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第百二十話
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「か……『風祭 忍』と言います。
よ、よろしくお願いします」
結局、忍はその後に、聞き取れないくらい小さな声で、しかも早口にそう言ってぺこりと頭を下げた。頭を上げた後も、忍は異常に恥ずかしがって顔を上げることは出来なかった。
この年頃の男子ならば誰でも思い当たるだろう。得てして女々しい男の子は嫌われるものだ。しかも、相手が強面なら黙っていればまだしも、忍の様なある意味『女顔』だとなさらだ。そして、相手が女の子でもそれは変わらない。黙っていれば、あるいは凛々しい感じの言動をしていれば忍の様な外見の男の子は女の子には好かれる。でも、外見同様、性格まで女々しいとなると評価は逆転する。
この瞬間、僕らクラス中の忍の印象は『大人びた綺麗な子』から『気弱な女々しい男の子』に一瞬にして変わってしまったのだ。そして、この時の印象がすぐ後に来る忍に降りかかった悲劇の遠因になったと僕は考えている。
僕らクラス中の者たちほぼ全員が、そう、その時は僕自身もそうだったが、忍に対して良くわからないもやもやした感じを残した。そんな雰囲気の中、当の忍は担任に促されるまま窓際の一番後ろに空いていた席に座った。
そして、そのまま第一時限目の授業、確か、算数だったか、が始まった。
それでも好奇心旺盛なこの年頃の僕たちの事、一時限目の授業が終わるとの席の周りに我先にと集まって来た。
「ねぇ、ねぇ、この学校の前はどこに居たの?」
「今はどこに住んでるの?」
「お父さんは何してるの?」
そして、忍に色々な質問を機関銃掃射の様に浴びせかけた。
まだ全く馴染みもない、忍にしてみればまったくの異邦人であるそんな新しいクラスメイト達を見て、彼は、ただただ黙っておろおろと周りを見回すだけだった。そして忍は、その時、困った様な、いや少し怯えた様な表情を浮かべていた。
僕は、いま改めてこの時の事を思い出すと、一つだけ後悔の念を持ってしまう事がある。
そう、僕はその時、彼が繰り返すある小さな仕草に気が付いていたのだ。自分に矢継ぎ早に質問を投げかけるクラスメイトを見回しながら、彼は時折、何かを言葉を口にしようとしていたのだ。少なくとも今でも僕はその時の忍の小さな口の動きを思い出すことが出来る。
僕が一緒に居たのが短期間だったのにあれほど忍を弟みたいに可愛がったのは、この時の後悔が大きな理由の一つだった様な気がする。あの時、僕がもっと早く忍の異変に気が付いていれば、忍はあんな恥ずかしい想いや、一時的にせよ嫌な想いをしなくて良かったはずなのだ。
そんな忍が急に俯き、両手をぎゅっと握りしめた。そして、ぐっと歯を食いしばって何かに耐えている様な様子を見せた。でも、それも束の間で、何だかその表情が急に和らいだ気がした。いや、それは和らいだというより放心状態だったのだろう。僕は忘れない。その時、忍の目から涙が一筋零れ落ちて行くのに僕は気が付いた。
「うわっ! 何だ?」
忍の近くに居た男子の一人が自分の足元を見て、そう叫ぶと後ろへ飛び退いた。その一声を切っ掛けにその場はパニックになった。
「えっ? 何? コレ!」
「嫌だ! これって、まさか!」
「みんな逃げろ!」
忍の周りに集まっていた者たちは一斉に蜘蛛の子を散らす様にその場から逃げ出した。そして取り残された忍は机に突っ伏すと、今度は声を上げて泣き出した。
そう、忍はその場でおしっこを漏らしてしまったのだ。
今思えばそれは仕方のない事だった。きっと忍は、朝学校に来て担任から色々説明を受けて、緊張したままこの教室にやって来たのだ。成長期でもある代謝が活発な年頃の子供ならそんな時間、一度もおしっこをせずに我慢できるわけがない。しかも忍にとってはそこは右も左も分からぬ未知の場所と、未知の人々ばかり。トイレに行きたくてもあの性格で言い出せなかったのだ。
きっと本人は一時間目の授業が終われば、トイレに駆け込むつもりだったのだ。それを、見知らぬ子供たちに周りを取り囲まれ矢継ぎ早に質問を浴びせかけられ、忍は混乱してしまった。それでも、何とか自身の緊急事態を誰かに告げようとしていたに違いない。それが、僕の気が付いたあの忍の様子だったのだ。しかし、クラスメイトの好奇心から来る目に見えぬ圧力が、忍に言葉を発する機会を奪ってしまったのだ。
