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四章 仲間
不器量なエルフ
しおりを挟む生まれ方は、一つではない。
彼女はそれがわかっていたから、自分が湖のほとりにいる時には何も異常を感じなかった。
あらゆる知識はあった。
しかし記憶は無い。
だから彼女は、その時点を自身の生の始まりだと考えた。
立ち上がり、辺りを見回す。
周りは何処も緑。自分よりもずっと背の高い木に囲まれている。
一歩、湖に近寄り、中を覗いた。
水面に映るのは、こちら側を覗く自分。その瞳が淡く光り、彼女は第一声を発する。
「……ステューシー」
それが、彼女が見た自分の名前だった。
見えた事項はそれだけではない。
「……エルフ?」
そう、種族名はエルフであった。
この“眼”が正しい事は知っているし、体の内側を巡る魔力がエルフのものだと判断がついた。身体的特徴である耳も尖り気味だ。
しかし、もう一つの身体的特徴。それは第一印象と言っても過言ではない。
エルフ特有の美貌が、ステューシーには全く無かった。
透き通る肌も、滑らかな髪もない。
水面に映る少女は、艶が少ない赤茶色の髪の毛を背中まで伸ばし、頬にはそばかすがあった。
――私は不器量なんだ
ステューシーがそう感じたのは種族のせいである。
もしも人間であれば、彼女の容姿は素朴で愛嬌があると可愛がられるものであろう。
つまり、不器量だと感じるのは、種族の引け目である。エルフが皆美しいから、その常識に当てはまらない自分が少し後ろめたく感じた。
しかし、いつまでも落ち込む彼女ではない。
生まれたから生きる、それが道理なように、生きるから歩く。
ここは惑いの森。幻惑魔法がかかっているが、ステューシーの眼があれば間違いなく目的地に辿り着ける。
しかし彼女は自分が何処へ向かっているのかわからなかった。ただ、歩く。野暮な事など考えずに。
そんな中出会ったのだから、これは運命と言えるのかもしれない。
「おや、見ない顔だね。里の子じゃないね」
木の実を採取していた女性がステューシーに気付き、声を掛ける。
「初めまして、ステューシーと申します。今さっき生まれました」
「……よくわからない事を言うね。私はファテマ。里外れに住んでいるよ。 アンタ、もしかして記憶喪失か何かじゃないの?容姿も人間みたいだし、人から産まれたのかもしれないね」
高年齢層に見える彼女は、不老長寿のエルフには珍しい。その点では、不器量なエルフと似ていたのかもしれない。
しかし彼女の言う言葉が正しいとは、ステューシーは思えなかった。ただ、それを議論しても仕様がない。
「さあ、私にはわかりません。里に行けば私は生きられるでしょうか」
「……身寄りがないのか。よかったらうちに来ないかい?その代わり、里の者に会わないこと、生活の手伝いをする事が約束だ」
「是非、よろしくお願いします」
これが二人の生活の始まりだった。
「今日はキノコ狩りに行ってきてくれるかい?他人に会わないように気を付けるんだよ」
「はい、ファテマ様」
ステューシーは名前を呼ばれる事は滅多に無かった。二人しかいないのだから不自然では無いのだが、少し淋しく感じるのが子供であろう。
里外れの一軒家から、里とは反対方向に歩き出す。里に向かった事は一度もない。それが約束だったからだ。ただ、その理由まではステューシーは聞かなかった。
「あ、フーガさん。今日も会いましたね」
背負った木の籠に、食せるキノコを入れて半分ほどになった時、近頃よく会う獣人に出会った。彼は里の者ではないから約束は破っていない、とステューシーは考えている。
本当は、彼に会うのも良くないのかもしれない。せめて彼に会った事を話した方が良いだろう。きっとファテマさんは自分を心配してくれているのだから。そうは思うが、ファテマはステューシーと一緒に居ることが滅多にないし、居ても会話は少ない。彼女はステューシーが出掛ける時は家に居て、帰ってくると出掛けてしまう事が多い。
「俺の行動範囲は広いからな」
だからステューシーは、保護者よりも言葉を交わせる友――フーガと会える事を、お使いの度に期待していた。
「フーガさんはどうして淋しくないのですか?」
彼と会ったのは両手で数えきれなくなってきた。そんな彼はいつも一人だった。
