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三章 漆黒

孤独を求めて

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「おかえりなさいませ!依頼達成の報告ですね?」

「あ、あぁ、そうなんだけどよ、別件で不可思議な現象を報告したいんだが……」


「なあ、それってもしかして俊足の白い動物か?」

「お前も見たのか?だが俺が見たのは金色が通り過ぎるところだった。それでよ、その後には倒れたゴブリンが十体燃えていて、よく見れば二つの牙が綺麗に取られていたんだ……」

「……俺も似たようなもんだな。三体のバーサーカウ暴れ牛が燃えていて、思い返してみれば両の角が剥ぎ取られていたな……」



 受付の前で、自身が目撃した奇怪な事を話し合う冒険者達。それを聞いている受付嬢は、まさかと思いながら今朝の人物を思い出す。

『勇者スイ』

 それは突如として現れた。
 ギルドマスターを保護魔法程度でやり過ごし、冒険者達の関心を引き、我儘を通す為にあの魔法師ミライアを陥れた。
 話の内容や依頼表を片っ端から剥がす行動は傲慢極まりないと思えたが、向けられた瞳は自身の怠惰を物語っていた。
 彼の本当は何なのだろう。
 そして今朝から聞く王都の不思議な噂。いや、王都の外でも冒険者は不思議な現象を目にしている。
 恐らく勇者スイの仕業だろう。
 根拠はある。ゴブリンとバーサーカウの討伐依頼は、両方とも今朝勇者が剥がした依頼なのだ。今はちょうど昼。風より早く走るというのが本当なら、あれ程の依頼でも簡単にこなし、間もなく帰ってくるだろう。
 何故そこまでの実力があって孤独に執着するのだろうか。

 受付嬢が思案していると、やはりギルドの扉が開き、そちらに目を向けた時には既に勇者は目の前に立っていた。

「わっ、お、おかえりなさいませ……」

 建物の中でも俊足なのかと驚きながら仕事をする受付嬢だが、スイは聞く耳を持たず道具袋をドサっと置いた。

「ランクはまだ上がらんか?」

 眠そうな瞳が不機嫌そうにこちらを見ている。受付嬢はそう感じて急いで道具袋の中身を確認した。

「……受注した依頼、九つを全てクリア…………はっ!その他にも捜索依頼を五件クリアと連絡が来ました!……異例の事態なのでマスターに確認して参ります……!」



 スイは一息つくと、併設された食堂に入った。その時に「俺たちが見た奴の正体ってもしかして……」なんて声が聞こえたが、視界にも入れずに素通りした。


「バーサーカウの葡萄酒煮と、人喰い草の香草焼きを頼む」

 二階の窓際に座るスイは注文を済ませて大きく息を吐いた。


 想像以上にしんどい。
 それがスイが抱いた悩みだった。
 体力も魔力もまだ有り余っている。だが、生物を殺して、死体から剥ぎ取りを行う作業が非常に心苦しい。それはまるで、罪のない猫を手にかける保健所の職員になった気分だった。いや、殺しを専門とするのだからもっと深刻か。

「お待たせしましたー。ではお代は報酬から引いておきますねー」

 料理を運んで来た給仕人の言葉に頷く。注文を済ませた後に払う金が無いことに気付いたのだが、間もなく払われる報酬から引く事が了承された。


 スイは美しく盛り付けられた料理を食べることにする。バーサーカウと人喰い草。別の個体だが、どちらもスイが殺した生物だ。思うことが沢山ある故に、スイは深く感謝してから食事を始めた。








「あら、こんな所にいたのね、少し探したわ」

 スイは面倒な者に絡まれたく無いが故に『隠密魔法』を自身にかけていた。食事をしている状態ではせいぜい影が薄くなる程度の効果しかなかったが、それでもスイに目を向ける者はいなかった。だというのにこのギルドマスターは、探した程度でスイを見つけたのだ。スイは「めんどっちぃ」と呟いてから顔を上げた。


