いている会社の社長をしている東城剛だ」
「しゃ、しゃちょ」

 社長?

「見えないだろう」

 何とも言えない顔をしていると、私の思っていることが分かったのだろう。

 でもそうだ。樹さんは社長秘書をしているって言っていたから、社長と仲が良くてもおかしくない。

 それにしても親しげだ。東城さんだけを見れば。

「悪い人間ではないが、少し面倒な所もある。琴子は顔を合わせなくていい」
「い、いいんですか? 挨拶した方がいいかと思うんですけど。お土産ももらってしまいましたし」
「そうだよ、社長に対して酷いわ樹さん」

 聞き慣れない高くて野太い声がする。

 背後を見ると、東城さんがいた。

「俺のこと放っておいて、いつまでイチャついて……いだだだだ」

 いつの間にか樹さんは東城さんのそばに近寄って頭を鷲掴み始めた。

「時々、本当に私と同じ年齢なのか疑いたくなる」
「おいおい、高校からずっと一緒の友達に何て酷……あぁああごめんなさいごめんなさい。俺が新婚旅行で仕事大変だった上にせっかくの休日に俺が来て不機嫌なのは分かったからぁああ」
「分かっていてこれなのか。……つまりわざとなんだな」

 更に力が加えられたのか、すごい悲鳴が屋内に響く。

 社長に対してこんなことしていいのかな、と不安になるけど友人ならいいのだろう。たぶん。






 台所でいつまでも会話するわけにいかず、とりあえず二人には居間でお話してもらうことになった。

 少し見ていれば東城さんが軽口を叩くと、樹さんが何かしら反応するのが常なのだと分かる。

 小さい頃、樹さんは私としか遊んでいなかったから同年代の友達はいないのだろうかと思ったこともあったが杞憂だったらしい。樹さんとはだいぶ性格が違うからこそ、友人になれたのだろう。

 休みの前日に買っておいた団子と緑茶をお盆に乗せて居間に行く。

「お茶とお菓子です」

 樹さんと東城さんはテーブルを挟んで向かい合って話をしていた。

 樹さんの隣に座ってお茶とお菓子を目の前に置く。

「あっ悪いね」

 新婚旅行をしたばかりということもあるのか、東城さんはすごく嬉しそうににこにこしている。

「琴子ちゃん、樹は家だとどんな感じ?」
「……す、すごく、優しいですよ」
「やさしい」

 控えめに言い過ぎただろうか。東城さんは私の言葉を聞くと途端、真顔になった。

 やはり友人としては優しいだけの男だと思われるのは嫌かもしれない。

「それに私の話は真剣に聞いてくれるし、ご飯を作るのが上手なのに私のご飯も美味しいって言ってくれて……え、えと、他には」
「い、いいよ……琴子ちゃん。もう、もう大丈夫。お腹いっぱいだから」
「本当に何をしに来たんだ。東城は」
「……俺にその優しさを欠片だけでもいいからくれよぉ」

 しくしくと東城さんはテーブルに突っ伏す。

「樹さんは会社だと厳しいんですか」
「会社以外も厳しい。というかずっと厳しいんだ。鬼なんだよ」
「鬼……?」
「琴子に余計なことを吹き込まないでくれ。自業自得だろう。自分に甘いから私が厳しくせざるを得ないんだ」
「なるほど」

 分からない。

 分からないけど、何となく分かった気分になって頷く。

「うう。せっかく高校時代からの友人を社長秘書にしたのに、どうしてこんなことに。これなら面識のない人間にやってもらった方が優しくしてくれる……」
「それを許さない為に私が社長秘書になるよう、東城の父から言われたんだろう」
「そう、……そうだな。ところで休み明けに確認しないといけない資料が家にあるか? せっかくだから預かって帰る」
「はぁ……分かった。印刷して来よう」

 深々と溜息を吐いて樹さんが自室に向かう。

 居間には私と東城さんだけになった。樹さんから友人の話をあまり聞いたことがなかったから余計に緊張する。

「高校の頃から琴子ちゃんのことはよく聞いてたから、実際にちゃんと会えて嬉しいな」
「樹さん、私のこと話していたんですか」

 高校の頃から……ということは小さい頃に何をしたのか知っているということだろうか。人に聞かれたらまずいことをしていなかったか気になる。

「その様子だと俺のことは話してないな」
「そうですね。会社の社長が友人だってことも今日知りました……」
「だろうなぁ。樹は俺とのことはなかなか話さないだろうから、また会った時に教えようか」

 樹さんが大学を卒業してからずっと同じ会社で働いているということは、東城さんは私が知らない樹さんをたくさん知っているということだ。そんな人から樹さんの話を聞くのはきっと楽しい。

 しかし私はすぐにでも頷きたくなるのを抑えた。

「それは樹さんから聞いてみます。……これからはいっぱい時間があるので」

 まだまだ知らない一面がたくさんある。そういう一面をすぐにでも知りたいという気持ちはあった。だけどそれは、本当に今すぐ知る必要はない。

「そっか。これからはいっぱい時間が……。で、いつ結婚する予定なんだ?」
「えっ」
「――琴子に何を言っているんだ。ほら、資料」

 資料を持った樹さんが居間に戻り、東城さんに手渡す。

「おお、ありがと。そんじゃ帰るな」

 用事が終わったからか、東城さんはすぐに帰って行った。

「騒がしくなってすまない」
「樹さんの友達に会えたので気にしてないですよ」
「……それならいいが。もしもまた来て面倒だと感じたら二階に避難してもいいんだぞ」
「樹さんって東城さんには雑ですよね」
「まあ、そうだな」
「私もちょっとだけでいいので、そういう風に扱ってみて欲しいです」
「私は琴子のお願いはできるだけ叶えてあげたいが、それは……どうなんだろう」

 樹さんは眉間に手を当てる。

 ちょっとおかしなお願いをしていることは承知の上だ。

 そう思うのも、樹さんは私に対して過保護だからである。主に、夜伽。愛されていると実感できるので嫌ではない。

 嫌ではないが、たまには雑に扱われてみたいとも思うのだ。

「たまにでいいです。思い出したらしてくれるだけでいいので」

 樹さんは困惑しながらも、とりあえずは頷いてくれた。

「雑か……」

 真面目に考え始める樹さんに隠れて、ほっと息を吐く。

 東城さんに結婚のことを聞かれたが話題にならずに済んだ。

 恋仲になって半年以上が経つ。付き合う際に求婚のような言葉を贈られたが、まったりと同棲生活が続くだけで結婚をするかどうか改めて話をしたことはなかった。

 それに付き合うようになってから、樹さんは忙しそうだったので聞くに聞けず季節は春。昨日ようやくゆっくりできると零していたので、そろそろ聞いてもいいかもしれない。

 しかし自分からどう切り出せばいいのか。

 結婚しませんか? 結婚したいです?

 うう。想像すると顔が赤くなってしまう。

 だがあまり浮かれるのは良くない。樹さんは一緒に居られるのなら別に結婚しなくてもいいと思っているかもしれないのだ。

 樹さんはまだお仕事が落ち着いたばかりだ。

 やはり、もう少し彼の様子を見てから聞いてみよう。


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