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二章 聖剣
サイガ村
しおりを挟む「……本当か?」
ミライアからスイが居なくなったと聞いたデヴィスは、にわかに信じられない、いや、信じたくないとこめかみを抑えた。
デヴィスは騎士団長だ。魔物の相手もするし、悪人を相手に剣を振るう事も、若手の騎士団員と剣を合わせる事も多い。
そんな日々が続いて十年が過ぎ、いつしか人と剣を合わせただけで相手の感情を読む事が出来る様になった。
そしてそれは勇者に対しても同じだった。
面倒、好奇心、不安、眠気、万能感、緊張、悲哀、少しの恐怖。
初めて合わせた剣からは、非常に多くの感情が読み取れた。その時デヴィスは、勇者と言えど同じ人なのだと実感した。
しかし読み取れる感情は毎日少しずつ減り、最後に剣を合わせた時にはたった一つしか読み取れなかった。
向上心。
スイは勇者の力を持ってなお、貪欲に強さを求め始めたのだ。言わずもがな世界を救う為だろう。
そして、デヴィスは思った。
彼は我々と同じ人ではあるが、それを超越した勇者なのだと。
弱い感情を押し殺し、踏み付けた上に立つ強き存在なのだと。
自分よりもずっと小さく、少し幼い勇者ではあるが、その心は誰よりも強く美しいのだろうと。
だから彼を信頼し、アルバリウシスの為に彼に尽くそうと決意したのに。
「ええ、理由は皆目見当がつきませんが、擬似人形は時間稼ぎが目的だったのでしょう。しかし私たちが空間拡張ポーチを渡した時はおそらく本物でしたよね。となると……」
「わかった、わかった。直ぐに捜索を始める。しかしこの案件は他の誰にも知らさないほうがいいだろう。勇者が逃げ出したなんて噂が立ったら混乱に陥る。だから騎士団員も内密が守れる者だけ動員する」
まさか一人で魔族の大陸へ行ったのだろうか。それならば勇者に対する信頼は変わらないが、危険過ぎる。必ず連れ戻さなければならない。
それとも全て面倒になってどこかの村でひっそり暮らそうとしているのか。それならばスイに対する勇者としての信頼は無くなるが、スイの身は安全だ。
一体自分はどうなる事を望んでいるのか。
自分はあの子に勇者であって欲しいのか、平凡な民であって欲しいのか。
勿論、元の世界に帰す事が出来ればそれが一番良いだろう。元から勇者召喚などするべきではなかった。自分の世界は自分で救うべきだ。
デヴィスはスイと過ごした夜を思い出していた。
グルメなスイが酒を嗜み、少し酔った口調で交えた言葉。その時のスイの目は焦点が合ってない様で。その理由は酔っている事だけじゃなかった様に思える。きっと元いた世界に想いを馳せていたのだろう。
(辛いよなあ)
アルバリウシスの為にスイに尽くすと決意したデヴィスだが、今ミライアから受けた報告で、その決意は少し変わる。
いくら心が強くても傷付かないわけじゃない。なにより勇者になりたくてなったわけでもないだろう。勝手に彼を信頼し、崇めた自分を改め。
――スイの為にスイに尽くすべきだ。
いくら待遇が良くても異世界に置いてきた家族が恋しくないわけないじゃないか。
スイが今どこにいるかわからないが、せめて俺だけでも、きっとあの子の力になってやろう。勇者ではなく、スイの力に。
これは王都の騎士団として間違った選択かもしれないが、自分が憧れたのは騎士団ではなく正義なのだ。それを貫く為にも、不憫な十五歳の少年を助けたい。
「……では、よろしくお願いしますデヴィスさん…………。それと、私はどうしても勇者に人族を救って欲しく思います。彼の力は……強大ですから」
デヴィスの決心など露知らないミライアが自身の希望を漏らす。その希望がデヴィスと正反対だとも知らずに。
「ああ、わかった」と答えるデヴィスだが頭に浮かべていたのは、親の話を聞こうとした時のスイの寂しそうな顔だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
早朝に一人目を覚ましたスイは、鎮火した焚き火の周りでだらしなく眠りこける獣人達を眺めながら大きく伸びをした。
「ミャァ」
おはようと言うように四つの足で立ち上がる雪豹。
スイはその頭を撫でながら、切り株の上に置かれたリンゴを手に取り齧る。
「浄化」
