1 / 2
一章
プロローグ
しおりを挟む
――その日、氷坂師走は本屋で彼女と出会った。
道脇に積まれていた雪の山はいつのまにか、僕の膝下まで溶けていた。
これだけ溶けているなら自転車でも大丈夫だろうと僕は、家の物置から半年ぶりに自転車をひっぱりだしてきて、たまに道端にあるぐしゃぐしゃのシャーベット状の泥雪を避けながら、最寄りの駅。南郷18丁目駅へ向かっていた。
家から10分足らずで駅の近くまで着き、駅を右手に捉えつつ、僕は信号を右折した。
駅の周りは郊外らしく昭和を思わせるような居酒屋が連なっていて、人通りも多からず少なからずである。
駅の駐輪場はまだ冬だと言うのに沢山の自転車で埋まっていた。
端の自転車を蹴れば、ばたばたとドミノみたいに倒れそうだ。
僕は綺麗に並べられた自転車の列の隅に自転車を止めて、鍵を閉めた。
――まあ、僕が乗っている自転車は親戚からのおさがり物だから、サビも酷くて今にも壊れそうな雰囲気をぷんぷん醸し出しているから、鍵を閉めなくとも僕の自転車を盗む馬鹿はいないだろう。
駅のホームまでの長い階段を降りて、改札を通り大通り宮の沢行きのホームの列に並ぶ。
平日だけあってあまり人は並んで居ない。
そして僕はスマホをジャンパーのポケットから取り出して、Musicアプリを開いた。最近ハマっている。
『J.S.バッハ 管弦楽組曲第2番ロ短調よりバディネリ』
を再生する。
この曲はJ.S.バッハを代表する四つの中の一つだ。
バックグラウンド再生したままホーム画面に戻り、家で調べていたWebサイトを立ち上げる。
出てきたのは僕が長年探し求めていた小説。
『リリとララの協奏曲』
――俗に言うミステリー小説で、主人公のリリとララの周りで次々と起こる事件や事故の謎を解決していく、と言うストーリーだ。
売り上げは10万部で、知名度はさほど高くはない。――だが、僕は半年前にその小説に一目惚れしてしまった。まるで初恋の相手を見つけたみたいに。
浮足でその小説をネットで色々調べているうちに電車がゴゴと激しい騒音をたてながら駅のホームにキィと止まった。
そして僕は誰も降りてこない電車に乗り込む。
いつもどおり電車は進みだした――。
※
―――僕は、札幌駅から歩いて数分の本屋に来ていた。
自動ドアをくぐり抜けてから、入り口付近に陳列された人気文庫の新作小説など、目もくれずにずかずかと足早に僕の求めている小説が並べられている本棚まで向かう。
きょろきょろしながら歩きまわっていると、ようやくミステリー小説のエリアを見つけた。
僕の求めていた本は、人気小説の棚――では無く。
とくに人気の無い小説が並ぶ、あまり人目につかなそうな奥の棚に隠れるように並べられていた。
――僕はその小説の前で立ち止まる。
ずっと探していた小説を目の前にして、全身が身震いするのを感じる。
心臓の鼓動もさっきよりも一段と早く、そして大きくなっていた。
スッとその小説を並べられている本棚から抜き取った。手に取った本のザラザラした表紙の質感を肌で感じた。
ここからは流れ作業だ。レジへ向かい。お金を払う。
そしたらこの本は僕の物となる。
「へへ……」
ふいに嬉しさのあまり笑みがこぼれた。
そして、僕はくるりと向きを変えてレジへと――
――行けなかった。
「……」
瞬きを数回。どうやら、僕の幻覚でも妄想でもなく、ちゃんとした現実のようだ。輪郭もはっきりしている。
――そこには今にも泣きそうなその双眸で俺を見つめてくる――黒髪黒瞳のショーボブヘアの美少女(?)が僕の目の前に立っていた。
足元には黒色の冬用のブーツ。すらりと伸びた足を強調するように包んでいるのは、少しだけ肌が透けて見える黒のタイツ。そして今の季節には似つかわしくない、袖がない黒のワンピース。露出度の高いそのワンピースは肩から肌色の腕が出ている。
――それは、黒ただ一色で表されたものすごく端的な美貌だった。
正直言って彼女は僕の好みではない。けど、世間的には超がつくほど可愛いと思う。……いや、可愛い。
で、その美少女が僕の前で泣きそうになっているのだ。
――てか、ほぼ泣いている。
僕は少し困惑したが、すぐに彼女を見て口を開いた。
「……ど、どうかしました?」
「……いや、その……」
今にも消え入りそうな声音が微かに聞こえた。
ここがもし、ショッピングモールだったとしたら間違いなく、その声は他の音にかき消されていただろう。
彼女は自分の腕で目尻に溜まった涙を拭うと、喉から絞り出すように言う。
「――その本……買うんですか……?」
「え、えぇ。買いますけど」
「………」
僕の言葉を聞いた彼女は顔を曇らせて俯いた。
はて? 僕は彼女が俯いた意味も分からず首を傾げる。
「どうかしたんですか?」
「その……手に持ってる本なんですけど……私も……」
彼女は俯いたまま、おどおどしながら言った。
……もしかして、この本を彼女も買おうとしてたのか? だとしたら、これは中々の修羅場なのでは?
