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第1話
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「彼女のことは許さない」それが義父様が遺した最期の言葉でした。
その日、突然容態が悪化した義父は、私の手を握り締めそう呟くと、悔しそうに顔を歪ませながら静かに息を引きとりました。朝から父の運営する商会の仕事を手伝いに行っていた私は、この時何も知らなかったのです。私の留守の間に義父様に一体何があったのか、そして義父様の言う許せない彼女とは誰なのかも。
この頃の私は、侯爵家が負う多額の負債の返済に忙殺されており、他の事を考える余裕なんて無かったのです。ですが、私がもっと早くに気が付いていれば、この後の運命が変えられたのかも知れない…。
今となってはそれが残念でなりません…。
*****
それは今から5年前、私がまだ16歳の時でした。我が家の寄り親貴族、トラマール侯爵家の嫡男ウィリアム様から私宛てに婚姻の申し込みがありました。
格上の、しかも寄り親貴族からの縁談話。本来なら光栄な事なのでしょう。ですが、両親はこの縁談に難色を示しました。
それもそのはず…。
侯爵家は投資の失敗で多額の負債を抱え、いまや没落寸前の状態。ウィリアム様には婚約者がおられましたが、その事が原因で破談になったと聞いておりました。
「寄り子の我が家なら断らぬと思っての事だろう…。だが、アリエルは我が家の1人娘。我が家には後継ぎはアリエルしかおらん。それを嫁に欲しいなどと…。巫山戯たことを。これでは持参金目当てなのは明白ではないか。だがウィリアム様とて分かっているはず。侯爵家の背負う借金は、もはやそんな端金ではどうにもならん。それでもこうして申し込んで来ると言う事は侯爵家は余程切迫詰まっているのだろう。そんな家に可愛いお前を嫁がせる訳にはいかん!」
「そうよ、アリエル。誰が好き好んで大切な後取り娘を、態々苦労すると分かっている家に嫁がせたいと思う親がいますか? この話はお断りしましょう」
両親はそう言って反対したけれど…。
私は嬉しかったのです。だって私にとってウィリアム様は、初恋の人だったから。
「お父様もお母様も知っているでしょう? 私は子供の頃からウィリアム様には本当の妹の様に可愛がって頂いたわ。そのウィリアム様が困っていらっしゃるのなら、何とかしてお力になって差し上げたいのです」
寄り親と寄り子の関係にあるトラマール侯爵家とガーネット伯爵家は、私がまだ子供の頃は共同で事業をしており、頻繁に行き来がありました。その上、お母様と侯爵夫人は従姉妹同士。そのため、私とウィリアム様はお互いが一人っ子同士と言う事もあり、本当の兄妹の様に仲が良かったのです。やがて私はウィリアム様に仄かな恋心を抱く様になりました。
ですがそれは、私の一方的な片思いで幕を閉じます。ウィリアム様はバネッサ様と言う、とても美しい方とご婚約なさったのです。私は幸せそうに寄り添うお二人を見ているのが辛くなり、侯爵家からどんどん足が遠のいていきました。
軈て、両家の共同事業が終わりを迎えると、何故か両親も侯爵家とは距離を置くようになったのです。その後暫くして侯爵夫人が亡くなると、完全に両家の行き来は無くなってしまいました。そんな訳で、私とウィリアム様はもう何年もの間お会いしてもおりませんでした。
それなのにウィリアム様が私を思い出し、こうして婚姻を望んで下さった事が私は無性に嬉しかったのです。
ウィリアム様の元へ嫁ぎたい…。私は両親に告げました。でも、両親は頑なに2人の婚姻に難色を示すのです。来る日も来る日も話し合いと言う名の言い争いが続きました。
ある日、父が怒りに任せて口にします。
「お前は何も分かってはおらん! いいか? あの家はな…」
そこまで言ってから父はハッとした様に口を噤みました。
「どうしたの? 侯爵家に何かあるの?」
父の様子を見て不思議に思った私が尋ねても、父は、「あ…いや…」そう言ってはぐらかします。
そして、とうとう…。
「分かった。お前がそこまで言うのなら、この話をお受けしよう」
父は諦めた様にため息を吐きました。