「こればっかりは特性としか言いようがないさ。一人を好むのが俺だ。しかし、ステューシーは誰かと共にいたいのだろう?」
「はい、いくら醜い容姿だとしても、物語の登場人物みたいに皆んなで集まって笑ってみたいです」
「醜いなんて言うな。お前は可憐だ。それに俺に絡んでくる双子のエルフは美貌こそ持っているが、ステューシーの様な美しい立ち振る舞いは出来ん」
やれやれ、と両掌を上に向けて首を振るフーガ。彼がこんなリアクションをとるのはステューシーの前だけである。
「で、話を戻すが、皆と共にいたい、というのがステューシーの特性なのだろう。俺は一人でいる時に精神が安定し、力を発揮できる。お前は皆といる時に力を発揮できるのだろう。だから孤独に慣れようとしなくていいさ。望めばいつか仲間が出来る。……そういえば、眼の事も話していないのか?」
フーガはステューシーの特別な眼の事を知っていた。しかし、「ファテマ様は知りません」と彼女は答えた。
保護者が子供の事を何も知らないなんて正気ではない、フーガはそう思った。
ステューシーから聞く話では、ファテマも一人が好きなのだろう。いや、一人じゃないと病気になってしまう様な者かもしれない。彼女は徹底的にステューシーを、里の者を避けるのだ。
それならなぜステューシーを保護したのか。
いくら里の者と会わない生活をしていても、ステューシーという面倒を里の者に押し付けるくらい出来るだろう。そうしなければ共に暮らすか、見捨てるしか道がない。そんな中で、ファテマにとって一番面倒な、共に暮らすという道を選んだ。フーガにはそれが解せなかった。
「森の外はどんな世界が広がってるのでしょうか」
正確に森の出口の方角を見つめる彼女の眼は美しかった。この眼で世界を歩いたら何が見えるのだろうか。
「お前が読む物語の様に美しい世界ではない。何かを疎み、虐げる。そんな人間が我が物顔で大陸をのさばっている。……辛い事を言う様だが、今の世界に、俺ら亜人族にとって夢はない」
ステューシーも知識として、この世界の地図や歴史は知っていた。だが、実際に森の外を知っている彼から聞く話は、知識よりも重たく悲しみを与えられる。
「では、こうして暮らせる森がある事は幸せな事なんですね……」
徹底的に排除される魔族よりは、亜人はマシなのだろう。それはフーガも同感であったが、それでも幸せだとは思えない。
だからこそ、こんなに健気な少女が気に入っていたし、彼女の幸せを心から願っていた。
「では、私はこれにて失礼します。また会えたら嬉しいです」
そう言って少女は戻って行く。フーガは「気を付けろよ」と片手を上げる。
彼女の為に自分に何が出来るだろうか。
友達探しか。しかし自尊心の高いエルフは不器量なエルフを受け入れられないかもしれない。その点では、ファテマはよく生活させてやってると思う。だが、彼女は他者を避ける。保護した子供すらも。それがステューシーを堪らなく悲しませるから、フーガは憐れんだ。
では人族の意識を変え、亜人を受け入れさせるか。それこそ無理な話だ。一人の獣人に出来ることなどたかが知れてる。
フーガは悔しさに舌打ちをし、小さく呟いた。
「俺もお人好しになっちまったな……」
他人の為にここまで思い詰める事などなかったのに。
彼は健気な少女に影響されつつあった。
ステューシーがキノコ狩りから帰ると、花を愛でていたファテマは急に立ち上がり、外に出て行った。
「日が暮れたら帰るわ。夕食の支度を頼むわね」
ステューシーはこの家に来てから働いてばかりだ。逆にファテマは殆ど何もしていない。長寿のエルフなんてそんなものである。
だがステューシーは今の生活に不満を言うつもりはない。自分を受け入れてくれる者はファテマ以外にいないと知っていたからだ。
「さあ、夕食を作ったら本を読みましょう」
それに、この家の書物がステューシーは好きだったのだ。魔法の専門書も、物語も、様々なジャンルがあるが、どれも好んだ。
そんな生活が一年続いたある日の事。ファテマは出掛けており、ステューシーは家の窓から外を眺めていた。この窓はマジックミラーの魔法がかけられており、外側から内側を見る事は不可能だ。
