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第七十二話
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板額が知っていた。あの事を板額が知っていた。
僕は激しく動揺した。
いや、待て。今、板額は……
『与一の事なら何でも知っているからね』
と言っただけじゃないか。
そんな事、今まで板額は同じ様な事を何度も僕に言っている。あの事まで知っているとは限らない。もしあの事を知っているなら僕とこんなに深い付き合いをしようとは思わないはずだ。あの事件以前から僕の近い場所に居て、あの事件の全てを当事者の一人として見て来た緑川ならまだ可能性はあるだろう。そう、もし事件の前から緑川が僕に好意を抱いていてくれたのなら可能性はある。しかし、その時は完全な第三者だった者が、あの事件を後から知ってその中心人物だった僕に好意を抱くだろうか。男同士ならまだ分からないでもない。それが女の子で、しかも板額の様に僕にその身を任せようとするほどの好意を抱く者があるだろうか。しかも僕からアプローチしたのではない。板額は自分から僕に対して積極的にアプローチをして来たのだ。
憐れみ。
そう板額のそれは、可哀そうな僕に対する憐れみなではないのか?
彼女は、見かけや言動とは全く違う、『聖女』の様な女の子ではないのか?
僕の心にそんな言葉が浮かんだ。
嫌だ。そんなのは嫌だ。
もう僕にとって板額は無くてはならない大事な女の子だ。
でも、板額が憐れみで僕の傍に居るならそれは男として屈辱でしかない。
あんな過去を持った僕ではあるが……、
いやあんな過去を持っている僕だからこそ、そんな憐れみなど欲しくない。
僕は自身が問いかけた疑問に、僕はそう答えていた。
もしそうなら君は、板額と今の関係を終わらせることが出来るのかい?
僕であって僕でない様な存在が、その口元に薄ら笑いを浮かべて問い掛けた。
出来るさ。
そんなの普通じゃない。
普通じゃない関係は長くは続かない。
絶対に不幸な結末が待っているだけだ。
僕はそう答えた。
じゃあ、板額とはもう終わりで良いんだ。
もう二度とあんな風に触れ合う事も出来ないんだよ。
奴が嫌な笑いを浮かべつつそう言った。
出来るさ。
僕にだってまだ男としての誇りの欠片くらいある。
僕はすぐさまそう答える。
本当に?
奴が蔑んだ笑いをその口元に張り付けたまま、すぐさまそう聞き返した。
僕はすぐさま何か答えようとした。でも言葉は出なかった。そうだ、僕は知っているのだ。もうここまで来たら板額を自分から手放す事など出来る訳がない。板額が傍に居る甘く甘美な時間を失う事など、今の僕に出来やしない。例え、板額の方から別れを切り出されても、僕はみっともなく板額を引き留めようとするだろう。そして、その事を奴は知っている。だって、奴は僕自身なのだから。
板額と知り合ってまだ数か月。でもいつの間にか板額の存在は僕の心に深く入り込んでいた。確かに、歳頃の男の子なら誰でも持ち合わせる、旺盛な性的な渇望がそこにある事は否定しない。そんな汚い理由も含めて、僕にとって板額はもうなくてはならない存在になっていたのだ。何故だかは分からない。板額が女の子としてこの上なく魅力的なのは分かっている。でも、それだけじゃない。
僕は板額との繋がりが、僕が思っているよりもっと深く長い気がするのだ。しかもそれは男女の恋愛感情はもちろんあるが、その根っこはもう少し違うものから始まってる様な気がしているのだ。ただ、今の僕にはそれが何かは、はっきりとは分からずいた。それはまるで深い霧の遥か先にぼんやりと浮かぶ滲んだ光の様な感じだった。
そして、ついに『それ』は僕に対して明確に牙を剥いて来たのだ。
「平泉、お前さぁ……」
今までと違って閑散としていた僕の机に向かって歩いて来たクラスメイトの尾崎が、僕に戸惑いがちに声を掛けて来た。
尾崎は今までなら、板額、あるいは緑川目当てでいつも僕の席の傍に居た男だ。しかし、ここ数日は僕の所へは来なくなった。何故か、自分の友達と数人で放課後になるとそそくさと教室を出て行っていた。まあ、尾崎に限らず他の奴らも同じ様なものではあった。
