スノードーム・リテラシー

棚引日向

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26 不可逆な人類

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「何をするんだ」
 バーリンのその言葉は、兵士たちよりもむしろビューレンに向けられていた。
「そんなに死にたければ、死ぬがいい」
 ビューレンは、一応、悲しそうな声でそう言った。
「でも、計画の邪魔はさせないわ」
 コルノーの言葉は力強かった。彼女は微笑んでさえいた。
 兵士に連行されながらバーリンは何事か訴えていたが、扉が再び閉められると、それはもう言葉としては認識できなくなった。
「マレット、君はどうするんだ?」
「会議で出された決定には従います」
「結局は、自分の命が大事に決まっているものね」
 マレットは、コルノーの嘲笑を甘受した。
「では、計画の確認をしようか」
 その時になって、ビューレンはこの会議室の五人目に言葉をかけた。
「キュテリアくん、準備はできているかね」
 コルノーとマレットも、初めて存在に気づいたようにその人物を見た。
「はい」とルジェーナ・キュテリアが答えた。


「どうした? キュテリア」
「いえ何でもありません」
 周囲に人がいないと、つい一人きりだと思ってしまうが、音声はすべて指揮所でモニタリングされている。
 うっかり溜め息もつけやしない、とルジェーナは声に出さないよう注意しながら心の中で言った。
 それにしても、一週間前までは〝くん〟づけだったのに、どういうきっかけで呼び捨てにしたのか、と指揮所の中心にいる男、ビューレンのことを思い浮かべてみた。
 もう一週間も、ルジェーナはこのドームの周囲を当てもなく歩き回っている。正確に言えば、目的はあるのだが、目的に少しも近づいている実感を得られないままなので、何をしているのか分からなくなる時がある。
 一週間で見かけたのは二人だけだ。どうやらこのドームの住人は、蓋壁にはあまり近寄らないようだ。
 一人は小さな女の子で、外に人がいる意味さえよく分かっていないようだった。
 もう一人は大人の男性だったが、こちらはルジェーナと目が合うとすぐに逃げ出してしまった。幻覚でも見たと思ったのかも知れない。
 ふと、視線を感じ、そちらを見ると少年がこちらを見ていた。目と目が合った。まさに対象にぴったりの年齢だ。しかし挨拶をしようかと思う間もなく、彼はその場から走り去ってしまった。
 仕方なく、場所を変更するために蓋壁から離れた。蓋壁の付近は、ほかの場所よりも木々が繁茂していて動きにくいのだ。
 またか、という思いだった。このままでは、計画がまったく進まないどころか、スタートさえできないのではないだろうか、と疑いたくなる。
 ルジェーナは、綿密な計画だと聞かされていたが、こんな当てずっぽうなことでは、対象を捕捉できるのはいつになることか。
 彼女は枝をかき分けながら、そんなことを考えていた。

 日が暮れ、小型四輪で前線基地と呼ばれている組み立て式の建物に戻った。そこでは何百人もが働いていた。しかしルジェーナには、どのような業務をしている人々なのか、ほとんど分からなかった。
 彼女は報告のために指揮所に入った。
 指揮所には、相変わらず、同じ三人が詰めている。ほかのメンバーは作業着のようなものを着ているが、この三人だけはいつもダークスーツだ。
「どうだった?」
 音声だけでなく、映像もモニタリングしているのだから、報告も何もないだろう、とルジェーナは思ったが、実際には、
「一人、少年に会いました」と言った。
「それで?」
「また、逃げていきました」
「そうか」
 ビューレンとともに、コルノーとマレットも落胆の呻きを漏らす。
 一週間前の宇宙船内での議論は何だったのだろうか、とルジェーナは思う。
 各組織の代表が集まり、死ぬの殺すのと切羽詰った話し合いの末に、その時にはメンバーであったバーリンがしきりに反対するのを無理に押さえつけて、宇宙船をこの星の上に着陸させたのではなかったか。
 バーリンはどこに連れて行かれ、どんな処遇を受けたのだろうか、とルジェーナは思ったが、他人の心配をしている場合ではないと考え直した。
 この計画が理想通りに進まなければ、いずれほかの人間の命もないのだから。


 ルジェーナたちは、その昔、この星を捨てて宇宙へ飛び出した人類の子孫だった。
 もちろん、宇宙にVGはなかった。
 月には元々水も空気もなく、人工的な施設があるのみだった。そこを拡張することで、彼らは安住の地を手に入れたと考えていた。
 研究のための植物は、きちんと隔離された中だけに存在した。
 しかし、長い時間が経過する内に、人間は決定的な問題に直面することになった。月面には、天敵も異常気象も、地震のような天変地異もなかった。それは、すばらしいことのように思えたが、違ったのだ。
 何の障害もない生物は退化してしまう。出生率は、月政府がどんな対策を取ろうと減少する一方だった。
 いよいよ危機的な状況に陥った時、彼らが考えたことが、母星への帰還だったのだ。
 昔から、母星の調査は密かに行われていた。
 小型艇で定期的に人員が送られ、ドームが作られたこと、そしてドームの中での暮らしなどが、できるだけ詳細に調べられ、主なものは月の人々にとっても常識として知られていた。
 今回の計画の前提条件なども、頻度の高まったそれらの調査から導き出されていたのだ。
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