その結果が転校早々の忍を襲ったこの悲劇だったのだ。
よ、よろしくお願いします」
結局、忍はその後に、聞き取れないくらい小さな声で、しかも早口にそう言ってぺこりと頭を下げた。頭を上げた後も、忍は異常に恥ずかしがって顔を上げることは出来なかった。
この年頃の男子ならば誰でも思い当たるだろう。得てして女々しい男の子は嫌われるものだ。しかも、相手が強面なら黙っていればまだしも、忍の様なある意味『女顔』だとなさらだ。そして、相手が女の子でもそれは変わらない。黙っていれば、あるいは凛々しい感じの言動をしていれば忍の様な外見の男の子は女の子には好かれる。でも、外見同様、性格まで女々しいとなると評価は逆転する。
この瞬間、僕らクラス中の忍の印象は『大人びた綺麗な子』から『気弱な女々しい男の子』に一瞬にして変わってしまったのだ。そして、この時の印象がすぐ後に来る忍に降りかかった悲劇の遠因になったと僕は考えている。
僕らクラス中の者たちほぼ全員が、そう、その時は僕自身もそうだったが、忍に対して良くわからないもやもやした感じを残した。そんな雰囲気の中、当の忍は担任に促されるまま窓際の一番後ろに空いていた席に座った。
そして、そのまま第一時限目の授業、確か、算数だったか、が始まった。
それでも好奇心旺盛なこの年頃の僕たちの事、一時限目の授業が終わるとの席の周りに我先にと集まって来た。
「ねぇ、ねぇ、この学校の前はどこに居たの?」
「今はどこに住んでるの?」
「お父さんは何してるの?」
そして、忍に色々な質問を機関銃掃射の様に浴びせかけた。
まだ全く馴染みもない、忍にしてみればまったくの異邦人であるそんな新しいクラスメイト達を見て、彼は、ただただ黙っておろおろと周りを見回すだけだった。そして忍は、その時、困った様な、いや少し怯えた様な表情を浮かべていた。
僕は、いま改めてこの時の事を思い出すと、一つだけ後悔の念を持ってしまう事がある。
そう、僕はその時、彼が繰り返すある小さな仕草に気が付いていたのだ。自分に矢継ぎ早に質問を投げかけるクラスメイトを見回しながら、彼は時折、何かを言葉を口にしようとしていたのだ。少なくとも今でも僕はその時の忍の小さな口の動きを思い出すことが出来る。
僕が一緒に居たのが短期間だったのにあれほど忍を弟みたいに可愛がったのは、この時の後悔が大きな理由の一つだった様な気がする。あの時、僕がもっと早く忍の異変に気が付いていれば、忍はあんな恥ずかしい想いや、一時的にせよ嫌な想いをしなくて良かったはずなのだ。
そんな忍が急に俯き、両手をぎゅっと握りしめた。そして、ぐっと歯を食いしばって何かに耐えている様な様子を見せた。でも、それも束の間で、何だかその表情が急に和らいだ気がした。いや、それは和らいだというより放心状態だったのだろう。僕は忘れない。その時、忍の目から涙が一筋零れ落ちて行くのに僕は気が付いた。
「うわっ! 何だ?」
忍の近くに居た男子の一人が自分の足元を見て、そう叫ぶと後ろへ飛び退いた。その一声を切っ掛けにその場はパニックになった。
「えっ? 何? コレ!」
「嫌だ! これって、まさか!」
「みんな逃げろ!」
忍の周りに集まっていた者たちは一斉に蜘蛛の子を散らす様にその場から逃げ出した。そして取り残された忍は机に突っ伏すと、今度は声を上げて泣き出した。
そう、忍はその場でおしっこを漏らしてしまったのだ。
今思えばそれは仕方のない事だった。きっと忍は、朝学校に来て担任から色々説明を受けて、緊張したままこの教室にやって来たのだ。成長期でもある代謝が活発な年頃の子供ならそんな時間、一度もおしっこをせずに我慢できるわけがない。しかも忍にとってはそこは右も左も分からぬ未知の場所と、未知の人々ばかり。トイレに行きたくてもあの性格で言い出せなかったのだ。
きっと本人は一時間目の授業が終われば、トイレに駆け込むつもりだったのだ。それを、見知らぬ子供たちに周りを取り囲まれ矢継ぎ早に質問を浴びせかけられ、忍は混乱してしまった。それでも、何とか自身の緊急事態を誰かに告げようとしていたに違いない。それが、僕の気が付いたあの忍の様子だったのだ。しかし、クラスメイトの好奇心から来る目に見えぬ圧力が、忍に言葉を発する機会を奪ってしまったのだ。
その結果が転校早々の忍を襲ったこの悲劇だったのだ。
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