あなたと友達でいられる最後の日がループする

佐倉響

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第一章 あなたと友達でいられる最後の日

後悔

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 今日はあまりついていない日なのかもしれない。スマホのアラームで起きた小春は目を凝らす。スマホの画面には普段投稿しているホワスタから通知が来ていた。ホワスタは写真を共有してコミュニケーションを交わすアプリだ。コメントをすることはほとんどないが、小春は素敵だと思う写真にいいねのボタンを押している。最近は好きな文房具の写真を投稿することが多くて、いいねをもらうことが多くなった。

 そのアカウントにダイレクトメッセージが届いていた。

『はじめまして、いつも投稿見ています』
『haruさん、人のスマホを勝手に使うのは犯罪ですよ』
『ひがみで迷惑なことをするのはやめましょう!』
『謝罪しないんですか? よかったら相談にのりますよ』

 すべて同じ人だ。最後にはトークアプリのQRコードも入っていた。

「何これ」

 起きたばかりの頭を働かせたが、心当たりはない。人のスマホを勝手に使ったことはないし、ひがみで迷惑をかけたこともなかった。具体的に誰に何をしたのか書かれていないメッセージは、スパムメッセージなのだろう。小春はただのいたずらにドキッとしてしまったことが恥ずかしくなる。アカウントの名前は「あ」だった。そのうち削除されているだろう。運が悪かったとメッセージを送ってきたアカウントをブロックした。これでもう来ないはず。

 スマホから手を離して起き上がり、会社へ向かう準備をする。

 小春の勤める会社は文房具メーカーだ。ペンやノート、手帳など、文房具の製造や販売を手がけている。新しい材料やデザインの導入など技術革新にも積極的に行っており、高品質かつ機能的な文房具製品は国内外で広く利用されていた。最近ではオフィス環境向けのソリューションも展開している。小春はその会社で事務員として働き初めて三年目に入っていた。

 会社の服装は自由で、小春は白のレースブラウスにブラウンのカーディガン、黒の花柄デザインのプリーツスカートを着る。桜の花はとうに散ってしまったけれど、ブラウス一枚で歩くにはまだ肌寒かった。顔を洗い、簡単に化粧をした後は家を出るまでのんびりと過ごす。

 家はマンションの三階にあり、間取りはキッチンと居室が一部屋。日当たりがよく、今もカーテンの隙間から甘く光が差していた。家具のほとんどはガーリーな小花柄か淡い緑色で、落ち着いた雰囲気がある。

 水の入ったケトルをコンロに置き、火をつける。スーパーで買った食パンはオーブントースターで焼く。ベーコン二枚は小さなフライパンでゆっくりと弱火で焼けば、脂が溶け出し香ばしい匂いが漂った。好みのカリカリに仕上がった頃にはパンも焼けている。できあがったものを皿に盛り付け、沸騰したケトルをコンロから離す。朝からわざわざコーヒーをドリップするのは日課になっていた。

 上京したばかりの頃はこんなにゆっくりとした朝ではなかった。都会というのをまるで知らず、電車の改札を通ることすら怯えていたし、外を歩く人たちの足が早さに驚いた。

 大学での人付き合いもそうだ。ちょっとでも気を抜けばあっという間についていけなくなるので、取り残されないように追いかけたが、小春はすぐに諦めた。大学にいる間、ずっとこんなことを続けるのかと思うと途方に暮れたのだ。

 諦めてからは案外、気分が楽になりスローライフを送っている。都会にいる友達がほとんどいないので、人付き合いがまったくないからひとりの時間がたっぷりあった。

 朝の時間が緩やかにすぎていく。起きた時の嫌な気持ちをすっかり忘れ、いつもの時間に家を出た。



 朝に見たスパムメッセージはまだいい方だったと思ったのは会社の昼休みが訪れてからのことだった。普段は社食を利用するが、今日は近くのコンビニに向かった。生クリーム専門店とのコラボ商品が発売されるのだ。ミルクメロンパンにミルクが入ったクロワッサン、外がカリカリザクザクのシュークリームもある。気になっていた商品とコーヒーを買い、イートインスペースに入った。窓際のカウンター席に座り、甘いメロンパンを一口食べて浸っていたところに「隣に座ってもいいですか」と声をかけられた。

「えっと」

 小春はつい視線を泳がせる。わざわざ隣に座らなくても、他にも空いている席はあった。わざわざ隣に座りたがる理由が分からない。これが中年のおじさんであれば、即座に逃げただろう。しかし、相手は歳を重ねていても見た目が美しかった。アッシュグレイのミディアムヘアに人懐こそうな笑みを浮かべている。それなのにどこかアンニュイな雰囲気が漂っていた。小春が思考をさせるのも無理はない。

 こんな美中年が一体どうして隣に座ろうとするのか。

 ぽかんとしていると、その美中年は「あ」と声を上げた。

「そっか、僕の顔は知らなかったか。えっと柊の父の八神衛やがみまもるって言うんだけど」

 決して不審者ではない、と笑みを深める衛を小春はまじまじと見た。

 言われてみれば、そう思えなくもない。アッシュグレイの髪色は柊と一致するし、目元も似ていた。着ているのは色艶のあるグレーのスーツだ。ジャケットとシャツの組み合わせにベストも着用していた。まるで英国紳士のようで、彼が不審者ではないと分かっても困惑する。大企業アルクス製薬の社長だと思えば、何もおかしいことはない。――ここがコンビニのイートインスペースでなければの話だが。

