ハンガク!

化野 雫

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第六十四話

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「まあ、良いよ、与一。
 こうなる事は前々から分かって事だからね。
 彼氏に特殊な性癖があっても、ある程度まではこだわらない主義だからね」

 すまなさそうにしている僕を見て、板額はそう言って笑った。でもその笑いは少し怖い感じがした。

 いや、口ではこだわらないと言ってても君は明らかに今こだわったよね、って僕は思わず言いそうになった。でもここはぐっと堪えた。その辺り、僕だって、もう板額の扱い方にかなり慣れてきているのだ。

 しかし、緑川相手でも板額は僕に分かるほどの嫉妬心は燃やさなかった。でもこの篠原さんと言うメイドさんには、あの板額が僕に気づかれる程の嫉妬心を燃やした。と言う事はこのメイドさん、ただのメイドさんとはちょっと違うのかもって僕はこの時思った。そして、旧家のお嬢様に仕えるメイドさんだから、もしかして『リアル戦闘メイド』さんかも、なんて僕は厨二病的妄想も少ししてしまった。

「お嬢様、そちらの方が与一様でございますね」

 板額の言葉を聞いてメイドの篠原さんが尋ねた。

「ああそうだよ。
 与一はかなり重症なメイドフェチだから篠原さんも気を付ける様にね」

 板額はそう言って悪い笑みをその口元に浮かべた。

 おいおい、そんな事、篠原さんに言わなくても良いじゃないか。それじゃ僕がまるで篠原さんを狙う変態みたいに聞こえるぞ、って喉元まで出そうになったけど僕はぐっと堪えた。そうなのだ。ここでそう言っても板額相手じゃ絶対に余計に不利な状況に追い込まれるだけなのだ。

 結局、そう言われても僕に出来るのはただバツが悪そうに笑うだけだった。

「板額お嬢様。
 今の世の中、殿方が私達メイドに良からぬ妄想を持つのは致し方ない事です。
 なにせ、世の中には私達メイドの事を誤解させる様な物が溢れてますから。
 特に多感な歳頃の男の子ならなおさらです」

「だってさ、与一。
 篠原さんが理解あるメイドさんで良かったね。
 もし君が望むなら篠原さんとのデートをセッティングしてあげるけど?」

 そんな僕に篠原さんはそう言って理解を示してくれた。とてもありがたい事である。また、こういう対応がそつなく出来るってのが本物のメイドさんなのだろう。でも、それを聞いた板額が言った言葉にはかなり棘がある様に僕には聞こえた。

「板額さん、お願いですからもう許してください」

 そんな板額に僕はたまらずそう言って白旗を掲げた。僕は彼女の前で他の女の人に興味を示す事がどれほど恐ろしい事かこの時初めて知った。同時に、あの緑川との密会を板額に見つけられた時、僕が無事でいられたのは、本当に奇跡だったと胸を撫でおろしたのだった。

「お嬢様も与一様も、玄関先では何ですのでどうぞおあがり下さいませ」

 そんな僕らの様子を見て篠原さんはくすくす笑いながらそう言ってそれとなく僕に助け舟を出してくれた。この辺りの対応、なんて素敵なメイドさんだろうと僕は思った。


 そして、僕は板額の部屋の応接室に通された。あの玄関の造りと言い、ここまで来る間の廊下と言い、そしてこの応接間と言い、ここはもうマンションの一室と言うより、完全に一戸建ての和風住宅だ。ワンフロアーに和風建築の一軒家を建てたと言うのが一番しっくり来る。僕の住んでる部屋と比べると、とても同じマンション内にあるとは思えない程だ。

 そこは、明治大正時代にタイムスリップした様な畳の和室に洋風の家具を置いた応接間だった。このフロアー全体が和風に造り直されているのは板額の趣味なのか、あるいは板額の後見人の趣味なのかどっちなんだろうと僕はふと思った。


「京都の大奥様から送っていただいた紅茶でございます。
 こちらの焼き菓子も先ほど焼き上がったものですので是非温かい内にどうぞ」

 応接間に案内された後、一旦、下がった篠原さんが紅茶のティーポットとカップセット、それにフィナンシェと思われる焼き菓子が盛られたお皿をワゴンで運んできてくれた。

「では、ごゆっくり。
 御用があればいつでもお呼びくださいませ」

 そして、手早く、テーブルの上にそれらを移し並べるとそう言って応接間を出て行った。その所作のどれもが無駄なくでも優雅でついつい見とれてしまいそうだった。でも、あまり篠原さんばかり見詰めているとまた板額の機嫌が悪くなりそうなのでその辺りは特に気を付けていた。
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小説の匣
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