ハンガク!

化野 雫

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第百三十話

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 僕は板額のその言葉の意味が分からなかった。

 白瀬京子が自殺したのは、僕が彼女の大切な作品を自身のちっぽけな虚栄心の為に滅茶苦茶にしたのが原因のはずだ。京子が自身の苦しい境遇を物語に重ね、自身の真っ暗な境遇にも一筋の光が差し込む望みを託して書いた希望の物語。それを僕は永遠の苦しみの連鎖に堕ちる真っ黒な物語に変えてしまったんだ。そして、虚構の中に作り上げた大切な希望の光を失った白瀬は絶望し自ら希望の無い人生にピリオドを打った。

 その事を僕が一番よく知っている。

 だって、白瀬京子の怨霊は僕に憑りつき、僕を一生支配し続けようとしているじゃないか。現に白瀬の怨霊が口にする僕への恨み言を何度も聞いているのだ。

「板額、鬼牙である君には白瀬の今の姿が見えてるんだろう。
 だから僕を慰めようとしてそう言ってるんだろうけど、
 僕への慰めは要らない。僕は僕の罪を良く理解して受け入れてる。
 そして、僕にも白瀬の今の姿が見えるんだ。
 だから、そんな慰めは何の意味をなさないんだ」

 僕は板額にそう言った。

 そうだ、自身が鬼牙と言う尋常ならざる存在である板額には、僕に憑りつく白瀬の怨霊が見えてるのだろう。なら、なおさらだ。あの白瀬の怨霊の姿を見ればどんな言い訳だって意味をなさなくなる。いや、その前に、もう白瀬の怨霊が僕への恨みつらみ、さらには僕から手を引く様に板額に囁いているかもしれない。

 ところが板額はまたもや僕が思いもしない言葉を返して来た。

「うん、京子の姿は僕にも見えてるよ。
 ずっと前からね。
 しかも僕はやろうと思えば京子と話をする事だって出来るんだよ」

「だったら、何故……」

 そう、分かってるなら何故、板額はそんな慰めを言うんだ。白瀬の怨霊のおぞましい姿と声を聞けば板額にだって僕が許されざる罪を背負った罪人で有る事は分かってるはずだ。ところが、僕の問いかけに板額は答えず緑川を見て言った。

「だから、早く、真実を伝えない君が悪いんだよ、巴。
 君が早く与一に真実を伝えないから、与一が勘違いし続け自分を苦しめ続ける。
 それだけじゃない、与一にそんな勘違いされてる京子も可哀そうだよ。
 たぶん今の与一には京子がとんでもない姿に見えてるんじゃないかと思うよ。
 確かに、君が瀕死の京子から口止めされてた事は間違いだろうし、
 その後の京子の姿も声も君には見たり聞こえたりしないから仕方ないかもしれない。
 でも、やっぱり君は真実を与一に告げるべきだったんだ」

 そう言った板額はなんだか少し怒っている様だった。

 しかし、待て。

 今は板額は僕には『京子がとんでもない姿』に見えてるって言った。それって、裏を返せば板額には違う姿の白瀬京子が見えているって事じゃないだろうか。

 僕は何が何だか分からなくなってきた。

「だって……」

 板額の言葉に、いつもならはきはきと言い返す緑川が珍しく口籠った。

「嫉妬……だろ?」

 そんな緑川に板額が少し意地悪気な笑みをその口元に浮かべてそう言った。

 いつもは何を言われても冷静な緑川の顔に、明らかな動揺の影が浮かんだ。そして緑川は板額の言葉に一瞬声を失った。

「……そうよ、板額、あなたの言う通りよ」

 数秒の沈黙の後、緑川は喉の奥から絞り出すような声でそう答えた。そして、その後、胸に貯め込んでいた想いを一気に吐き出すように叫んでいた。

「だって仕方ないじゃない。
 京子は与一の初恋の相手なのよ。
 しかも死んじゃって、勝ち逃げしたも同然じゃない。
 その上、あの事、話したら与一は絶対に京子から離れられなくなる」

 そう叫んだ後、緑川は自身を落ち着かせるように一度、大きく深呼吸してから続けた。今度は先ほどとは打って変わっていつもの緑川らしい落ち着いた声でだった。

「それに、言い訳に聞こえるかもしれないけど、
 同じ年頃の女の子としては……」

 そこでまた緑川は何故か一瞬、言い淀んでから続けた。

「言えないじゃない。
 京子も愛してた与一にあんな酷い事実なんか……」

 その言葉はやけに悲し気だった。

「まあ、分かるよ、完全な女の子じゃない僕だけどね。
 巴が与一に京子の真実を伝えられなかったのは、
 嫉妬だけでも、その事だけでも、ない。
 その両方が理由だったってね」

 そんな緑川に板額はそう言って、とても、そうとても穏やかで優しい笑みを浮かべた。
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小説の匣
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