ハンガク!

化野 雫

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第百四十六話

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 しかし、この時の僕は、緑川のその答えを聞いて何故か、はっとしたのだ。

 京大……もちろん日本における大学の二大最高峰の一つ『国立京都大学』の事だ。

 いや、正確に言えば、京大の中に潜んでいた『京都』という言葉に僕の心が反応したのだ。


 なんで、こんな簡単な事に気づかなかった?

 僕はその瞬間、心の中で自問していた。

 何故、もう二度と会えないと最初から諦めていた?

 板額は、小学生の頃の僕に憧れ、自身が筆舌に尽くしがたい辛苦を舐めながらも、僕を探し追いかけ、僕に会いに来た。

 今度は僕が板額を追いかけ、会いに行くべきじゃないのか?

 板額は、京都の烏丸家本宅に居る。

 遥か遠い異国に行ってしまったんじゃない。

 京都なんて、ここから新幹線を使えば二時間かからずに行ける。

 いや、もっといい方法があるじゃないか。

 京都に住めば良い。

 今は無理でも、もう一年ちょっとしたらやろうと思えばそれが出来る。

 そうだ、京都の大学に入れば少なくとも四年間は京都で暮らせる。

 板額の居る京都で365日毎日だって暮らせるんだ。

 そうすれば、板額に会えるチャンスだって0じゃない。

 この瞬間、僕の新しい生きる目標が決まった。

 僕は板額に会うために京都の大学に行くんだ。


 その後は、意外に早く、色々な事を決める事が出来た。

 京都の大学と言っても、京都にはたくさんの大学がある。

 今の僕の成績なら、安全圏なら『立命館大学』だろう。立命館なら、名古屋で受験する事も出来て、こちらから進学する人も多いし、事実、葵高からの入学者も多い。

 でも、ダメだ。

 例え第一の目的が板額にもう一度会う事だとしても、その為に安全圏の大学を選ぶなんてもっての外だ。そんな事をして板額に再会できたとしても板額は僕を許しはしないだろう。

 では、緑川と同じく『京大』か?

 確かに憧れに近い目標なら『京大』でも良いだろし、それが出来ればベストだ。上手く行けば中学高校と続き緑川とまた同じ学校に通終える。

 でも現実的な線を考えれば御所裏の赤レンガで有名な『同志社大学』だ。多くの京大志望者が併願校、あるいは滑り止めとして受験する関西屈指の難関私立。東の『早稲田』『慶応』に並ぶ歴史ある名門私立大学だ。

 今まで僕が漠然と思っていた名大よりもさらに難関である事には間違いない。故に、今のままでは合格は難しいと思われる。しかし、けっして不可能じゃない。京大はいくら何でも、僕では無理だろうが、受験科目を絞り込める私学の同志社なら可能性はある。

 それに、緑川が京大に受かり、僕も同志社に合格できれば、板額の事はともかく緑川と同じ京都に下宿できる。そうすれば同じ大学でなくとも緑川との関係もこのまま続けて行けるのだ。

 しかし、まあ、この辺りは僕の願望が多々入った見解だ。大学生になった、しかも京大生になった緑川の心に変化があるかもしれない。彼女にとっての新たな出会いだってある可能性がないとも言えない。それでも、やっぱり、僕は緑川の傍に居たいのだ。

 ただ付け加えるなら、もし板額に再び会えて、この気持ちは決して口にしてはいけない、と僕はこの時、密かに思った。


 実は……僕は後になって気が付いたことが一つある。

 それは……

『何故、緑川は京大を第一志望校にしたのか?』

……と言う事である。

 緑川の実力なら、『東大』、そう天下の東京大学だって無理じゃない。いや、この地方からならむしろ『東大』を選ぶのが一般的だと思われる。それを、わざわざ『京大』に決めたなんて、考えてみれば少々不可解なのだ。

 もちろん、決して『京大』が『東大』劣ると言う問題じゃない。『東大』『京大』は日本の最高学府のツートップである事は誰も疑わない。それは僕も同じだ。ただ、僕の居るこの地方ではこの二つのどちらでも行ける実力があるなら、何か特別に京都にこだわる理由がなければ『東大』を志望校とて選択するのが普通なのだ。まあ、地方性と言う奴である。

 それに緑川の家は代々医者の家系で、しかも代々東大医学部出とも風の噂に聞いた事もあった。

 それなのに緑川は、あえて『京大』を第一志望校にしたのだ。

 これは凄く奇異な事なのだ。

 でも、この時の僕はそんな大事な事にまったく気付かなかった。それほど、この時の僕は色々な事に無頓着というか投げやりになっていたんだ。

 ちなみに、後々、緑川にその事を尋ねたら……

『実は、与一がその事を追及して来たらどう言い訳するか、
 色々と考えていたのよね。でも全部、無駄になっちゃった』

……と笑って答えた。

 その時の笑いが少々僕を小ばかにする様な笑みで僕は思わずむすっとした。それと同時に、この時の自分の不甲斐ない状態を思い出して恥ずかしくもなった。
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小説の匣
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