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「私が殿下にお会い出来ないのは、何も今に始まった事では無かったわね…」

 
 婚約が決まった後の殿下と私は、殿下の留学の準備が忙しいからという理由で、それ以降何故か一度も会う事が叶わず、唯一、手紙のやり取りだけが許されていた。

 初めて貰った殿下からの手紙に記されていたのは母の病状を気遣う言葉だった。

『その後、お母様の具合はどうですか?
気をつけて見てあげてね。何か変わった事に気が付いたら必ず僕に知らせて。医師の手配をするから…』

 ……他には何も無い。

 当時まだ9歳だった私でも思った。

 これって婚約者に送る手紙なのかしらって。

「普通、婚約者への手紙ってもっとこうロマンティックなものよね?」

「え?…ロマンティックですか…?」

 子供の私がそんな事を言うなんて思わなかったのだろう。アンナは驚いて目を見開いた。

 殿下からの手紙の余りの素っ気なさに、私はアンナに手紙を見せた。だって殿下からの手紙には、人に見られて恥ずかしい事なんて何一つ書かれていなかったんだもの…。

 あの時のアンナの反応…。今思い出しても笑ってしまう。

「何ですか、これは? 縦読みとか炙り出しの類でも無さそうですし…」

 縦読み?炙り出し?

 「アンナって本当に面白い事を言うわね」

 私が笑うと、アンナは「え? そうですか?」ときょとんとした顔をした。

 それにしても殿下から頂いた手紙の内容。

 "変わった事に気付いたら必ず僕に知らせて。医師の手配をするから……"

 ……どうして……?

 お母様はきちんとお医者様に診て貰っているのに?

 伯爵家にだって主治医はいる。何故殿下がこれ程までにお母様の病状を気にする必要があるんだろうか? 私はずっと不思議に思っていた。

 それから暫くして、私には王太子妃教育が課される様になり、殿下はセレジスト帝国にある貴族学院に留学される為、国を発たれた。私と殿下は婚約したにも関わらず、たった一度の顔合わせだけで殿下が留学から戻られる迄の5年もの間、離れ離れに過ごす事になった。

 大陸全土の盟主として君臨する巨大帝国セレジスト。

 そこにある貴族学院は、周辺各国の王侯貴族の子息達が帝王学を学ぶ為の施設として知られている。彼らはここで12歳から17歳までの多感な時期を過ごし、ダンスやマナーに始まり、各国の言語や情勢、国や領地を治める為の知識など多彩なカリキュラムの中から、自分にとって必要な知識を自身で選択して学ぶ事が出来る。それと同時に、各国から留学生を受け入れているこの学院では、普段は難しい他国の次世代を担う子息達との交流を図ることが出来るのだ。

 王家に生まれた殿下にとって、セレジストへの留学は幼い頃から決められていた既定路線であった。とはいえ、留学から戻られた時、殿下はもう17歳だ。その頃には殿下に身分や年齢が釣り合うような令嬢は既に婚約者がいる可能性が高い。だから殿下が留学される前に婚約者を決めておこうというのが王家の意向だった。

 そして伯爵家の娘である私が殿下の婚約者に選ばれた理由もまたセレジストに関係していた。

 私、ディアーナ・ミカルディスの母リアーナはセレジストの皇女

 だったと過去形なのは、母はその身分を自ら捨てたからだ。

 というのも、私の父ジーク・ミカルディスもまた、若い頃伯爵家の嫡男として領地経営を学ぶ為、貴族学院に留学をしていた。そして同じく在学中だった母リアーナと出会い恋に落ちた。だが、いくら父が嫡男だと言っても小国メルカゾールのしがない伯爵家の息子。対して母は大国セレジストの第一皇女だった。しかもセレジストの皇位継承権には男女の差別は無い。その為母は当時、皇太女の立場にあった。

 周りの誰も望まない身分違いの2人の恋は、当然周りからの猛反対にあう。それでも2人はお互いを諦める事が出来ず、母が家族も立場も全てを捨てる形で2人は結ばれた。そんな2人だったから、子供の私から見ても本当に仲睦まじい夫婦だった。ただ、私の知っている母は何時もベッドの上だった。生まれつきあまり体が丈夫では無かった母は、私を産むと産後の肥立が悪く床に伏す事が増えたという。

 気弱になった母は、祖父に何度も手紙を送ったが、祖父から返事が戻ってくる事は無かった。

 それでも母は何時も言っていた。

「わたくし、お父様に逆らったのは初めてだったの。だから少し怒っているのね。でもね、ジークが側にいてくれて貴方が産まれた。わたくし、今とても幸せなの。だから後悔なんてしていないわ。何時かきっと、お父様も分かってくれる日が来るわ」と……。

 そんな中、私と殿下の婚約が結ばれた。

「彼女はセレジスト皇帝シナール陛下の孫娘で、青き血の流れた高貴な令嬢だ」

 あの日、陛下はそう言った。

 そこには、例え母が国を捨てた皇女だったとしても、そして祖父シナールが父と母の婚姻を未だ認めていなかったとしても、私は間違いなくセレジスト皇帝シナールの血を引いた孫娘なのだという王家の思惑があったのだろう…。








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