「なによ、いい報告に来てあげたのよ。貴方のランクは午前中だけでBランクに上がったわ。前代未聞よ。それからあたし直々に報酬を持って来てあげたの。部位の状態が良いから結構入ってるわよ。今食べてるそれの分は引いてあるわ。それにしても勇者がお金持ってないってびっくりだわ。どうしてミライアさんを遠ざけるのよ?」

 しかしスイはそれに答えず、葡萄酒で柔らかくなるまで煮たバーサーカウの肉を食べ切り、残ったソースをパンで綺麗に拭って最後まで味わい、その後でやっと口を開いた。

「俺はただ孤独を求めただけだ」

 そう言って席を立つスイに、アミゴは何も言わなかった。








 スイが階下に降りて来て依頼ボードを見ている時、ランクが上がったことを知っている受付嬢は「今度はAランク依頼を全て剥がすのだろうか」と考えた。
 しかしスイが持ってきた依頼書は三枚だけだった。もっとも、それでも他の冒険者より多いのだが。そしてスイが言ったのはこんな事だった。

「依頼達成の報告は他のギルドでも良いか?」

「あ、はい、構いませんよ。……なるほど、東側に出現する魔物の依頼だけ受けるのは、そのままエドンシティに行くからですね?」

「うむ。高ランクの依頼を探しに行く。俺が出た後で良い依頼が入ったら紹介してくれ」

「畏まりました。ではいってらっしゃいませ」

 腕の立つ冒険者に高ランクの依頼を紹介する事は珍しく無い。しかしスイはまだBランクだ。それなのに了承してしまう受付嬢は、無意識の内にスイがSランクになる事を確信しているのだろう。
 そんな受付嬢に見送られてスイはホワイトローブを翻して歩き出した。





 ――――――――――――――





 夕陽が差し込む森に、悪態を吐きながら駆ける勇者の姿があった。

「こんなにめんどっちぃとは」

「ははっ、君にも弱点があったんだね」

 隣を軽やかに走るのは、「この森は僕にとって居心地が良いな」と言いながら現れた聖剣の精霊。「呼んでないのに出て来るな」とスイが嫌そうな顔をしたのは言うまでも無いことだろう。


 昼過ぎに王都を出たスイは東に向かい、王都とエドンシティの中間辺りでBランク依頼『ケンタウロスの討伐』とAランク依頼『キマイラの討伐』を容易くクリアした。
 そして最後のAランク依頼『新種の魔鼠捕獲』をクリアする為に、目撃情報のあったエドンシティの北に広がる『惑いの森』付近に近付いたスイ。鼠は容易く見つかった。しかしその捕獲は難解を極めた。
 スイの頭程の大きさの、黒に近いグレーの体毛に埋まった赤黒い瞳と、ミミズが蠢いているのかと見間違う様な生理的嫌悪感を抱く手足。
 スイがゾッとしたのはこの世界の住民にとっては意外かもしれないが、日本人からしたら当然の事であろう。
 その隙に鼠はこの森に逃げ込んだのだ。


 そして今に至る。

 森には魔物では無いウサギやリスが生息していて、スイにはそれらを巻き込んでしまう様な大掛かりな魔法を使う気にはならなかった。それに心地の良いこの森を傷付けたくもなかった。尤も、それならば手掴みで捕獲出来るのかと問われれば頭を悩ませる問題ではあるが。


「でも、いいのかな。ここ惑いの森でしょ?迷い込んだら帰れないって噂だけど」

 スイもそれは知っていた。だが案外速い鼠の捕獲に難儀しており、「迷うなんて面倒臭い」なんて言っている場合ではなくなっていたのだ。

「うるさい。先ずはアレを捕まえるぞ。俺がお前を投げるからしっかり両手で捕まえるんだぞ」

「ちょっ!やめてよやめてよ!僕だって素手で掴むのは避けたいよ!それに君が受けた依頼じゃないか」

「……チッ」

 必死に逃げる鼠とは対象的に、追う勇者と精霊には余裕が見られる。それでも追いつかないのは心理的問題である。その解決策が浮かばないから二人とも無駄話を続ける。追っていればどうにかなると楽観的予測に依頼達成を委ねているのだ。