僕はスッと横目で本棚を見た。
予想通り僕が手にしている、『リリとララの協奏曲』は在庫があるはずもなく。この本が置いてあった本棚の横には、また違う本が並べられている。
――むしろ、この本が一冊あるだけでも凄いと言うのに。
僕は困ったように頭を掻きながら言う。
「この本、あなたも買おうとしてたんですか?」
「はぃ……そうです……」
彼女はコクと小さく頷いた。
なるほど、だから僕がこの本を手にしたのを見て涙目だったのか。
……まぁ、買おうとしていた本を先に買われそうなだけで泣くのはどうかと思うが。
「僕も買おうとしてたんですよ」
「――ですよね……」
そう言って彼女は、ぐたりと頭こうべを垂れた。
「――あの……この『リリとララの協奏曲』好きなんですか?」
僕の特に意図も意味もない質問を聞いた彼女は、ハッと目を見開いて――
「好きですッ!! 大好きです!」
叫びとも聞き取れる声が静かな本屋全体に響いた。幸い、僕達は本屋の隅っこにいるので、周りにはお客さんも店員さんも居なかった。
……しかし、僕だって叫んだりしないものの、周りに人がいなければ彼女より大きい声で叫ぶだろう。
「そ、そうなんだ。――でもこの本は僕が買わせて貰うよ」
僕はハッキリ言った。
彼女は僕の言葉を予想していなかったのか、呆然と固まっている。
それをいいことに僕は彼女の横を足早に通り過ぎて行こうとしたのだが。
――僕の足は止まった。
止まったと言うより、止められた。
道脇に積まれていた雪の山はいつのまにか、僕の膝下まで溶けていた。
これだけ溶けているなら自転車でも大丈夫だろうと僕は、家の物置から半年ぶりに自転車をひっぱりだしてきて、たまに道端にあるぐしゃぐしゃのシャーベット状の泥雪を避けながら、最寄りの駅。南郷18丁目駅へ向かっていた。
家から10分足らずで駅の近くまで着き、駅を右手に捉えつつ、僕は信号を右折した。
駅の周りは郊外らしく昭和を思わせるような居酒屋が連なっていて、人通りも多からず少なからずである。
駅の駐輪場はまだ冬だと言うのに沢山の自転車で埋まっていた。
端の自転車を蹴れば、ばたばたとドミノみたいに倒れそうだ。
僕は綺麗に並べられた自転車の列の隅に自転車を止めて、鍵を閉めた。
――まあ、僕が乗っている自転車は親戚からのおさがり物だから、サビも酷くて今にも壊れそうな雰囲気をぷんぷん醸し出しているから、鍵を閉めなくとも僕の自転車を盗む馬鹿はいないだろう。
駅のホームまでの長い階段を降りて、改札を通り大通り宮の沢行きのホームの列に並ぶ。
平日だけあってあまり人は並んで居ない。
そして僕はスマホをジャンパーのポケットから取り出して、Musicアプリを開いた。最近ハマっている。
『J.S.バッハ 管弦楽組曲第2番ロ短調よりバディネリ』
を再生する。
この曲はJ.S.バッハを代表する四つの中の一つだ。
バックグラウンド再生したままホーム画面に戻り、家で調べていたWebサイトを立ち上げる。
出てきたのは僕が長年探し求めていた小説。
『リリとララの協奏曲』
――俗に言うミステリー小説で、主人公のリリとララの周りで次々と起こる事件や事故の謎を解決していく、と言うストーリーだ。
