ハンガク!

化野 雫

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第百四十二話

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「大丈夫だよ、京子。
 僕も巴も、本当はちゃんと分かってるから。
 これでも二人とも君と同じ与一の『彼女』だからね」

 そんな白瀬に、板額が柔らかい笑みを浮かべながらそう答えた。

「まあ、そう言う事よ、京子。
 こういう時に上手く立ち回れないのがこの人の悪い所。
 でも、そういう不器用な所が私達にとっては魅力の一つでもあるんだけどね」

 緑川も、ばつが悪そうに頭を掻きながらそう言った。

 まあ、本当にそう言う事なのだろう。板額も、緑川もそういう奴だって僕は良く知っている。

 だからこそ、僕はまた白瀬同様にこの二人の女の子に惹かれるのだ。


 結局、僕らはその後、板額のマンションで夕食をごちそうになった。

 メイドの篠原さんの作る料理を食べるのはこれが初めてではなかったけれど、その時の夕食はとても豪勢でとびっきり美味しかった事を僕は今でもはっきりと覚えている。

 その場にいる誰もが、篠原さんも含めて、みな務めて明るくはしゃいだ。

 そして板額も『最後の晩餐』だよ、なんて言って茶化していた。

 けれど、板額が時折、隠し切れず辛そうな表情を浮かべた事を僕は決して忘れない。

 やがて、無常にも時は流れ、その晩餐は結局、最後まで妙にハイテンションで明るい雰囲気のまま終わった。

 そう表向きはね。

 僕は、そして、みんなもそんな事、百も承知だった。

 ただ誰も本当の自分の気持ちを口にしなかった、いや口だけじゃなく表情にも出さなかったんだ。


 僕は、そのまま、自分の部屋に帰った。

 母の話によると、その時の僕は、声を掛けても返事が無く、なんだか夢遊病者の様だったと言っていた。そして僕自身も、あの晩餐の後の記憶がほとんどない。別れ際に板額と何を話したのか、緑川は何か言っていたのか、さらには一緒に帰ってきたはずの白瀬の事すらまったく覚えていない。

 ちなみに緑川は、篠原さんの車で家まで送ってもらった様だ。後で緑川に聞いたところによると、その車には板額も一緒に乗り込み、緑川の家に着くまで色々話したそうだ。

 何を話したのか僕が緑川に尋ねても、彼女は……

「親友であり、恋のライバルでもある女の子同士の話を、
 その当事者でもあるあなたに話すわけないでしょ」

……と笑いながら答えなかった。

 よく考えると『女の子と同士』って部分は異論を挟みたくなるところでもあるが、あえて僕はそこには踏み入らなかった。いや、本来なら冗談めかしてそこにあえて踏み込むぐらいの余裕があってしかるべきなのだ。でも、その時の僕にはとてもそんな心の余裕はなかったんだ。

 ただ、その時の緑川の笑顔が少し悲しげだったのを僕は良く覚えている。

 緑川は答えなかったけれども、その答えはその後の緑川を見れば、僕にもなんとなくではあるが想像できた。


 その夜以降、すぐに板額の周囲は、烏丸家次期当主の引っ越し&本家帰還とあって篠原さん以外にも多くの人が出入りして騒がしくなった。

 その喧騒の最中、僕はあれだけ大改造してワンフロアー全部をまるで一軒の家の様に大改造してしまった板額の部屋はどうなるんだろうと僕は不思議に思っていた。もう元へ戻すのも困難だろうし、あのままではこんな地方都市じゃ次の買い手も見つける事は難しいだろう。

 でも、この僕の疑問に関してはほどなくして簡単に解決された。

 なんと、板額が餞別代りに僕と母へそのまま全部プレゼントしてくれたのだ。

 餞別にしてはあまりに高価な上に、毎年の固定資産税等の維持費も大変だからと、母は一度は断った。そりゃ、当たり前だ。今では売れっ子小説家でそこそこ高給取りの母ではあるが、僕と二人暮らしの上、あの部屋を維持管理してゆくのはちょっと無理かと考えた様だ。

 でも、僕は内心、あの部屋が欲しかった。

 二度と板額に会えなくなるなら、せめて板額の残り香をいつまでも感じられる物が欲しかったのだ。

 結局、あの空中に浮かぶ豪邸は、所有者は烏丸家のまま、諸々の税金関係も含めて維持管理費はすべて引き続き烏丸家が払い続ける事になった。つまり物件としては現状のまま何も変わらずそこに存在する事になったのだ。

 では、僕と母はどうなったのかと言えば……烏丸家に雇われ『管理人』として、空中豪邸に住む事になったのだ。つまり事実上、完全にタダであの空中豪邸に住む事が出来る様になったのだ。

 僕は、板額の残り香をいつでも感じられる事が出来る喜びと共に、板額と会えなくとも『烏丸家』との繋がりがまだ当分続く事に少しだけ安堵を覚えた。
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