「ど、どうぞ……」

 断ることもできず頷くと、衛は隣に座る。

「大事なお昼休みにごめんね、話があったんだ。古川ふるかわ小春ちゃんで合っているかな」
「合ってます。……話ですか」
「柊のことでね」

 小春の呼吸がぴたりと止まった。目を逸らしそうになるが、衛の目にしっかりと捕らわれて動かせなかった。

「最近、どうかな。柊とは」
「……時々、ご飯を食べたりします」
「付き合ってるのかな」
「いえ、友達です」

 とんでもないと小春は勢いよく首を横に振る。あんまりにも必死で否定したからか、衛はその様子を見て小さく笑い声をもらした。

「そっか、友達」
「はい、友達です」
「柊のことは好き?」
「……友達なので」

 動揺のあまり舌がもつれる。だが、ここで心の内が知られるわけにはいかない。衛からすれば世間話をしているようなノリなのかもしれないが、大企業の面接が始まったかのようだった。

 そんなに緊張しないで、と衛に言われたが小春の表情は強ばったままだ。会話中に食べかけのメロンパンをかじる余裕もない。

「今、僕の妻が入院中でね」
「えっ」
「安心して、妻の早苗さなえは虚弱な体質で病院のお世話になることが多いんだ。それ自体は珍しいことでもないし、僕も柊も大丈夫だ。でもね、何かあったらと考えると今まで通りというわけにもいかない。それに、今回はとても長くてね……」

 さっきまで甘いものを食べていたからだろうか、異様に口の中が乾いていた。

 衛の語り口調は滑らかで落ち着くような声のトーンなのに、小春の心臓がざわざわと波打つ。

「いつ何があってもいいように、後悔しないようにしたいんだ。だから柊にはお見合いをしてもらう。早苗が生きているうちに、柊が結婚するところを見せたいし孫の顔だって見せてあげたい。小春ちゃんには申し訳ないんだけど、ただの友達だとしても柊とはもう会わないで欲しいんだ」

 柊はそれを了承しているのか。いや、彼は何やかんや家に反発するような人ではない。面倒だと感じながらも会社関係のパーティーに出席するし、家業のことを話す柊は楽しそうだった。義理堅い面もある柊なら、見合いを受け入れるだろう。

「分かりました」

 会わないで欲しいと言ったのは衛だが、彼は虚を突かれたような顔をする。

「いいの?」
「元々、もうそんなに会っていませんから。たぶんそのうち、会わなくなっていたと思います。でも明日、ちょうど会う予定があるので、その日を最後にしてもいいですか」
「もちろん、いいよ」

 別れの挨拶くらいはしていいと頷かれて、小春はほっとした。

「小春ちゃんも後悔しないようにね」

 それは一体どういう意味なのか。衛は席を立つと、コンビニを出て行った。

 残された小春は食べかけのメロンを一口食べる。けれどすぐに咀嚼は止まり、俯くことしかできなかった。

 柊と会わないと決めるのはそれほど難しいことではない。彼が御曹司であることは大学の頃から知っていた。話をするようになっても、物珍しさや会話の内容が他にもれることはないという安心感から構ってくれるのだろうと分かっている。

 大学を卒業しても連絡を取り合うようになったのは不思議だったが、頻度は格段に下がっていた。後二年くらいで誘われることもなくなるのかな。そんな風に感じていたから毎回「これが会うのは最後になるかもしれない」と自分に言い聞かせて、いつ別れが来てもいいように心の準備をしていた。

「寂しくなるなぁ」

 楽しみにしていたメロンパンの味が分からない。食感だけが舌に残って、食べにくい。残ったコーヒーを口に含むと苦みだけはしっかりと感じ取れた。



 仕事の帰り道、一人でいたくなくて気づいたら小春は喫茶店に入っていた。大きなスーパーの裏手にひっそりとある店で、店員は店主らしい女性が一人。カウンター席とテーブル席が三つ並んでおり、心が落ち着くようなピアノの音楽が流れていた。

 どこに座ってもいいと言われて、出入り口に近いテーブル席に座る。

 メニュー表は小さなアルバムみたいな形をしていた。めくっていくと写真付きのメニュー表だ。ご飯ものが幾つかあり、ここで食べてしまおうか。家に帰ってもご飯を作ろうという気力が出ない気がした。

 小春はオムハヤシ定食とコーヒーを頼み、しばらくぼんやりとする。何気なくホワスタを見ると、以前喫茶店で撮ったご飯の写真が知っている人からいいねされていた。

 それは大学時代、柊と同じくらい目立っていた戸塚明音だった。彼女は小さい頃、有名な子役で田舎に住んでいた小春ですら知っている。そんな有名人が同じ大学にいるだけでも浮き立つ気持ちになるのに、小春は今まで戸塚から何度かホワスタの投稿をいいねされていた。小春が同じ大学に通っていることを知っているのかどうかは分からない。ただ、一度ボタンをタップしてもらえるだけで応援してもらえているような気がして嬉しかった。

 他の人が投稿した写真を眺めていると、テーブルに注文したオムハヤシ定食が並べられる。礼を言って、スマホのカメラを料理に向けた。ふわふわの玉子でできたオムレツに、コクのありそうなデミグラスソースがかかっている。さらにサラダと味噌汁付きだ。

 小さなシャッター音と共に、スマホに写真が残る。すぐに投稿しかけ、柊から撮った写真をその場でネットにアップするのは危ないから止めろと言われたことを思い出し、スマホを鞄にしまった。
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