売り上げは10万部で、知名度はさほど高くはない。――だが、僕は半年前にその小説に一目惚れしてしまった。まるで初恋の相手を見つけたみたいに。
浮足でその小説をネットで色々調べているうちに電車がゴゴと激しい騒音をたてながら駅のホームにキィと止まった。
そして僕は誰も降りてこない電車に乗り込む。
いつもどおり電車は進みだした――。
※
―――僕は、札幌駅から歩いて数分の本屋に来ていた。
自動ドアをくぐり抜けてから、入り口付近に陳列された人気文庫の新作小説など、目もくれずにずかずかと足早に僕の求めている小説が並べられている本棚まで向かう。
きょろきょろしながら歩きまわっていると、ようやくミステリー小説のエリアを見つけた。
僕の求めていた本は、人気小説の棚――では無く。
とくに人気の無い小説が並ぶ、あまり人目につかなそうな奥の棚に隠れるように並べられていた。
――僕はその小説の前で立ち止まる。
ずっと探していた小説を目の前にして、全身が身震いするのを感じる。
心臓の鼓動もさっきよりも一段と早く、そして大きくなっていた。
スッとその小説を並べられている本棚から抜き取った。手に取った本のザラザラした表紙の質感を肌で感じた。
ここからは流れ作業だ。レジへ向かい。お金を払う。
そしたらこの本は僕の物となる。
「へへ……」
ふいに嬉しさのあまり笑みがこぼれた。
そして、僕はくるりと向きを変えてレジへと――
――行けなかった。
「……」
瞬きを数回。どうやら、僕の幻覚でも妄想でもなく、ちゃんとした現実のようだ。輪郭もはっきりしている。
――そこには今にも泣きそうなその双眸で俺を見つめてくる――黒髪黒瞳のショーボブヘアの美少女(?)が僕の目の前に立っていた。
足元には黒色の冬用のブーツ。すらりと伸びた足を強調するように包んでいるのは、少しだけ肌が透けて見える黒のタイツ。そして今の季節には似つかわしくない、袖がない黒のワンピース。露出度の高いそのワンピースは肩から肌色の腕が出ている。
――それは、黒ただ一色で表されたものすごく端的な美貌だった。
正直言って彼女は僕の好みではない。けど、世間的には超がつくほど可愛いと思う。……いや、可愛い。
で、その美少女が僕の前で泣きそうになっているのだ。
――てか、ほぼ泣いている。
僕は少し困惑したが、すぐに彼女を見て口を開いた。
「……ど、どうかしました?」
「……いや、その……」
今にも消え入りそうな声音が微かに聞こえた。
ここがもし、ショッピングモールだったとしたら間違いなく、その声は他の音にかき消されていただろう。
彼女は自分の腕で目尻に溜まった涙を拭うと、喉から絞り出すように言う。
「――その本……買うんですか……?」
「え、えぇ。買いますけど」
「………」
僕の言葉を聞いた彼女は顔を曇らせて俯いた。
はて? 僕は彼女が俯いた意味も分からず首を傾げる。
「どうかしたんですか?」
「その……手に持ってる本なんですけど……私も……」
彼女は俯いたまま、おどおどしながら言った。
……もしかして、この本を彼女も買おうとしてたのか? だとしたら、これは中々の修羅場なのでは?