「それにしてもどうして君はいつも一人でいたがるの?」

「俺が一人でいる夢を見せたのはお前だろう」

「あれは君を導く為のものではあるけど、未来視の様なものさ。君はどんな導き方をしても一人で来ただろう。それに今回だって一人になる為にこんなに面倒な事してるんだよ」

「孤独が好きなだけだ」

「その理由も、怠惰な理由も、君の過去が関係しているのかい?だとしたら欠落勇者だね。君は聖剣の精神補助――心理的恐怖などを軽減する助けも受け付けないみたいだし。君の心は誰よりも強いけど―――酷く歪だ」

 スイは答えなかった。

 精霊は横目でチラリとスイを見て、フッと小さく笑った後に大きく前に跳躍した。
 そして着地と同時に振り向きながら片足で鼠を踏みつけ、拘束する。

「見えない未来を目を凝らすより、記憶に残る過去を振り返る事は簡単で、幸福で、時に残酷だ。過去に縋る事を悪いとは言わないけど、それだけで前に進める程君の人生は安くないだろう」

 緑の香りを運ぶ風が二人の間を吹き抜けて、向き合ったスイに手を差し伸べる精霊。

「孤独と孤高は違う。求めるなら孤高を。失う恐怖に怯えながら手を取り合う事は弱い事じゃないさ。怖いなら取った手は君が守ればいい。出来るでしょ?」



 スイが噤んだ口を開こうか開くまいか、迷いをサファイアブルーの瞳に浮かべている時だった。


 オレンジで照らされたグリーンの中で、白色の光が目立った。その発光元は、精霊に踏みつけられた鼠だった。


「なっ!」

 精霊がスイの反対側に飛び退いた瞬間、光は大きくなり、二つに分かれる。

「ふぅー、とうとう捕まってしまいました」
「でも仕方ないのです。何故って、この方は精霊様です」

 現れたのは、スイより幼い黄髪のよく似た二人の少女。黄色の瞳が精霊の方を向き、次に振り返ってスイを見た。

「こっちの方は誰でしょうか」
「精霊様と仲良しだから悪い人ではないのです」

 何かわかったのか納得顔の精霊と、少し心配顔のスイ。心配事の理由は依頼達成の条件である。

「俺はスイ。人族の勇者だ。お前達と……さっきの鼠はなんだ」

「はっ、勇者様だったのです。挨拶が遅れてごめんなさいです。私はラス」
「私はルス。しかし人族のって言うのは間違いでは?」
「そんな事より質問にお答えします。私たちは人の街を見たくて、外に出たり、逃げたりしていたのです」
「勇者様と精霊様に気付かずに逃げた事はお詫びします」

 人族の勇者が間違いとはどういう意味か。しかしそれに答えは出されず。
 要領を得ない話に精霊が解説した。

「この子達は見ての通りエルフさ。人族に見つかれば殺されかねないからね、変化魔法で姿を変えていたんだろう。しかし、里の外に出ては危ないだろう?」

 言われてみれば長い耳は物語でよく聞くエルフのものだ。それに彼女らの魔力の質は特別だな、とスイは思った。変化魔法というのも聞き覚えがなかった。恐らくエルフ特有の魔法の一つだろう。

「近頃、世界が動き出していると、兄達から聞いたもんで、気になったのです」
「ルス、あんまりお喋りしちゃダメよ」
「そうでした…………んん?」

 二人の少女はこめかみに二本指を当てて目を閉じて唸り始めた。

「…………ごめんなさいです」
「…………直ぐに帰らなくてはなりません」
「…………母様がお怒りなのです」
「必要であればいつか里に招待しますので」
「本日はこれにて失礼です」

 同時に頭を下げた少女は、まるでスケートをするかのように地面を滑りながら奥へ消えた。



 残された二人は少しの沈黙の後、どちらともなく言った。

「帰ろう」

 こういう場合は正直に報告すれば依頼は達成なのだろうか。スイはそんな事を思案しながら歩き、後ろを歩く精霊は空気の読めない二人のエルフを思い出して肩を竦めていた。


「ま、少しずつ成長してよ、勇者スイ」

 精霊は言ってから聖剣に戻っていった。
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