スイが自身にかける補助魔法のそれは、身体と衣服を清潔にするだけではなく、飲酒による寝起きの不調までも消し去ってくれる。
清々しくなったとスイは満足し、そのまま里の門へ歩き出す。荷物はない。身につけたホワイトローブ、空間拡張ポーチ、聖剣。それだけでここまで来たのだ。
そして挨拶もなく里を去ろうと思っていたが。
「…………」
門の前に傷だらけの身体で立つ少年はロイ。
スイは気にせず里の外へ出ようとするが、
「待ってくれよ」
「……何用だ?」
仕方なく足を止める。隣で雪豹も足を止める。この獣は主人を見送りに来たのだ。
「族長から聞いたよ。……貴方がお人好しだって。でも、俺は危険にあってでも救いたいんだ。獣族の仲間を。無駄にはしたくないんだ。獣族の俺たちを守ろうとした父さんの心を」
真っ直ぐに強く輝く紅色の瞳を、スイもまたしっかりと受け止めていた。
「そうか」
「だから、俺を連れて行ってくれないか?」
眠そうな碧色の瞳を見つめたままロイは言った。
「断る」
しかしスイが断った理由は、ロイを心配したわけでも、怠惰故でもない。
「お前がいなくなったら誰がこの里を守る。恐らくここで一番の戦力はお前だ。それからロナはお前がいなくなったら寂しがるだろう。あいつにとって親族はお前だけだ。何より、俺は一人が好きだ。俺と共に来たいのならせめて力を磨け」
ロイは曇らせていた表情を輝かせた。スイは拒否していない。条件を提示した。しかし一体どうすれば良いか。ロナとはしっかり話し合えば大丈夫だろうが、他の二つの問題は……。そう思案するロイに、再び手が差し伸べられる。
「獣族は皆、魔力の扱いが下手くそだ。魔力が少ないわけではないのに。きっと魔力を扱わなくとも、強靭な肉体でカバー出来たからだろう。つまり、魔力の身体強化を身に付ければ戦闘能力は著しく上がる。この雪豹はその術を教えてくれる。皆で励め。皆が己を守れるくらいに強くなれ。そしてお前自身も魔力を高めろ。補助が掛けられた昨夜程の魔力量があれば人族に喧嘩を売られても余裕だろう。そしたら単身で王城に来い。俺は受け入れよう」
その言葉にロイは決意するのだ。
――俺はこの人に着いて行く。
スイは受け入れると言った。しかしその言葉の裏には、スイだけがロイを受け入れるという真実が隠されている。恐らく他の人族はロイを拒むだろう。それなのに単身で来いと言った。
つまりロイの覚悟を確かめる最後の試練だ。
当然ロイの覚悟は変わらない。
「わかった。必ず行くから待っていて欲しい。それから獣人の為に世話焼いてくれてありがとう」
ロイは雪豹に視線をやってから言った。
――獣人達の為に最短ルートのレールを敷いてくれたんだ。俺たちはそこを全力疾走するだけだ。
ロイが強い眼差しで勇者を見据えると、スイは満足したように振り返り、山を登って行く。
別れの言葉はなく、朝靄の中に消えるスイを見送ったロイは雪豹と顔を見合わせて言った。
「よろしく頼むぞ」
獣族の里を出たスイは山頂に登り、山の東端にいた。
そこは崖になっており、遥か下に海面が見える。
「遠視」
補助魔法を唱えて遠くを見渡せば、東に大陸が見える。ミライアの話によればあれが魔族の大陸だろう。そこを真っ直ぐ南に行けば王都だ。
しかしまだ王都には帰らない。
王都から北西、この場所から南東に位置する小高い山。スイはそこを向く。
昨夜使い果たし、短時間で幾らか回復した魔力を練って、スイは崖から飛んだ。
直後、凄まじい風と共にスイは南東に吹き飛ばされる。それはモモンガが空を滑空するようでもあり、あっという間に小山に近付いたスイ。
『飛行魔法』は緻密な風魔法の操作だ。故に慣れるまで集中力や魔力を大きく消費するが、単純な暴風を起こすだけなら大した疲労はない。
故にスイは暴風で小山まで飛んで来たのだ。
尤も、勇者の強靭な肉体と魔力耐性があってこそ出来る荒技なのだが。
ともかく、目的地に近付いたスイは飛行魔法に切り替え、ゆっくりと降り立とうとする。
しかし、交通事故とは予期せぬ場所で、注意していない時に起こるものだ。
「いったぁぁい!朝から不運過ぎる……」
死角から飛んで来た人間にぶつかり、地面に落ちるスイともう一人。
スイは忘れていた。目的地のサイガ村には、アルバリウシスでただ一人と言われている飛行魔法の使い手がいる事を。
「……え?人間?人間にぶつかった!?ぁ、あんた、もしかして空飛んでたの!?」
