ハンガク!

化野 雫

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第百六十話

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「この歳にして『愛人』ってのもねぇ。
 まあ、その代わり就職とかの心配もなくなったけど……」

 そんな『お婆様』の言葉に緑川はため息交じりにそう呟いた。緑川自身、その立場?身分?になる事を嫌がってる感じはまったく無さそうだった。いや、ちらりと見せたその表情からは言葉通り、諦めと共に、安堵感さえも感じられた。

「私は何を隠そう『東雲 桜』先生の大ファンでね。
 東雲先生が同じお屋敷に住んで執筆されるならこんなうれしい事はない。
 なので東雲先生には婿殿のお母上としてぜひこの屋敷に住んで欲しいと、
 私からお願いしたんだよ」

「京都で、しかもこんな素敵なお屋敷で暮らせて執筆できるだからねぇ。
 その上、上げ膳据え膳、身の回りの世話はみんな女中さん達がやってくれる。
 こんなの作家冥利に尽きるから私も二つ返事で申し出を受け入れちゃったんだな。」

 って何言ってだよ、この人は……大切な一人息子の婿入りがその代償だって分かって言ってるんだろうか?

 僕は思わず突っ込みを入れたくなったのをぐっと我慢した。

 まあその一方、うちの母はならこう言っても、さもありなんと思ってしまう僕でもあった。

 ホント、父が病気で急死した時の母の憔悴しきった姿をまだしっかり記憶してる僕からすると、今の母の姿は別人とも思えるほどの変わり様だ。でも、きっと母は母なりに色々考え悩み、苦しんだ果てに出した結論が今の姿なのだろう。

 きっと天国の父は、今の母の姿を見て苦笑しつつも安心していることだろう。


「……と言うわけで、与一はどうするんだい?
 このまま、このお屋敷で僕と暮らしながら大学に通う事も出来るんだよ。
 だってお母さまもここに住んでるんだし、
 もうここが与一の帰るべき家になったんだからね」

 そんなやり取りを聞いていた板額が僕の方を向きながらそう言ってにっこり微笑んだ。

 やっぱこんな時でも板額の笑顔はとても綺麗で魅力的だった。とても元男の子だなんて思えない。

「ちょっと待ってよ、それは困るわ。
 いや、私としては絶対に反対。
 少なくとも大学を出るまでは与一にはあのマンションに居てもらうわよ」

 板額の言葉に緑川が反論をしてきた。

「巴も諦めが悪いなぁ。
 別に分かれろって言ってるわけじゃないし、
 何なら巴もここから大学に通っても良いんだよ。
 君は、もう烏丸家公認の愛人なんだからね」

 そんな緑川に、くすくす笑いながら板額が応えた。

「あれ、きっと板額の挑発よ……」

 僕の肩辺りでふわふわ浮いてる白瀬がそう僕に耳打ちした。

 ちなみに、確かめたわけじゃないけど、『お婆様』には白瀬の姿が見えている様な気配だった。

 考えてみれば、板額に白瀬の姿が見えるなら、その先代である『お婆様』にだって白瀬の姿が見えたってなんの不思議もないのだ。
 

 いや待て。なんか話が進み過ぎてはいないか?

 確かに僕は『お婆様』に板額との仲を認めてもらう為にこの場に来た。だからこの流れは『願ったり叶たり』ではある。

 しかし、いきなり『烏丸家に婿入り』って言われるとちょっと即答に困る。

 まあ僕自身、板額とこのまま付き合ってゆくとするなら、そういう流れになるであろう事は薄々は感じていたことではあるのだが。

「では、与一君の当家への婿入りは確定と言う事で良いな。
 まあ、正式に与一君が無事に卒業してからとはなるが……」

 そうにこにこと笑みを浮かべて言った後、『お婆様』一度姿勢と表情を正した。

 その一瞬、キンッと音を立てて部屋の空気が一気に張り詰めた。

 その場居た誰もが、幽霊である白瀬さえも、皆、一様に姿勢を整え、『お婆様』に対して首を垂れた。もちろん、僕も無意識に内にそういていた。

「今この時をもって、烏丸家内部においては、
 『平泉 与一』を我が娘『板額』の婿とする」

 皆のその姿を見て、『お婆様』はそう高らかに宣言した。

 ちなみに忘れてる人も居るかと思うから、今一度言っておくぞ。

 『お婆様』は血縁的には、正真正銘、間違いなく板額の祖母である。しかし、戸籍上は板額を『養女』として入籍してあるので『お婆様』は同時に『板額の母』になるのだ。

 そして、この瞬間、僕は事実上、『平泉 与一』から『烏丸 与一』となったのだ。


 そして同時に、僕と板額、それから緑川、白瀬の、新しい、そして世にも奇妙な物語がこの瞬間から始まったのだった。


『ハンガク!』 その序章 終幕
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小説の匣
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