そして、今日も真っ直ぐこちらに来るのではなく、何度も歩みを止め、その都度何かを考える様な素振りをしながらこっちへやって来ていた。何より怪訝に思ったのが、いつもならこいつも僕の事を『与一』と呼ぶのに今日に限って名字である『平泉』と呼び掛けて来た事だった。
僕は激しく動揺した。
いや、待て。今、板額は……
『与一の事なら何でも知っているからね』
と言っただけじゃないか。
そんな事、今まで板額は同じ様な事を何度も僕に言っている。あの事まで知っているとは限らない。もしあの事を知っているなら僕とこんなに深い付き合いをしようとは思わないはずだ。あの事件以前から僕の近い場所に居て、あの事件の全てを当事者の一人として見て来た緑川ならまだ可能性はあるだろう。そう、もし事件の前から緑川が僕に好意を抱いていてくれたのなら可能性はある。しかし、その時は完全な第三者だった者が、あの事件を後から知ってその中心人物だった僕に好意を抱くだろうか。男同士ならまだ分からないでもない。それが女の子で、しかも板額の様に僕にその身を任せようとするほどの好意を抱く者があるだろうか。しかも僕からアプローチしたのではない。板額は自分から僕に対して積極的にアプローチをして来たのだ。
憐れみ。
そう板額のそれは、可哀そうな僕に対する憐れみなではないのか?
彼女は、見かけや言動とは全く違う、『聖女』の様な女の子ではないのか?
僕の心にそんな言葉が浮かんだ。
嫌だ。そんなのは嫌だ。
もう僕にとって板額は無くてはならない大事な女の子だ。
でも、板額が憐れみで僕の傍に居るならそれは男として屈辱でしかない。
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そんなの普通じゃない。
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僕はそう答えた。
じゃあ、板額とはもう終わりで良いんだ。
もう二度とあんな風に触れ合う事も出来ないんだよ。
奴が嫌な笑いを浮かべつつそう言った。
出来るさ。
僕にだってまだ男としての誇りの欠片くらいある。
僕はすぐさまそう答える。
本当に?
奴が蔑んだ笑いをその口元に張り付けたまま、すぐさまそう聞き返した。
僕はすぐさま何か答えようとした。でも言葉は出なかった。そうだ、僕は知っているのだ。もうここまで来たら板額を自分から手放す事など出来る訳がない。板額が傍に居る甘く甘美な時間を失う事など、今の僕に出来やしない。例え、板額の方から別れを切り出されても、僕はみっともなく板額を引き留めようとするだろう。そして、その事を奴は知っている。だって、奴は僕自身なのだから。
板額と知り合ってまだ数か月。でもいつの間にか板額の存在は僕の心に深く入り込んでいた。確かに、歳頃の男の子なら誰でも持ち合わせる、旺盛な性的な渇望がそこにある事は否定しない。そんな汚い理由も含めて、僕にとって板額はもうなくてはならない存在になっていたのだ。何故だかは分からない。板額が女の子としてこの上なく魅力的なのは分かっている。でも、それだけじゃない。
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そして、ついに『それ』は僕に対して明確に牙を剥いて来たのだ。
「平泉、お前さぁ……」
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尾崎は今までなら、板額、あるいは緑川目当てでいつも僕の席の傍に居た男だ。しかし、ここ数日は僕の所へは来なくなった。何故か、自分の友達と数人で放課後になるとそそくさと教室を出て行っていた。まあ、尾崎に限らず他の奴らも同じ様なものではあった。
そして、今日も真っ直ぐこちらに来るのではなく、何度も歩みを止め、その都度何かを考える様な素振りをしながらこっちへやって来ていた。何より怪訝に思ったのが、いつもならこいつも僕の事を『与一』と呼ぶのに今日に限って名字である『平泉』と呼び掛けて来た事だった。
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