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ここには二人だけ

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 花見大会とは、別に大会ではない。
 順位を決めるわけではなく、要は満開の桜を皆で写生しゃせいしようというゆるい企画である。
 各自で公園内を自由に散策し、好きな場所で好きなように描く。
 花見大会では水彩絵の具を使うのが通例だが、その理由を理解している部員はいない。皆がそうするので、辻もならう。
 辻は大いに時間をかけて緻密ちみつに描き込むのが好みだが、半日しかない花見大会においてはナンセンスとされる。普段とは違う描き方をするのもたまには良いかと、それはそれで楽しもうと思った。

 朝方。辻はコンビニに立ち寄り、おにぎりが並ぶブースに突っ立っていた。
 納豆巻きを食べたい気分だったが、臭いがキツいだろ
し、後ろから納豆が逃げるのは明白……。

「やぁ、おはよう。何にするの?」

「せ、先輩!? まさか、会うとは……」

 静間は驚く辻をよそに、さっさとおにぎりを選ぶ。
 しゃけ。
 ます寿司。

「なんか驚いてるけど、公園から一番近いコンビニだよ? 他の子もいるし」

 そう言われて辺りを見回すと、女子部員が三人固まってこちらの様子を伺っていた。目が合うと、彼女達はきゅっと口角を結んで微笑んだ。かと思えば、途端にわぁっと騒ぎ立ち、キィキィ笑い合いだした。
 辻が静間に視線を戻すと、静間はしまりのない笑顔を振りまいている。
 辻は無性むしょうに腹が立って、静間の足を蹴った。

「いたぁ! なんで蹴るの!」

 どうしてかと聞かれると、辻にもよく分からなかった。

「気分です」

「ふうん……」

 静間は唇を尖らせながら、辻が一番注目していたものに手を伸ばした。

「納豆巻き……!」

「ん? ハマってんだよね、納豆かけごはん。これってそれの小さいばんってことでしょ? 絶対美味しいじゃん」

 辻は無言で納豆巻きを手に取った。

「あ。まねっこ?」

「違います」

「ホントにぃ?」

「うるさいです」


 コンビニを出て、公園までの桜並木。
 絵の具で塗ったような鮮やかな青空に、桜の淡いピンク色が重なる。花の群れをとおる太陽の光が、静間をうららかに照らしていた。
 辻は静間の綺麗な横顔を盗み見ると、さっきの女子達の反応がよみがえった。静間と行動するなら、隠れて昼食をとるのは難しいだろう。別行動する案はなぜか反射的に却下して、最終的には最も身勝手な案が辻の頭を支配した。

「あの、先輩」

「ん?」

「嫌だったら、断ってほしいんですけど」

「断らないと思うけど、なに?」

「え? あ、あー、その。実は。先輩と二人で、花見がしたくて。つまり……」

 辻はマスクと前髪をせわしなく触った。とてもじゃないが、目は合わせられない。

「うん。サボっちゃおうか」

 静間はあっけらかんと答えた。
 こころよい返事に、辻は想像の中の自分よりも、遥かに嬉しくてたまらなくなっていることに驚いた。ますます目が合わせづらくなる。

「君は僕を喜ばせる天才なんだね」

 静間がそっと囁いた。
 辻はとして、考える間もなく静間を見た。

「な……っ!」

 辻は言葉を失った。
 静間ははにかんだように笑っている。
 手で口元をおおっても、ほの赤くなった頬は隠しきれていなかった。

 この男……!!

 辻の頭は春爛漫はるらんまんに染め上がった。馬鹿みたいな夢想が次から次に思い浮かんで、まともな考えは回らなくなった。

「ねぇ」

「は、はい!」

「これからどうしよっか」

「そ、そうですね。とりあえず、駅戻りますか」


 二人で元来た道を引き返した。


 水彩絵の具とスケッチブック……あと、コンビニ飯を持って、二人で花見をしましょう。

 何にも邪魔されることなく、二人で。


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