「但し、生半可な苦労では済まないぞ。それでも覚悟は出来ているんだな?」
父は私の目を見て、もう一度確認しました。
「はい! ウィリアム様と一緒ならどんな苦労にも耐えられます」
私はそう言って大きく頷きました…。
この時の私は信じて疑わなかったのです。例えどんな理由があったとしでも、私はウィリアム様に望まれて嫁ぐのだ。だから、どんなに困難な事があったとしても、2人で共に乗り越えていけるのだと。
その日、突然容態が悪化した義父は、私の手を握り締めそう呟くと、悔しそうに顔を歪ませながら静かに息を引きとりました。朝から父の運営する商会の仕事を手伝いに行っていた私は、この時何も知らなかったのです。私の留守の間に義父様に一体何があったのか、そして義父様の言う許せない彼女とは誰なのかも。
この頃の私は、侯爵家が負う多額の負債の返済に忙殺されており、他の事を考える余裕なんて無かったのです。ですが、私がもっと早くに気が付いていれば、この後の運命が変えられたのかも知れない…。
今となってはそれが残念でなりません…。
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それは今から5年前、私がまだ16歳の時でした。我が家の寄り親貴族、トラマール侯爵家の嫡男ウィリアム様から私宛てに婚姻の申し込みがありました。
格上の、しかも寄り親貴族からの縁談話。本来なら光栄な事なのでしょう。ですが、両親はこの縁談に難色を示しました。
それもそのはず…。
侯爵家は投資の失敗で多額の負債を抱え、いまや没落寸前の状態。ウィリアム様には婚約者がおられましたが、その事が原因で破談になったと聞いておりました。
「寄り子の我が家なら断らぬと思っての事だろう…。だが、アリエルは我が家の1人娘。我が家には後継ぎはアリエルしかおらん。それを嫁に欲しいなどと…。巫山戯たことを。これでは持参金目当てなのは明白ではないか。だがウィリアム様とて分かっているはず。侯爵家の背負う借金は、もはやそんな端金ではどうにもならん。それでもこうして申し込んで来ると言う事は侯爵家は余程切迫詰まっているのだろう。そんな家に可愛いお前を嫁がせる訳にはいかん!」
「そうよ、アリエル。誰が好き好んで大切な後取り娘を、態々苦労すると分かっている家に嫁がせたいと思う親がいますか? この話はお断りしましょう」
両親はそう言って反対したけれど…。
私は嬉しかったのです。だって私にとってウィリアム様は、初恋の人だったから。
「お父様もお母様も知っているでしょう? 私は子供の頃からウィリアム様には本当の妹の様に可愛がって頂いたわ。そのウィリアム様が困っていらっしゃるのなら、何とかしてお力になって差し上げたいのです」
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ですがそれは、私の一方的な片思いで幕を閉じます。ウィリアム様はバネッサ様と言う、とても美しい方とご婚約なさったのです。私は幸せそうに寄り添うお二人を見ているのが辛くなり、侯爵家からどんどん足が遠のいていきました。
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それなのにウィリアム様が私を思い出し、こうして婚姻を望んで下さった事が私は無性に嬉しかったのです。
ウィリアム様の元へ嫁ぎたい…。私は両親に告げました。でも、両親は頑なに2人の婚姻に難色を示すのです。来る日も来る日も話し合いと言う名の言い争いが続きました。
ある日、父が怒りに任せて口にします。
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そして、とうとう…。
「分かった。お前がそこまで言うのなら、この話をお受けしよう」
父は諦めた様にため息を吐きました。
「但し、生半可な苦労では済まないぞ。それでも覚悟は出来ているんだな?」
父は私の目を見て、もう一度確認しました。
「はい! ウィリアム様と一緒ならどんな苦労にも耐えられます」
私はそう言って大きく頷きました…。
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