72 / 161
第七十二話
しおりを挟む
板額が知っていた。あの事を板額が知っていた。
僕は激しく動揺した。
いや、待て。今、板額は……
『与一の事なら何でも知っているからね』
と言っただけじゃないか。
そんな事、今まで板額は同じ様な事を何度も僕に言っている。あの事まで知っているとは限らない。もしあの事を知っているなら僕とこんなに深い付き合いをしようとは思わないはずだ。あの事件以前から僕の近い場所に居て、あの事件の全てを当事者の一人として見て来た緑川ならまだ可能性はあるだろう。そう、もし事件の前から緑川が僕に好意を抱いていてくれたのなら可能性はある。しかし、その時は完全な第三者だった者が、あの事件を後から知ってその中心人物だった僕に好意を抱くだろうか。男同士ならまだ分からないでもない。それが女の子で、しかも板額の様に僕にその身を任せようとするほどの好意を抱く者があるだろうか。しかも僕からアプローチしたのではない。板額は自分から僕に対して積極的にアプローチをして来たのだ。
憐れみ。
そう板額のそれは、可哀そうな僕に対する憐れみなではないのか?
彼女は、見かけや言動とは全く違う、『聖女』の様な女の子ではないのか?
僕の心にそんな言葉が浮かんだ。
嫌だ。そんなのは嫌だ。
もう僕にとって板額は無くてはならない大事な女の子だ。
でも、板額が憐れみで僕の傍に居るならそれは男として屈辱でしかない。
あんな過去を持った僕ではあるが……、
いやあんな過去を持っている僕だからこそ、そんな憐れみなど欲しくない。
僕は自身が問いかけた疑問に、僕はそう答えていた。
もしそうなら君は、板額と今の関係を終わらせることが出来るのかい?
僕であって僕でない様な存在が、その口元に薄ら笑いを浮かべて問い掛けた。
出来るさ。
そんなの普通じゃない。
普通じゃない関係は長くは続かない。
絶対に不幸な結末が待っているだけだ。
僕はそう答えた。
じゃあ、板額とはもう終わりで良いんだ。
もう二度とあんな風に触れ合う事も出来ないんだよ。
奴が嫌な笑いを浮かべつつそう言った。
出来るさ。
僕にだってまだ男としての誇りの欠片くらいある。
僕はすぐさまそう答える。
本当に?
奴が蔑んだ笑いをその口元に張り付けたまま、すぐさまそう聞き返した。
僕はすぐさま何か答えようとした。でも言葉は出なかった。そうだ、僕は知っているのだ。もうここまで来たら板額を自分から手放す事など出来る訳がない。板額が傍に居る甘く甘美な時間を失う事など、今の僕に出来やしない。例え、板額の方から別れを切り出されても、僕はみっともなく板額を引き留めようとするだろう。そして、その事を奴は知っている。だって、奴は僕自身なのだから。
板額と知り合ってまだ数か月。でもいつの間にか板額の存在は僕の心に深く入り込んでいた。確かに、歳頃の男の子なら誰でも持ち合わせる、旺盛な性的な渇望がそこにある事は否定しない。そんな汚い理由も含めて、僕にとって板額はもうなくてはならない存在になっていたのだ。何故だかは分からない。板額が女の子としてこの上なく魅力的なのは分かっている。でも、それだけじゃない。
僕は板額との繋がりが、僕が思っているよりもっと深く長い気がするのだ。しかもそれは男女の恋愛感情はもちろんあるが、その根っこはもう少し違うものから始まってる様な気がしているのだ。ただ、今の僕にはそれが何かは、はっきりとは分からずいた。それはまるで深い霧の遥か先にぼんやりと浮かぶ滲んだ光の様な感じだった。
そして、ついに『それ』は僕に対して明確に牙を剥いて来たのだ。
「平泉、お前さぁ……」
今までと違って閑散としていた僕の机に向かって歩いて来たクラスメイトの尾崎が、僕に戸惑いがちに声を掛けて来た。
尾崎は今までなら、板額、あるいは緑川目当てでいつも僕の席の傍に居た男だ。しかし、ここ数日は僕の所へは来なくなった。何故か、自分の友達と数人で放課後になるとそそくさと教室を出て行っていた。まあ、尾崎に限らず他の奴らも同じ様なものではあった。
そして、今日も真っ直ぐこちらに来るのではなく、何度も歩みを止め、その都度何かを考える様な素振りをしながらこっちへやって来ていた。何より怪訝に思ったのが、いつもならこいつも僕の事を『与一』と呼ぶのに今日に限って名字である『平泉』と呼び掛けて来た事だった。
僕は激しく動揺した。
いや、待て。今、板額は……
『与一の事なら何でも知っているからね』
と言っただけじゃないか。