どうやら不注意は相手も同じだったようで、地に落ち起き上がった緑髪の少女はスイを見て驚いている。
「嘘、あたし以外に飛行できる人がいたんだ!ねえ、あなたどこの人?何しに来たの?」
スイは確信した。自分と同じくらいの歳の少女、彼女は間違いなく面倒な人種だ。故に何事も無かったかのように歩き始め、目的地に向かう。
「ねえ!無視なの!?信じらんない!その冷たさ、王都の人ね!最低!そりゃぶつかったのは悪かったけどさ、飛べる人がいるなんて知るはずないでしょ!?」
大丈夫、ああいう人間はシカトされ続けると自然といなくなるのだ。スイは怠惰を貪る為の人との関わり方を熟知している自信があった。
「ていうかあなたサイガ村に来たならあたしが目的なんでしょ?皆そうよ。あたしのアクロバティックな飛行を見たくてよく旅人が来るの。あなたはあたしの飛行を勉強したくて来たんでしょ?そうでしょ?」
サイガ村。そこは小高い山の上に存在する村。規模はケモンシティの半分程か。村にしては大きなそこは風魔法に優れる者が多く暮らす。いや、常に穏やかに吹き続ける風を浴びるから風魔法に優れるのだろうか。
「ねえ、また飛びましょうよ!あなたの飛行を見せてちょーだい!」
……ともかく、そんな村にやって来た。
「ねーえー!いい加減振り向いてよ!村に着いちゃったじゃない!あ!名乗ってなかったわね。あたしはウェンディよ!あなたは?」
村に着いたお陰で、辺りの村人が不思議そうにスイとウェンディを見ている。
風になびく草花も、ゆっくり回転する水車も心を穏やかにしてくれるのに、この少女のせいで全て台無しだ。この騒々しい少女は本当にサイガ村の民なのか。
「………………スイ」
いつまでも黙らない少女に負けた事と、村人たちに悪く思った事が理由で返答したスイ。
「そう!いい名前ね!じゃあスイ!早速空へ散歩しに行きましょう!!」
しかし黙っていても返事をしてもうるさい少女であった。
「ねーねー、早く行こうってば。私空が好きなの」
どうしようもないと諦めたスイは再び無視を決め込んで歩く。
「あれ、スイはあたしの家に用があるの?」
まだ開いていないサイガ村の衣料店に来て、早かったかと落ち込むスイを見て問いかけるウェンディ。
「……お前の家なのか?プレゼント用に服を買いたいのだが」
スイがサイガ村に来た理由は、メリーのホワイトローブのお返しだ。
スイはメリーのホワイトローブを非常に気に入っていた。だから極上の物を返そうと『アルバリウシス名物図鑑』を調べ、最高品質の衣類を扱う店として『アパレルウェニー』に訪れたのだ。
「へぇー?散々無視してたのに都合が良い時だけ食い付くんだねー?今日はお店休みなんだけどなー、どーしよーかなー」
スイはなんて不運だと歯軋りした。ウェンディがこの店の娘だと知っていれば面倒でもしっかり受け答えしてやったのに。怠惰が招く災難とはこの事か。
どうしようかと考えるスイに助け舟が訪れる。
「あら、お客さん?ウェンディ、お店が休みって聞こえたけどどう言うことかしら、そんな嘘ついて」
「げ、まずい」とそそくさ飛び去っていくウェンディを、ジト目で見送ったスイは安堵の息と共に言った。
「あんたがこの店のオーナーか。実はプレゼントを買いに来てだな……」
緑髪の穏やかな笑顔が似合う女性はウェンディの母で間違い無いだろう。
スイは彼女と相談しながら買い物を済ませ、おまけに美味しいお店を紹介してもらってから店を出た。
「あの騒々しいのが娘だなんて大変だな」
紹介された店に向かう途中、購入したプレゼントをポーチにしまいながら呟いたスイ。ウェンディの母を労ったつもりだが、口は災いの元。
「誰が騒々しいって!?どこまでも失礼ね!」
空から降りたった声に、スイはやはり不運だとため息をついた。
「ねえ今度はどこ行くの?あたし朝ごはん食べたいんだけど」
それなら帰れば良いだろう。そう思いながら、到着した店でスイは大きく葛藤する事になる。
(なんて入りづらい店だ)
ウェンディの母に紹介された店は、周りの木でできた家より小洒落て、その木材は白く染められたり、窓から覗ける店内には花が飾られたりしている。
そしてその店内には二人用のテーブル席しかなく、どこも若いカップルが占領している。
「あ、そこのお店この辺じゃ珍しいカフェオレとクロワッサンが食べられるんだよー?でも一人じゃ入りづらくてねー」
