ハンガク!

化野 雫

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第百話

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 次の瞬間、僕は胃のあたりに強い衝撃を感じた。

 そして、喉の奥から苦い味を伴った物が逆流してきた。同時に衝撃を受けた辺りから激しい痛みがずしんずしんと沸き起こって来た。

 思わず僕はお腹を抱えてその場にへたり込んだ。胃が激しく痙攣し嘔吐を止める事が出来なくなっていた。結局、僕は胃に残っていたものを全部吐き出していた。

「おいおい、たった一発で休憩はないだろ。
 君が休憩するなら代わりに緑川君に相手をしてもらおうか?」

 僕のみぞおちに、手加減なしのアッパーカットを加えた望月先輩が勝ち誇った顔で見下ろしながらそう言った。あの不気味な悪魔の笑みはまだその口元に張り付いたままだった。

 僕は出来ればもう少しこのまま床にうずくまっていたかった。でも、緑川の名を出されて、そんな悠長なことを言ってはいられない。僕はみぞおちからずしんずしんと沸き起こり続ける痛みの波に耐えながら立ち上がった。

 よろよろとたちがるや否や、今度は左の脇腹に強烈な圧力を感じた。

 僕の体はその圧力に耐えられず、そのまま右の方へ吹っ飛んだ。

 望月先輩の右回し蹴りがもろに左の肋骨あたりに決まったのだ。さっきみぞおちに受けたのとは違う切り裂かれるような痛みがそこから沸き起こった。

 それは今まで経験したことのない様な痛みだった。僕は飛ばされた床の上で蹴られた左脇を押さえてのたうち回った。肋骨が折れたかもしれない、僕はそう思った。


「だから言ったろ、休憩には早いって」

 望月先輩の声がしたすぐ後だった。緑川のくぐもった悲鳴が聞こえた。僕は苦痛にのたうちながら緑川の居る方を見た。

 すると、緑川を押さえていた男が、今は羽織っているだけになっていた緑川のブラウスをはぎ取っている所だった。すぐに緑川は淡いブルーのブラとショーツだけの姿にされてしまった。

「やめろ! 緑川には手を出すな!」

 僕はその光景を見るや否や、体に残る苦痛を忘れ立ち上がり無我夢中で叫んでいた。

「そうそう、そうやってすぐに立ち上がってもらわなきゃね」

 そんな僕を見て望月先輩はそう言って笑うと、何故か僕の前から離れて行った。


 僕はこのリンチがこれで終わったのかと思い少し安堵した。しかし、こんな程度で終わるはずもない事は、あの望月先輩の蛇の様な執念深さを思えばすぐ分かる事だった。

 案の定、望月先輩は一旦最初に座っていた所に戻ると、そこに置いてあった竹刀を持って戻って来た。

「さあ、体も少し温まって来たので、これからが本番だよ」

 望月先輩はそう言ってまたあの悪魔の笑みを浮かべると、両手で竹刀を上段に構えた。そしてそのまま真下に振り下ろした。僕はその瞬間、頭上に衝撃と痛みが来ると思い無意識に両手で頭を覆った。しかし、まるで切り裂かれるような痛みと衝撃が襲ったのは、頭ではなく僕の右わき腹だった。

 大上段から振り下ろされた望月先輩の竹刀は、僕の頭を交わた後、その太刀筋を90度曲げ、僕の脇腹を打ったのだ。面と見せかけて胴を狙う、それは剣道の達人である望月先輩なら訳もない事だった。それに望月先輩は最初に言っていたじゃないか。傷跡は服を着てれば目立たない様にすると。それが事実なら狙ってくるのは僕の胴回りだけって事になる。

 僕は、前の様に床にへたり込んでのたうち回りたいのをぐっとこらえて立ち続けていた。だって、ここでまた床にへたり込めば、今度こそ緑川がどうなるかはわからない。


 その後は、文字通り袋叩きと言うか滅多切りだった。まるで練習用の人形を打つように望月先輩は僕を竹刀で叩き続けた。

 不思議と苦痛はだんだん薄れていった。いや、確実に苦痛はあるのだろうが、僕の精神がその痛みを感じる事を放棄してしまった様な感じだった。苦痛を感じない分少しは楽になった。その代わり、経験したことのない凄まじい疲労感が襲ってきた。同時に、激しい眠気も。

 眠気?

 正確に言えば少し違うかもしれない。思考がまとまらないと言うか、考える事すらもう面倒くさくて、しんどいという感じ。いますぐにでも深い眠りについてしまいたい、そういう感じだった。

 でも、その一方、深い霧に包まれてしまった様になった僕の思考回路のほんの片隅、そこに残ったかすかな冷静さが警告を発していた。

 その眠気は危険な眠気だ。
 身を任せれば二度と立ち上がれない。
 もし倒れれて二度と立ち上がれなくなれば緑川はどうなる?
 それを理由に緑川は望月先輩の好きにされるぞ。

 その言葉が、今にも消えてしましそうな僕の意識をかろうじて留めていた。
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小説の匣
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