ハンガク!

化野 雫

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第百十四話

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 そして、神様は地上に向かってふぅっと息を吹きかけた。
 
 するとそれまで温暖だった地上に、凍り付くような冷たい風が吹いた。その風は来る日も来る日も治まることはなく吹き続け、気温はどんどん下がり、やがて地上はすべて雪と氷の世界に変わってしまった。

 巨大化したトカゲは、その気候の変化に耐えられず一匹、また一匹と倒れ、やがて最後の一匹もついに倒れ滅びてしまった。

 その中にあって、『知恵の実』を食べた猿は、その知恵を使い、寒さを凌ぎ、じっと『神の試練』が終わるのを待った。


「やはりここまでだったか。
 ではもう一度、最初から始めよう……」

 最後の巨大なトカゲが倒れるのを見て神様はそう言った。

 すると地上を吹き荒れていた冷たい風がぴたり治まり、少しづつまた暖かくなっていった。

 永い永い氷と雪の世界を耐え抜き生き延びた生き物たちが、再び地上の覇権をかけて闘いをはじめた。もちろん、その中に小さな猿も居た。

 『力』を持たぬ猿は、また以前の様に他の『力』を持つ生き物に怯えながら闇に隠れて生きていた。


 しかし、ある日、一匹の猿がたまたま落ちていた太い棒切れを手にした。

 そこへ『力』を持つ狼がその猿を獲物にしようと狙いを定めた。必死に逃げた猿だったが、やがて逃げ場のない場所に追い詰められたしまった。まるで猿を嬲るかのように何度も雄たけびを上げた後、狼は猿に飛び掛かった。

 その時だった。

 猿は恐怖で目を閉じながらも、無意識に手に持ったままだった棒切れを力限り振り回した。

 長い長い……と猿は思っていたが、実際には一呼吸の後だった……静寂の後、体に衝撃や痛みを覚えなかった猿は、不思議に思いながら恐る恐る目を開けた。

 すると目の前に、頭から大量の血を流して横たわる狼の死骸があった。

 この瞬間、猿はすべてを理解した。

 猿は手に持った棒切れを高らかに天に突き上げ、初めて勝利の雄たけびを上げた。

 『力』無き猿が、自身が苦しい思いまでして手に入れた『知恵』の真の意味を知った瞬間だった。

 こうして道具を使うことを覚えた猿は程なくして、生き物全てが恐れ、それは神だけが使いこなせると信じていた『火』までも自由に使いこなすようになった。


 その後、猿は、まさしく押し寄せる津波の様に、他の生物を圧倒して一気にその勢力を広げていった。

 やがて猿が地上の支配者となるの見て、神はまたあの巨大なトカゲの時と同様に試練を与えた。

 ある時は、想像を絶する規模の風水害、ある時は何人たりとも逃げられぬ疫病、またある時は猿同士を殺し合わせる大規模な戦争。

 そう、何度も何度も神は猿に試練を与えた。しかし、その度ごとに猿は自身が得た『知恵』を使って、神の試練を苦しみながらも乗り越え繁栄を続けたのだった。



「……と、まあ、僕が言う間でもなく、
 『知恵の実』を食べた『小さな猿』は紛れもなく『人類』の事だよね。」

 話し終えた板額がそう言って笑った。

 確かに、詳細部分は異なるが、大筋はよく聞く馴染みのある神話だった。

 しかしだ。僕はこの神話、何かすごく違和感を感じていた。何か重要な事がこの神話には途中から抜け落ちている。

「ちょっと、待って、板額。
 その神話、何かおかしくない?
 最初の部分で思わせぶりに出てきた『角のある猿」はどうなったの。
 あの後、まったく触れられていないじゃない」

 最後まで聞き終えた緑川がいきなりそう板額に食って掛かる様に尋ねた。

 そう。そうなのだ。あの『力の実』と『知恵の実』の両方を食べた『角のある猿』の事が、あの後、まったく触れられていないのだ。僕が感じた違和感はこれだったのだ。本来、この神話は『知恵の実を食べた小さな猿』の話ではなく、『力と知恵の実の両方を食べた角のあるやせっぽちの猿』の話だったのではないだろうか。僕は、そんな気すらこの話を聞いて思ったのだ。

 そうだ、この話は意図的に『角のある猿』のその後には触れない様に作られている、僕はそう確信した。

「うん、さすがは巴だね」

 緑川の問いかけに板額はそう言って笑った後、僕の表情から内心を読み解く様に僕の顔をじっと見た。

「どうやら与一も同じことに気が付いたようだね」

 そして板額は僕にもそう言って微笑みかけた。

「この話は、あえて『角のある猿』のその後には一切触れてないんだ。
 分かる人には分かる、ちょっと高度な『意味が分かると怖い話』って奴さ」

 それから板額はそう言ってにやりと笑った。
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小説の匣
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