ステューシーは近頃自分の目が良くなっている事に気付いていた。ファテマの前では使わなかったが、一人で森を歩く時など、偶に植物の情報などを見る。その情報が少しずつ増えていたのだ。更には、遠くや気配を見る事も可能になった。
「……人が沢山来ますね」
遠くの木の間から――木の陰に居ても見えるのだが、そこを歩くのはエルフ、人間、獣人、それと、漆黒であった。
そう、たった一人黒に塗り潰されて見えない情報があった。だが、ステューシーはそういうこともあるのか、と大して気にしなかったし、興味は別の事に移った。
人族の一人が残され、こちらにやって来たのだ。
(まさか、私の視線に気付いたのでしょうか)
相手は人族だ。この世界の亜人にとって、恐れる存在。だが、ここから見た人族は亜人と共に歩いていた。
一体一人で何をしに来たのか、ステューシーが家の中で身構えている時、とうとう人間が家の前までやって来た。
「……出て来てくれると助かる」
改めて“視た”時、ステューシーは驚愕した。
「ゆ、勇者……?」
なぜ勇者が自分なんかの元へやって来たのか。
しかしそれを考える程頭は冴えてなく、まるで言葉に従うように、目を丸くしたままステューシーは家の外に出た。
「ステューシーだな?もしもお前が望むなら、その力を役立てたいと願うなら、俺たちについて来て欲しい」
今度は勇者の方が驚いた様な顔をしていた。まるで自分の言葉を信じられない、とでも思っている様だ。
しかしステューシーはそれを気にしていられない。
何故名前を知られているのか。何故力を知られているのか。何に役立つのか。
疑問は濁流の様に押し寄せては、流れてゆく。次々に押し流されて、最後に頭に残ったのは。
「貴方に、ついて行きたい……」
それはずっと抱いてた望みであったから。
物語の英雄はいつも仲間に囲まれていた。仲間がいればどんな事だって乗り越えられると言っていた。
ステューシーにはその言葉が何よりも美しく思えた。絆が、自分を強くしてくれる鍵だと思った。
淋しい生活の中で臨んだ仲間が、いま現れた。
彼らは信用できるのか。彼らは何を成そうとしているのか。
何も知らないままステューシーは宣言してしまったが、疑心はこれっぽっちもなかった。そもそも彼女は人を疑う様な子ではないし、何よりも。
――なんて美しい言葉でしょう
勇者の喋り言葉が、とても綺麗だったのだ。まるでエルフ特有の魅了魔法に掛けられた様な心地良さがある。勿論ステューシーにはそんな子供騙しの魔法は効かないし、声にそういった魔力がこもっているわけでもない。
だが、彼の言葉で正義を語ったとしたら、それは例外なく全ての人々の心に響くだろう。そういった魅力が秘められていた。
「では、支度をしてから里の中央、木の下の家に来てくれ」
そう言い残して、勇者は去って行った。
風のような人だ、とステューシーは思った。
だが、これから自分も彼について行くのだ。
詳しい話は追々聞くとして、早く準備をしようと家に戻る。だが全く自分の物が無かったため、直ぐに手持ち無沙汰になってしまった。
後は挨拶をする為、ファテマが帰ってくるのを待つだけ。フーガにも挨拶をしたいが、彼には旅立つ時に会えるだろう。そういえば勇者達はフーガに会ったのかもしれない。彼から私の話を聞いたのだろうか、とステューシーは考える。
その間にも何度もファテマを待つか否かと考えた。勇者達を待たせるのは悪い。
そこでステューシーは思い付いた。
森全体を視ればいいと。
今の自身の力ならファテマ一人探すくらい出来る気がした。
そして、目を閉じて探す。
里の中にはいない。
では外だ。
どこに行っているのだろうか。
どんどん外側を探す。
気配を探る。
彼女の魔力はどこに。
途中でフーガが見つかった。
だが、それだけだった。
これ以上外側を探すとなると、ファテマは森の外へ出た事になる。
つまり、いないのだ。
「どう、して……?」
この眼は正しく機能してた。それは間違いない。
だからこそ、ファテマはいない――少なくとも森の中には――という結論が出た。
では、自分を生活させてくれていた者は、一体何だったのだろうか。
ステューシーは、ただただ呆然とそこに立ち尽くしたのだった。
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