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六章 魔王城

仲間の意味

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 スイだってわかっていた。
 いつからだろう。
 気が付いたら、彼が大切な人だと意識していた。
 或いは、出会った最初の時からかもしれない。

 それでも自分は勇者だからと、責任感に乗っ取られたみたいな思考で動き続けた。

 ――だって、しょうがないじゃないか。

 優れた頭脳は様々な事に勘付いていた。
 きっと、こうして剣を交える事だって予見していた。だから意識的に、考えないように、知らないふりをした。

 それでもこうして顔を向き合わせてしまえば、様々な感情が溢れ出てくる。

 若くなったな。
 どうしてここにいる。
 俺の事に気付いていたのだろう。

 だが、たった一つも言葉に出来ずに、また、彼の事も言葉以外の材料で判断していた。

 俺に剣を向けたな。
 今のは避けなければ死んでいたぞ。
 まだ剣を拾うんだな。

 だからそれが父の――幼きスイが最も憧れた人の――答えだと知れて、唯一無二の正解なのだと思えた。

 ――俺も彼も間違っていない。皆が救われる唯一の方法なんだ。

 スイは自分を殺して、勇者になった。

 ステュに止められた時は、思わず何かが決壊してしまいそうだった。
 それでも、偉大なる父――いや、魔王は、勇者の信念を貫き通せと言った。

 世界を救えるのは勇者しかいない。
 仲間を守れるのは勇者だけで。
 平和を築くのは勇者の義務なのだ。

 そうだ、もう迷わない。
 走り出した漆黒を迎え討とう。


「さようなら、勇敢な魔王」


 無の境地、正しく達人の域に達したスイの剣は、魔力解放を伴った身体能力の高さも相まって、最早誰にも止められないかと思われた。

 これが運命。
 正常な時の流れは、誰にも覆す事などできない。
 スイはもう、敵を見ていない。
 世界に動かされる身体は剣を握り。
 その剣が振り抜かれた先で誰かを斬ったとしたら、そいつは死ぬ運命だったという事。

 神速の剣は、裁断を下すかの様に振り下ろされる。

 そして遂に、下された。
 永遠の様で一瞬の様な、硬直した空気を切り裂くかの如く鋭い音を響かせて、剣は床に突き刺さった。
 誰も捉えていなかった。
 何故なのか。
 それはロイが剣でいなした所為だった。


「やめろって言ってんだろ馬鹿野郎!」


 衝撃。
 弟のマサを幻視した。
 こんなに幼い少年に、自分は守られたのか。
 守られた?
 一体何を?

 ロイの向こう側を見れば、同じようにして、ミラが手に持った長杖でミチルの剣を止めていた。

「貴方達が戦う理由が、一体どこにあると言うんですか!」

 ミラも叫ぶ。
 馬鹿を言うな。
 貴様達を守る為に戦っているのだろう。
 スイの慢心を見透かしたように、ロイは言う。

「俺達が守られる対象だって勘違いしてるなら、今ここで訂正してくれ。俺たちはアンタと一緒に戦いたいんだ」

 守るべき存在だった彼が、強い瞳でスイを見つめる。

「だから、戦うべき相手を間違えないでくれよ」


「……間違い?」

 ――俺が何を間違った?

 全てを守る為に、たった一つの選択を、今まさに成し遂げようとしていたのに。
 邪魔をしたのは誰だ?

「間違ってなんかいない!」

 スイの中で、何かが決壊した。

「自分の力も測れん奴が、理想ばかりを口にするな!出来ない事を目指す愚か者に、一体何が守れると言うんだ!」

 この場にいる誰もが、初めて見るスイの感情。

「全てを守らなくてはならない勇者が、どうして無責任な道を選べると思う!?失敗したら全てが終わるんだ!」

 表層で取り繕った、不真面目な怠惰なスイ。
 その奥底にいる正義の少年が、悲壮に満ちた表情で、今は訴えている。

「誰もが救われる手段が……たったこれだけなんだ。わからないのか?俺も含めて、この世界の生物は皆、箱庭の中で生かされているだけなんだ」

 だから自分に出来ることは、箱庭の清掃や、害虫駆除、それだけなのだ。
 そして、何より――

「何より……アンタが出した答えが……これなんだろう?」

 サファイアブルーの瞳は悲哀の色を際立たせて、ミチルを突き刺した。

 ずっと、幼い頃から憧れていた父の正義。
  スイのヒーローはまさにスイの道徳観を育んだ本人だ。
 そんな彼が出した答えを、どうして否定できるというのだ。


「わからないわ。全くわからない。貴方達が親子だった事もわからなかったし、どうして再会を喜ぶ事が出来ないのかもわからない。それに、聡明なスイが、どうして簡単な答えに行き着かないのかもわかりません」