そんな事、今まで板額は同じ様な事を何度も僕に言っている。あの事まで知っているとは限らない。もしあの事を知っているなら僕とこんなに深い付き合いをしようとは思わないはずだ。あの事件以前から僕の近い場所に居て、あの事件の全てを当事者の一人として見て来た緑川ならまだ可能性はあるだろう。そう、もし事件の前から緑川が僕に好意を抱いていてくれたのなら可能性はある。しかし、その時は完全な第三者だった者が、あの事件を後から知ってその中心人物だった僕に好意を抱くだろうか。男同士ならまだ分からないでもない。それが女の子で、しかも板額の様に僕にその身を任せようとするほどの好意を抱く者があるだろうか。しかも僕からアプローチしたのではない。板額は自分から僕に対して積極的にアプローチをして来たのだ。
憐れみ。
そう板額のそれは、可哀そうな僕に対する憐れみなではないのか?
彼女は、見かけや言動とは全く違う、『聖女』の様な女の子ではないのか?
僕の心にそんな言葉が浮かんだ。
嫌だ。そんなのは嫌だ。
もう僕にとって板額は無くてはならない大事な女の子だ。
でも、板額が憐れみで僕の傍に居るならそれは男として屈辱でしかない。
あんな過去を持った僕ではあるが……、
いやあんな過去を持っている僕だからこそ、そんな憐れみなど欲しくない。
僕は自身が問いかけた疑問に、僕はそう答えていた。
もしそうなら君は、板額と今の関係を終わらせることが出来るのかい?
僕であって僕でない様な存在が、その口元に薄ら笑いを浮かべて問い掛けた。
出来るさ。
そんなの普通じゃない。
普通じゃない関係は長くは続かない。
絶対に不幸な結末が待っているだけだ。
僕はそう答えた。
じゃあ、板額とはもう終わりで良いんだ。
もう二度とあんな風に触れ合う事も出来ないんだよ。
奴が嫌な笑いを浮かべつつそう言った。
出来るさ。
僕にだってまだ男としての誇りの欠片くらいある。
僕はすぐさまそう答える。
本当に?
奴が蔑んだ笑いをその口元に張り付けたまま、すぐさまそう聞き返した。
僕はすぐさま何か答えようとした。でも言葉は出なかった。そうだ、僕は知っているのだ。もうここまで来たら板額を自分から手放す事など出来る訳がない。板額が傍に居る甘く甘美な時間を失う事など、今の僕に出来やしない。例え、板額の方から別れを切り出されても、僕はみっともなく板額を引き留めようとするだろう。そして、その事を奴は知っている。だって、奴は僕自身なのだから。
板額と知り合ってまだ数か月。でもいつの間にか板額の存在は僕の心に深く入り込んでいた。確かに、歳頃の男の子なら誰でも持ち合わせる、旺盛な性的な渇望がそこにある事は否定しない。そんな汚い理由も含めて、僕にとって板額はもうなくてはならない存在になっていたのだ。何故だかは分からない。板額が女の子としてこの上なく魅力的なのは分かっている。でも、それだけじゃない。
僕は板額との繋がりが、僕が思っているよりもっと深く長い気がするのだ。しかもそれは男女の恋愛感情はもちろんあるが、その根っこはもう少し違うものから始まってる様な気がしているのだ。ただ、今の僕にはそれが何かは、はっきりとは分からずいた。それはまるで深い霧の遥か先にぼんやりと浮かぶ滲んだ光の様な感じだった。
そして、ついに『それ』は僕に対して明確に牙を剥いて来たのだ。
「平泉、お前さぁ……」
今までと違って閑散としていた僕の机に向かって歩いて来たクラスメイトの尾崎が、僕に戸惑いがちに声を掛けて来た。
尾崎は今までなら、板額、あるいは緑川目当てでいつも僕の席の傍に居た男だ。しかし、ここ数日は僕の所へは来なくなった。何故か、自分の友達と数人で放課後になるとそそくさと教室を出て行っていた。まあ、尾崎に限らず他の奴らも同じ様なものではあった。
そして、今日も真っ直ぐこちらに来るのではなく、何度も歩みを止め、その都度何かを考える様な素振りをしながらこっちへやって来ていた。何より怪訝に思ったのが、いつもならこいつも僕の事を『与一』と呼ぶのに今日に限って名字である『平泉』と呼び掛けて来た事だった。
0
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立
水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~
第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。
◇◇◇◇
飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。
仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。
退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。
他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。
おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。
瞬間、青く燃ゆ
葛城騰成
ライト文芸
ストーカーに刺殺され、最愛の彼女である相場夏南(あいばかなん)を失った春野律(はるのりつ)は、彼女の死を境に、他人の感情が顔の周りに色となって見える病、色視症(しきししょう)を患ってしまう。
時が経ち、夏南の一周忌を二ヶ月後に控えた4月がやって来た。高校三年生に進級した春野の元に、一年生である市川麻友(いちかわまゆ)が訪ねてきた。色視症により、他人の顔が見えないことを悩んでいた春野は、市川の顔が見えることに衝撃を受ける。
どうして? どうして彼女だけ見えるんだ?
狼狽する春野に畳み掛けるように、市川がストーカーの被害に遭っていることを告げる。
春野は、夏南を守れなかったという罪の意識と、市川の顔が見える理由を知りたいという思いから、彼女と関わることを決意する。
やがて、ストーカーの顔色が黒へと至った時、全ての真実が顔を覗かせる。
第5回ライト文芸大賞 青春賞 受賞作
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
世界的名探偵 青井七瀬と大福係!~幽霊事件、ありえません!~
ミラ
キャラ文芸
派遣OL3年目の心葉は、ブラックな職場で薄給の中、妹に仕送りをして借金生活に追われていた。そんな時、趣味でやっていた大福販売サイトが大炎上。
「幽霊に呪われた大福事件」に発展してしまう。困惑する心葉のもとに「その幽霊事件、私に解かせてください」と常連の青井から連絡が入る。
世界的名探偵だという青井は事件を華麗に解決してみせ、なんと超絶好待遇の「大福係」への就職を心葉に打診?!青井専属の大福係として、心葉の1ヶ月間の試用期間が始まった!
次々に起こる幽霊事件の中、心葉が秘密にする「霊視の力」×青井の「推理力」で
幽霊事件の真相に隠れた、幽霊の想いを紐解いていく──!
「この世に、幽霊事件なんてありえません」
幽霊事件を絶対に許さない超偏屈探偵・青木と、幽霊が視える大福係の
ゆるバディ×ほっこり幽霊ライトミステリー!
男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件
美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…?
最新章の第五章も夕方18時に更新予定です!
☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。
※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます!
※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。
※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!
異世界でぺったんこさん!〜無限収納5段階活用で無双する〜
KeyBow
ファンタジー
間もなく50歳になる銀行マンのおっさんは、高校生達の異世界召喚に巻き込まれた。
何故か若返り、他の召喚者と同じ高校生位の年齢になっていた。
召喚したのは、魔王を討ち滅ぼす為だと伝えられる。自分で2つのスキルを選ぶ事が出来ると言われ、おっさんが選んだのは無限収納と飛翔!
しかし召喚した者達はスキルを制御する為の装飾品と偽り、隷属の首輪を装着しようとしていた・・・
いち早くその嘘に気が付いたおっさんが1人の少女を連れて逃亡を図る。
その後おっさんは無限収納の5段階活用で無双する!・・・はずだ。
上空に飛び、そこから大きな岩を落として押しつぶす。やがて救った少女は口癖のように言う。
またぺったんこですか?・・・
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる