ハンガク!

化野 雫

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第百五話

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 しかし、結果はその通りになった。

 ピンと張られたチェーンは勢いよく引かれ、見た目の軽々しさとは正反対の凄まじい勢いで男の体が一瞬ふわりと浮き上がった。そして次の瞬間には浮き上がった男の体はまるでハンマー投げの鉄球の様に弧を描いて前方へとすっ飛んでいた。

 一瞬遅れて、ずしんと言う地震の様な振動と音が伝わってきた。

 男の体はチェーンの長さの先で床へと激しく叩きつけられていた。男はまるで糸が切れた操り人形の様に手足があり得ない方向に曲がり、白目を剥き口から泡を吹いてピクリとも動かず床に倒れていた。それは傍から見ても男の状態が普通じゃないと言う事だけは嫌でも分かった。

「すまないね、今の僕は自身に抑えが効かないんだ。
 これでも手加減はしたつもりなんだけどね」

 相変わらず望月先輩を見たまま男の姿をまったく見ずに、板額は何事もなかったかの様に平然とそう言ってのけた。そして、おもむろに腕に絡まっていたチェーンを解くと床に捨てた。

 ずしん、思っていたよりも大きな音と振動が伝わって来た。あのチェーンは僕が思っていたよりもっと重かっただろう事が、僕にはそれで理解できた。

 あれで『手加減した』と言うなら、もし今の板額が手加減をしなかったらどうなっていたというのだ。それは間違いなく、あの男は瞬殺されていたという事だと僕は確信した。

 僕らは、そう望月先輩も含めて、誰もがその光景を見て言葉を失っていた。何も考えられなくなっていた。思考が目に見える物についてゆかないのだ。その全てがあまりに現実離れしていて脳が情報を処理しきれずフリースしているかの様だった。


「与一、その体で悪いが巴に上着を貸してやってはくれないか?
 僕のマントを貸しても良いんだが、こっちのは少々汚れが酷くてね」

 唖然としていた僕に板額が突然、そう話しかけて来た。言葉はその姿とは違い、前の様に優しい響きだったが依然としてじっと望月先輩をにらみつけたままだった。

 僕は、痛む体を引きずる様にして緑川の元へと走り寄った。

「大丈夫か? 緑川」

 僕はそう言ながら上着を手早く脱ぐと下着姿の緑川に羽織らせた。出来れば緑川の手を後ろ手に縛ってある縄も外してやりたかったが、あまりにきつく結わえてあって今の僕では解く事は出来なかった。

「ありがとう、与一……」

 緑川はそう言って伏し目がちに少し頬を染めてそう言った。『与一』、普段、緑川は僕の事を必ず『平泉君』と呼ぶ。『与一』と呼ぶのは滅多にない事だった。僕はそれがなんだかくすぐったく、無性に嬉しかった。

「良いって、巴。
 それより、僕の為に君をこんな目にあわせてごめん」

 僕はそう言って笑った。いや正確には笑ったつもりだったが上手く笑えたかどうかは分からない。

 だって、僕の体はもうかなりボロボロで自由があまり効かない状態だったからだ。

 僕はこの時、あえて緑川に『巴』と呼びかけた。緑川を『巴』と読んだのは、実はこの時が初めてだった。板額は普段から名前で呼ぶのに、何故か緑川に関しては今までの習慣からだろうか、ずっと名字で呼んでいた。でも『与一』と呼ばれて嬉しかったからか、僕はごくごく自然に彼女を『巴』と呼んでいたのだ。


「その分なら与一も巴も大丈夫そうだね、安心したよ。
 ただし、与一、君は僕の彼氏なんだよ。
 巴は僕公認の愛人だけど、僕の居る前でそれはダメだよ。
 ただでさえ虫の居所の悪い僕がますます機嫌が悪くなる」

 そんな僕らの声が聞こえたのか、あるいは声だけじゃなく甘い雰囲気まで伝わったのか。望月先輩を見据えたままの板額がそう言って笑った。


 僕には分かっていた。板額は笑っていたが、あれはマジだ。僕らは板額の怒りに油を注ぐような真似をしてしまったらしい。もっとも、それで被害を被るのはこの場合、僕らじゃない。それはとても良く分かっていた。

「と言うわけで今の僕は大変機嫌が悪い。
 だから出来れば今の内に土下座してでも僕に謝る事をお薦めするよ。
 繰り返すけど今の僕は自分で自分をコントロールできるかどうか分からないからね」

 僕らの事にかこつけて、板額はそう言って望月先輩を脅した。いや、あの板額の事、ひょっとしたら挑発したのかもしれない。僕は自分の彼女ながら板額がちょっと怖くなった。もし、僕が浮気しようものなら確実に殺されるかもしれない、なんてこの時僕は思ってしまった。
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