ハンガク!

化野 雫

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第七十六話

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 案の定、三日後のクラス会議では、ほぼ満場一致で僕らの文化祭の出し物は白瀬の小説原作の演劇に決まった。それを受けて白瀬はすぐに脚本を起こす事になった。白瀬は何と二日後には脚本の第一稿を完成させて持って来たのだ。細かい部分でまだ煮詰める必要はあるだろうが、その脚本はそのまま決定稿にしても間違いなさそうな程の完成度だった。

 その為、その脚本を暫定決定稿とし、それに従って配役が決められることになった。

 その配役決定会議で、僕はその主人公役に祭り上げられた。それは、当時僕らのクラスにおける僕の立ち位置からすれば当然と言えば当然の流れだった。そして、今の僕ならば全力で拒否るところだが、その時の僕は意外にすんなりとその役を引き受けた。当時の僕は、周りから推されて主人公役に抜擢された事を喜んでいたのだ。当時の僕はそう言う奴だった。もちろん、表向きは仕方なしに引き受けた風を装っていたが、その実、出来れば自分でその主人公に立候補したかったくらいだった。でもまあ、さすがにそこまで図々しくはなれなかった。

 一方、緑川の方はと言うと、こっちは結構、納まる所に納まるまで大変だった。クラス委員とか、その手の雑務関係のクラス代表なら緑川は立候補はしないまでも推薦を受ければ、まず間違いなく引き受けていた。そこは、あの緑川の事、けっして自身の功名心からではない。そこで自分が面倒な役を拒否すれば、他の者にその役が回って、その者の負担が増す事を嫌った彼女なりのやさしさからだろう。その辺りは今も昔も変わらない。そうだ、表向きは遠慮しながら、内心では功名心を燃やしてした当時の愚かな僕と彼女は違うのだ。

 ところが、その緑川がこの配役だけは何故か全力で拒否したのだ。彼女曰く『私は、裏仕事は出来ても、人前で役を演じるなんて目立つ事なんか出来ない』と。その時の僕は、さすがの緑川でも、多くの、しかも自分のクラス以外の生徒達に注目される演劇の舞台に立つ事にはやはり恥ずかしさがあるのだろうと、思っていた。しかし、実際にはそれだけではなかった様だ。

 後々、緑川本人の口から聞いた所によると……ヒロイン役と言うのは僕が演じた主人公の恋人役でもあり、その当時から僕に密かな好意を抱いていた彼女には、その設定がとてつもなく恥ずかしかったのだそうだ。しかし、緑川が拒否したところで、その役を引き受けてくれる女子など居なかった。

 すったもんだの挙句、緑川はしぶしぶ、ヒロイン役を引き受ける羽目になった。これも緑川から後に聞いたんだが、当時、クラスの大多数の女子達は皆、緑川の僕への想いに薄々気づいていたらしい。その為、その緑川の想い人である僕の相手役など誰もやろうとは思わなかったのだ。それは疑似的ではあるにせよ、クラスの人気者である緑川の想い人を横取りする泥棒猫的行為と思われたのだ。

 当然、その当時の僕はそんな事などまったく気がつきもしない初心うぶなお子様だった。この時期の男子なんて人一倍性的好奇心は旺盛な癖に、こう言う微妙な恋心って奴にはまったく鈍感な物なのだ。それは僕だって例外じゃなかった。

 そんなこんなでヒロイン選抜にはやや難航したが、その他の配役、大道具小道具の制作担当などの割り当てなどは順調に決まっていった。そして、この時は誰もがこのまますべてがスムーズに進んでゆくと思っていた。

 事実、その後は僕と緑川を含めたキャストはセリフ覚え、演技ともに覚えも良く、本番かなり前の段階で通し稽古が出来るまでに仕上がっていた。その為、表現を含めた細かいセリフや演技の修正に多くの時間を掛ける事が出来、キャストの誰もが自身の役造りをより深める事が出来た。もちろん、キャストのみならず、他の大道具小道具等の裏方スタッフの作業も予定以上にスムーズに進み、本番数日前には僕らの演劇は誰もがほぼ完成の域に達したと感ずることが出来るまでになっていた。総監督役……本人はそう言われる事をすごく恥ずかしがっていたが……の白瀬自身も、その頃には自身の小説が原作となったこの舞台の成功を確信するまでになっていた。

 それでも、まだこの舞台に満足できていない者が僕らのクラスには居た。そう、それは間違いなく、確実に一人は居たと僕は断言できる。何故なら、満足できていないその一人は他ならぬ僕自身だったからである。
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小説の匣
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