僕はスッと横目で本棚を見た。
予想通り僕が手にしている、『リリとララの協奏曲』は在庫があるはずもなく。この本が置いてあった本棚の横には、また違う本が並べられている。
――むしろ、この本が一冊あるだけでも凄いと言うのに。
僕は困ったように頭を掻きながら言う。
「この本、あなたも買おうとしてたんですか?」
「はぃ……そうです……」
彼女はコクと小さく頷いた。
なるほど、だから僕がこの本を手にしたのを見て涙目だったのか。
……まぁ、買おうとしていた本を先に買われそうなだけで泣くのはどうかと思うが。
「僕も買おうとしてたんですよ」
「――ですよね……」
そう言って彼女は、ぐたりと頭こうべを垂れた。
「――あの……この『リリとララの協奏曲』好きなんですか?」
僕の特に意図も意味もない質問を聞いた彼女は、ハッと目を見開いて――
「好きですッ!! 大好きです!」
叫びとも聞き取れる声が静かな本屋全体に響いた。幸い、僕達は本屋の隅っこにいるので、周りにはお客さんも店員さんも居なかった。
……しかし、僕だって叫んだりしないものの、周りに人がいなければ彼女より大きい声で叫ぶだろう。
「そ、そうなんだ。――でもこの本は僕が買わせて貰うよ」
僕はハッキリ言った。
彼女は僕の言葉を予想していなかったのか、呆然と固まっている。
それをいいことに僕は彼女の横を足早に通り過ぎて行こうとしたのだが。
――僕の足は止まった。
止まったと言うより、止められた。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。
矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。
女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。
取って付けたようなバレンタインネタあり。
カクヨムでも同内容で公開しています。
[R18] 18禁ゲームの世界に御招待! 王子とヤらなきゃゲームが進まない。そんなのお断りします。
ピエール
恋愛
R18 がっつりエロです。ご注意下さい
えーー!!
転生したら、いきなり推しと リアルセッ○スの真っ最中!!!
ここって、もしかしたら???
18禁PCゲーム ラブキャッスル[愛と欲望の宮廷]の世界
私って悪役令嬢のカトリーヌに転生しちゃってるの???
カトリーヌって•••、あの、淫乱の•••
マズイ、非常にマズイ、貞操の危機だ!!!
私、確か、彼氏とドライブ中に事故に遭い••••
異世界転生って事は、絶対彼氏も転生しているはず!
だって[ラノベ]ではそれがお約束!
彼を探して、一緒に こんな世界から逃げ出してやる!
カトリーヌの身体に、男達のイヤラシイ魔の手が伸びる。
果たして、主人公は、数々のエロイベントを乗り切る事が出来るのか?
ゲームはエンディングを迎える事が出来るのか?
そして、彼氏の行方は•••
攻略対象別 オムニバスエロです。
完結しておりますので最後までお楽しみいただけます。
(攻略対象に変態もいます。ご注意下さい)
別れてくれない夫は、私を愛していない
abang
恋愛
「私と別れて下さい」
「嫌だ、君と別れる気はない」
誕生パーティー、結婚記念日、大切な約束の日まで……
彼の大切な幼馴染の「セレン」はいつも彼を連れ去ってしまう。
「ごめん、セレンが怪我をしたらしい」
「セレンが熱が出たと……」
そんなに大切ならば、彼女を妻にすれば良かったのでは?
ふと過ぎったその考えに私の妻としての限界に気付いた。
その日から始まる、私を愛さない夫と愛してるからこそ限界な妻の離婚攻防戦。
「あなた、お願いだから別れて頂戴」
「絶対に、別れない」
【完結】俺のセフレが幼なじみなんですが?
おもち
恋愛
アプリで知り合った女の子。初対面の彼女は予想より断然可愛かった。事前に取り決めていたとおり、2人は恋愛NGの都合の良い関係(セフレ)になる。何回か関係を続け、ある日、彼女の家まで送ると……、その家は、見覚えのある家だった。
『え、ここ、幼馴染の家なんだけど……?』
※他サイトでも投稿しています。2サイト計60万PV作品です。
側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります。
とうや
恋愛
「私はシャーロットを妻にしようと思う。君は側妃になってくれ」
成婚の儀を迎える半年前。王太子セオドアは、15年も婚約者だったエマにそう言った。微笑んだままのエマ・シーグローブ公爵令嬢と、驚きの余り硬直する近衛騎士ケイレブ・シェパード。幼馴染だった3人の関係は、シャーロットという少女によって崩れた。
「側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります」
********************************************
ATTENTION
********************************************
*世界軸は『側近候補を外されて覚醒したら〜』あたりの、なんちゃってヨーロッパ風。魔法はあるけれど魔王もいないし神様も遠い存在。そんなご都合主義で設定うすうすの世界です。
*いつものような残酷な表現はありませんが、倫理観に難ありで軽い胸糞です。タグを良くご覧ください。
*R-15は保険です。
【完結】愛も信頼も壊れて消えた
miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」
王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。
無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。
だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。
婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。
私は彼の事が好きだった。
優しい人だと思っていた。
だけど───。
彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。
※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる