ハンガク!

化野 雫

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第百八話

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 そうだ、この光景だけは女の子である緑川には、絶対に見せてはならない。それは間違いなく一生消えない心の傷になってしまう。緑川の心にこれ以上傷を残すことなんて僕には絶対にさせられない。だって僕はもうすでに一度、僕が巻き込んだためにクラスメイトを自殺に追い込んでしまった言う心の傷を緑川に残すような真似をしてしまっているからだ。

 それにそれは男である僕だって同じだ。僕も思わずぎゅっと目を閉じた。

『あら、巴には優しいのね。
 私の心は平気でズタズタにしたくせに……』

 まただ。ひやりとした背中の感覚。凍り付く様に冷たい吐息。白瀬京子の怨霊がまたそう僕の耳元で囁いた。

『巴の心も私みたいにズタズタになればいいのよ……』

 白瀬の怨霊が恐ろしいことをて告げた。

『頼む、白瀬。何度でも言う。
 僕はどうなっても良い。
 巴だけは許してやってくれ……』

『ホント、妬けちゃうわね。
 その代わりあなたは一生私のモノよ、良い?』

 白瀬の怨霊の問いかけに僕は心の中で頷いた。すると白瀬の怨霊はふわりと気配を消してくれた。


 僕は目を閉じる寸前、微かにだったけど、望月先輩の上半身と下半身が異様な形でズレて行くのが見えた。いや正確には見たのではなく、見えた気がした、のかもしれない。

「もう大丈夫だよ、与一」

 しばらくして、板額の声がした。

 その声を聞いて、僕は恐る恐る目を開けた。

 すると、真っ先に板額が微かな笑みを浮かべてこちらを見ているのが見えた。

 そしてその板額の足元には、脱ぎ捨てられていたあの血染めの白いマントがあった。さらにそのマントには、明らかにその下に何かが隠してある様な膨らみがあった。

 僕には、すぐにそれが望月先輩の体だと分かった。何故わかったかと言えば、望月先輩の両足がマントから覗いていたからだ。

 これは板額が、僕と緑川にその遺体の悲惨な状態を見せない為に脱ぎ捨てたマントで覆い隠してくれたものだ。ただ、その体は変化へんげ前の大きさとは明らかに違っていた。もし望月先輩の体が変化したまま状態なら、とても板額が着ていたマントで覆い隠すことなどできない大きさだった。どうやら、望月先輩の体は変化前の状態に戻っているようだ。それならなおさら、板額にしてみれば僕や緑川にその遺体を見えるわけにはいかないと考えたのだろう。

 僕はあえて、そのマントで隠された望月先輩の遺体を見ないようにした。それは緑川も同じだった。あえて、その方向から顔を逸らせている様な気がした。


 板額は僕らの方へゆっくりと歩いて来た。

 目の前まで来た板額の顔は、まだ少し角の名残の様な物が額の両側に残っていたが、顔自体の感じはほとんど普段の板額に近いものに戻っていた。

 そして板額は僕と緑川の前に立つと、あの変化した望月先輩を斬った、その瞬間を見たわけではないが、間違いなく斬ったであろう刀を腰の鞘からゆっくり引き抜いた。あの変化した望月先輩と対峙した時の様に周りを圧倒するかの様な威圧感とか殺気はなかった。それでも、望月先輩の体を真っ二つにした刀が目の前で抜かれると僕も緑川も自然と身をこわばらせてしまう。

 黒い鞘から抜かれた刀は、想像していた感じとはちょっと違っていた。僕だって博物館や美術館で本物の日本刀は見たことは何度かある。それらの刀身はどれも白銀に輝き、異様なまでの美しさを持っていた。しかし、板額の持つ刀の刀身は黒いのだ。確かに黒みがかった刀身は確かにある。それと刃の部分の白銀の作り出す波紋が美しい刀は多い。しかし、板額の持つ刀は刀身全部が漆黒なのだ。それは板額の瞳の様に磨き抜かれた碁石の如き輝きを持っていた。そしてその刃の部分の微妙な輝きの違いが、美しい波紋を見せていた。

「大丈夫、怖がらないで……」

 僕らが身構えたのを感じ取ったのだろう、板額はそう言って僕らの気持ちを解すかの様に微笑んだ。

「巴、少しの間、動かないでいて……」

 そして、緑川を見てそう優しく告げた。

 緑川が頷くのを確認して、板額はその切っ先を緑川を後ろ手に難く縛っていたロープに注意深く近づけた。そして、緑川の肌に刀が触れぬ様、最新の注意をしてロープの下に切っ先を通した。

 板額が軽く刀を引くと、緑川の腕を縛っていたロープが何の抵抗もなくはらりと切れて床に落ちた。そのまま板額は緑川の足首を縛っていたロープも同じ様に切ると、手早く刀を鞘に納めた。
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