そう言いながらチラッチラッとこちらを伺うウェンディ。
そう、スイがこの店に惹かれた理由はコーヒーとクロワッサンの贅沢朝食の魅力だ。
王都の食堂でコーヒーを飲みたいと言っても調理人や使用人は首をかしげるばかり。故にアルバリウシスにコーヒーは存在しないんだと思っていたスイ。しかしウェンディの母に聞いたカフェオレという単語。
スイはブラック派だが、カフェオレが有名ならコーヒーも美味いだろう。更にクロワッサンまで人気だと言う。スイは王都のクロワッサンはふやけていて、まるでスーパーの菓子パンの様で好きではなかった。
だからなんとしてでも味わいたい。日本にいた時よりもグルメになった舌がアルバリウシスの美味を求めている。もしかしたら母の手料理を味わえなくなった代わりに美味いものを求めているのかもしれないが、兎に角自分には美味が必要だ。
「あーあー。誰か一緒に入ってくれないかなー」
仕方ない。面倒だが、本当に面倒で怠いが、この五月蝿い奴と入るしかないだろう。
スイは腹を決めて、苦痛に耐える様に言った。
「なら、共に食事をしよう」
スイの顔を見て少し悲しそうに「え、そんなにあたしのこと嫌い?」と言いながらも軽い足取りでウェンディは店のドアを押し開けた。
「う、うまいぃい!この微かな苦味を和らげるミルクのコクと甘み!これがカフェオレかぁー」
「バターの香りが広がるクロワッサンもたまらん!いくつもの層が織り成す食感は口の中を彩る芸術の様だよー!」
スイはこいつと同じ感想を持ってしまったと残念がりながらも同じ朝食を堪能していた。
「……でも、そのドス黒いのって、……美味しいの?」
一つ違うのはコーヒーにミルクも砂糖も入れていない事だ。
それはメニューにも載っていなかった為、スイは店員にわざわざ説明して淹れてもらった。
「このコクと深みがわからんお前は騒々しい上にただのガキだという事だな。深めに煎られた豆の香りも存分に味わえる。王都に持ち帰りたい程だ」
「な、なんだとー」と怒りながらも、スイが王都に住んでいるのだと知ったウェンディは満足そうだった。
「へぇー、こんな少年が僕と同じ感性を持っているなんて、感動しちゃうな。苦味に強い大人ですらコーヒーを飲もうとしないのに」
スイの話を聞いた穏やかな雰囲気の黄髪の男は、椅子の背もたれを前にしてその上に腕を乗せて座った。
「僕はこの店の店主だよ。僕もコーヒーが好きで始めたお店なんだけどね、みんな苦いのは嫌だって、カフェオレしか注文しないからコーヒーはメニューから消えたのさ。もしよかったら道具のいくつかと、コーヒー豆を持ち帰ってみるかい?どこから豆を仕入れているかは内緒だけど、味がわかる君になら豆の販売も行うよ」
中年の手前程の年齢の男は凛々しく優しい顔つきで笑うと、奥から様々な道具を持ってきた。
「えーっと、この道具が……」
「いや、わかるからいい。ありがたくもらうとするが……手持ちで足りるだろうか」
驚く男の前で金貨袋を開くスイ。ケモンシティで稼いだ金貨はほとんどプレゼントにつぎ込んでしまった。
「いや、今回に限りお代は要らないよ。スイくんとは仲良くなっておきたいからね。是非今後ともご贔屓に」
さて、自分はこの男に名乗ってはいないが。ウェンディとの会話の中でもスイの名前は出ていない。何故知っているのか、そう問おうとしたスイだが――
「そういえば王都の騎士団が人探しをしているらしいけど……なんでも金髪の少年や碧眼の少年に声をかけてるらしい。……おや、そういえば君は両方の特徴を揃えているね?」
無駄話をしている暇は無くなった様だ。
騒ぎが大きくならない内に帰らないと誤魔化しようもないだろう。
スイは渡された道具と豆をポーチに纏めて仕舞うと、席を立った。
「良い時間だった。豆がなくなったらまた来よう」
スイは二人に向かってそう言うが、ニコニコと見送る店主とは真逆に、ウェンディは「え、唐突に別れを告げるなんて!」と店を出るスイを追いかける。
しかし扉を開いた瞬間、強い風が頬を撫でて。その場にはもうスイの姿はなかった。
微かに聞こえた様な気がした、「バレるなんてめんどっちぃ」という言葉がウェンディの頭に残っていた。
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