ハンガク!

化野 雫

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第六十一話

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「君が僕の両親の事を気にして遠慮するならその心配はないよ。
 部屋に両親はいないから……」

 そんな僕に板額はそう答えた。その時、板額が浮かべた笑みが少し寂しげだったのを僕はよく覚えている。

「そっか、お出かけ中なんだね」

 でもその時の僕はその事をたいして気にも留めていなかった。いや、それどころかとんでもない勘違いをしていた。

 板額が家に誰も居ないから僕を誘ったと思ったのだ。

 さっき、途中で板額が拒否ったのも、やっぱりここが誰も来ないとは言え外である事が理由だったんだ。幸い、今日は両親がお出かけ中でこの先は安心して僕に身を任せられる自分の部屋が良いって思ってんだ。
と僕はその時、咄嗟に思った。そして、このすぐ後、僕はこんな浅はかな事を考えた自分をすごく後悔する事になる。

「違うよ、与一。
 今の僕に君の様な両親は居ないんだ。
 まあ、戸籍上は居るには居るけどあくまで戸籍上だけ」

 板額はそう答えた。

 僕はこの瞬間、否が応でもあの板額の寂し気な笑みの理由が分かった。僕だって馬鹿じゃない。腐っても葵高の生徒なんだ。板額のこの短い言葉で板額の抱えている事情がほぼ見えた。そして、それは僕が今の今まで想像だにしていなかった事だった。

 板額は両親を何らかの理由で失っている。そして今は誰かの養子になっているのだ。たぶん、その事情でこんな凄い所に住んでいるなら、その人から経済的庇護を受けているのだろう。そうなると板額は今、かなり複雑な環境に居る事になる。

「板額、君は……」

 僕は思わずそう口を開きながら言葉が続かなかった。

 だって、ここから先は非常に微妙な事なのだ。僕だって父親を失っているから分かる。僕の場合、まだ母が健在で、しかもその母が曲がりなりにも成功して社会的にも経済的にも今はかなり恵まれている。それでも何も知らない、特に両親健在で僕らからすれば何不自由のない人たちから、同情とかされても嬉しくないのだ。いや嬉しいどころか憐れみを感じられた様に思えて腹立たしくなる時もなる。もちろん、それがすべて善意から出た言葉でもだ。

 まして、もし、僕の想像通りなら板額は両親を失っている。ひょっとしたら天涯孤独の身かもしれない。その上、誰かの養子になっている様だ。そしてその養父母はかなりの資産家らしい。一見、孤児にとってそれは幸せとも見えるが、逆にこういう場合の方が本人には大きなストレスがかかっている場合が多い。かく言う僕だって実の母が人気作家で経済面とかではすごく恵まれているけど、それはそれで色々と結構ストレスが多いのだ。

 思えば板額の、普通の女の事はかなり違った性格はそれが原因なのかもしれない。

 そこまで考えた時、僕はふと、先ほど僕の行為を強く拒んだ板額の事が頭に蘇った。

 まさか! 僕はとても嫌な事をその時、思ってしまった。それを想像した自分が嫌になった。でも今の僕には、今まで僕が抱いたすべての疑問に一番、すっきりする答えを出してくれる様に思えた。

 全てを失い天涯孤独の身になった美しい少女が生き残る為には、その残された物を最大限に利用するしかなかった。またそんな都合の良い『おもちゃ』を道楽で欲しがる金持ちがこの世には居る。その両者に接点が出来たとしたら。そこまで考えて僕は背筋が寒くなった。

 いけないと思いながら、してはいけない想像をしてしまった。

 どうしようもない悔しさと怒りで喉の奥が苦くなった。思わず握りしめた手に力が入った。

 板額は僕の彼女だ。例え板額が一時でも現実から逃げる為の都合の良い道具として、たまたま目があった僕を選んだとしてもそれでも良いんだ。僕はもう板額を心から愛している。板額が自身の重荷を常には隠して生きているなら、僕はその重荷の少しで良いから一緒に背負ってあげたい。

「与一、君は気にしなくて良いよ。
 それに変な気を使う事もない」

 そんな僕を知ってか知らずか板額はそう言って穏やかな笑みを浮かべた。

「ごめん、逆に君に変な気を使わせちゃったね、板額」

 そうだ。つらいのは板額なんだ。もしかしたら今日は誰に相談できないそう言う事を、やっと僕に相談しようと決意していたのかもしれない。そんな板額に、自身の無秩序な性欲丸出しにしてさっきあんな事をしてしまった自分が急に嫌になった。

 そうだ、彼氏としてその板額に気を使わせるような事しちゃダメだ。ここは頼りがいのある彼氏を演じなければ、と僕は思い直した。
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