 武器を下ろしたミチルを確認してから、ミラも武器を仕舞う。
 スイを振り向きながら、偶にミチルに視線を送りながら、話をした。

「でもね、思い返せば不確定な事ばかりだったんです。初めてスイが召喚された時だって、貴方が真面目に働いてくれるのかもわからなかったし。怠惰な性格の裏で何をしようとしてるのかも、誰もわからなかった。デヴィスさんもそう言っていたわ」

 思い出したように小さく笑った後、ミラは少しだけ寂しそうにした。

「でも、ここにいる“仲間”を見て。私達はこの世界の真実すらわからなかったのに、貴方に着いて行くにつれて、やっと自分の頭で物事を考えられるようになったみたい。全て貴方が教えてくれたのよ。……だから今度は私達が貴方に教えてあげたい」

 スイは知らなかった。
 自分に対する、ミラの評価を。

「この世界の人々は、貴方が思ってるほど弱くはないわ。全てを一人で守ろうとしないで下さい。それではリクハートと同じ答えしか出ないわ」

 スイは少し目を見開いた。
 冷たくなって凝り固まっていた頭が、ミラの言葉によって解されていくようだった。

「仲間って言うのはね、お互いに助け合う関係の事を言うのよ。私達は貴方を助けたいし、貴方の幸せを願っているわ。ねえ、皆んなを幸せにしようとする勇者が、自分の幸せを犠牲にするなんて間違っているものね?」

 スイの剣を止めたロイとステュも、いつもそばに居たメリーも、ミラの言葉に頷いた。

「それと、私達が一番わからない事は、どうして奔放なスイが、たった一つの事を出来ないと決め付けてしまうのか、ということよ。孤高という存在は極めて強大だけども、皆んなを繋ぐ絆っていうものも人を強くするって事、スイは知ってましたか?」

 スイはいつかの暗闇を思い出していた。
 大切な人との絆を見失った時、大きな傷を負ったあの日を。
 そうか、大きいのは悲しみだけではないのだ。
 この関係が自分に与える影響というのは無視できない。
 それくらい強大なのだ。
 その繋がりに、漸く目を向けたスイは、自覚した。

 ――自分が守りたかったのは、この強い絆だったのだ。

 その絆は、繋がれた先で、相手も守ろうとしてくれている。
 だから強固になる。
 今、スイには幾つもの絆を見る事が出来た。
 その中で最も古くて強い繋がりを、今手繰り寄せる。


「どうか仲間達を頼って、何も考えずに、自分の望みを口にしてください」

 何も考えずに。
 勇者以前に。
 フェンリルが言ってくれた事を思い出した。

『少年の我儘なら、大人が叶えてくれる』

 許されるだろうか。
 十五歳の息子として、父に願いを告げる事。


 滲んでいる視界に、昔見た光景が蘇る。

『お父さんは正義のヒーローだからな。スイが呼べばいつでも助けに行くぞ』

 幼い頃、買い物中に迷子になった時だったか。
 知らない地下の道で、知らない大人に視線を向けられ、恐ろしい思いをしていた時だった。
 その場から逃げるように走って人気のない場所に行き、感情のままに泣き喚いていた時だった。
 突然抱き上げられ、目を開くと、何度も呼び続けた父の姿。
 その時感じた温もりは、安心感と心強さを伴って、スイの胸にいつまでも残っていた。


 また、心強い言葉で慰めてくれるだろうか。
 また、優しい言葉で安心させてくれるだろうか。



「……とう……さん……俺を……俺たちを……助けて……」



 皆が危険に晒されるとか、愚かな反逆だとか、否定的な言葉が幾つか浮かんだが、震えるスイの身体を抱きしめたのは、いつかの温もりだった。



「――っすまない!俺が……間違っていたんだ!もう、決して離さない……!当たり前だ、俺が全てまとめて救ってやる!絶対に……二度と悲しませるもんか……!」


 単純でいて複雑な道を、遠回りしながら怯えながら、踏み外しそうになる道を仲間に支えられながら。


 何度も出会った二人は、漸く再会を果たした。
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