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一章 薬屋

第1話 自分の身は自分で守れ

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 翌日の朝。いや、朝というより、夜が明けたばかりの頃。朔は突然叩き起こされたのだ、目の前に座る男に。朔は縮こまっていた。

「さて、病み上がりのところ悪いが、昨日の禍について詳しく話してもらおうか」

 相手は、蛙だった。

 病み上がりって!!治ったかどうかもまだわかんないよ!!こんな夜明けに叩き起こすか普通!?と文句を言いたいところではあったが、蛙の目がギラリと光るので、必死で抑える。隣りに座る松宵も言葉には出さずともご立腹の様子であった。

 仕方なく、朔はここに至るまでの経緯を説明した。禍のこと、そして、鈴鹿に怒縛屋に居ることを正式に許可してもらったことも。蛙は時々質問を交えながら、記録しているようだった。

「あと……声が、聞こえました」

「声?」

 ピクッと反応して筆を止める。

「たぶん、禍の……声。『寂しい、楽になりなたかった』って」

「……それで?」

 朔はあの時の様子を鮮明に思い出す。

「……なんていうか、言葉にしにくいんですけど…悲しい感じがしました」

 蛙は暫く沈黙して、

「同情するのか、禍ごときに」

 表情こそ変えないものの、その声のトーンは下がっていた。まるで怒っているような、不機嫌な声。朔は口籠る。

「……まあいい。大体わかった」

 蛙は立ち上がり、障子を開け部屋を去ろうとする前に、ふと、

「怒縛屋の一員になるということは、わかってるな?役立たずはウチにはいらないからな」

 言い残して、ぴしゃりと閉めた。
 足音が去っていくのを確認してから、

「こ……怖かったぁああ……!殺されるかと思った……!」

 ダラダラと汗が流れ出て、バクンバクンと派手に鳴る心臓を押さえる。

「儂も……あいつ、なんか嫌いじゃ……」

 松宵も怖かったのか、顔が真っ青である。

「同情……か」

 朔はポツリと呟いた。



「はて、某に、でござるか」

 目をパチクリさせて驚く冥叛。持っていた木刀を地面に立てる。
 
「理由をお聞きしても?」

 朔は答えた。

「……ここに来てから、いや来る前から、誰かに助けてもらってばかりというか。そもそもこんな世界でなんの力もないのは、その……早死にすると思って」

 蛙の「役立たずはウチにはいらないからな」と言う厳しい言葉が頭の中で反響する。
 朔は、いや、違う!あんな風に脅されて焦ってとかじゃなくて!違……うくもないけど!と自分に言い聞かせた。

「自分の身は、自分で守れるように……うむ、良い心がけでござる」

 縮こまる朔に、冥叛はにっこりと微笑んだ。朔は、ほ、と胸をなでおろす。
 すると、

「朔!怪我大丈夫ッスか!?」

 心配そうな顔をして二人のもとへ駆け寄って来たのは、影夜丸だった……が、盛大につまずいて朔の目の前で顔面から転ぶ。

「えぇー!?いや影夜丸の方こそ大丈夫!?」

「平気ッス!!」

 親指をぐっと立てて笑顔を見せる彼の鼻からは血が垂れていた。

「眠れば怪我の治りが早くなるみたいだから、私はもう平気だけども……!?」

 冥叛が差し出してくれた手拭いで影夜丸の鼻血を拭いてやる朔。影夜丸は「良かった~」と呑気に安心する。

「阿呆面で眠っておったわい」

 茶々を入れる松宵に「してねぇ!」と朔は言い張った。
 冥叛が「さて」と手をひと叩きして言った。

「では、鍛錬を始めましょうぞ」



 朔と冥叛は向かい合って立つ。影夜丸と松宵は縁側で様子を眺めていた。
 冥叛が口火を切る。

「まずは小手調べといきましょう」

 小手調べ?と疑問に思っていたその時。冥叛の影がぐにゃんと歪み、そこから生えてきた触手の影が朔目掛けて一直線に飛び出して襲いかかってくる。

「いっ!?」

 朔は完全反射的に身体をそらし、回避する。勢いを殺せず、そのまま手を地面に着き、橋状になって身体を支える体勢をとる。

「成る程……」

 と、納得するように頷く冥叛。状況が読めず焦る朔だが、咄嗟の姿勢でプルプルと震えつつも必死で訴える。

「な、何するんですか……いきなり……!」

「おや、気づきませぬかな?」

「な、なにが……」

「昨日の影夜丸殿の鎌を避けた時と同じ、先程の反応速度は到底人間に出来る芸当ではござらぬ。まだ不完全ではござるが、その化け猫の力が作用しているようにござるな」

 そう言って、松宵を指差した。
 松宵はまた化け猫呼ばわりされることに腹を立てたのか、

「化け猫ではない、松宵じゃ!」

「おや、これは失礼致した、松宵殿」

 朔は姿勢を保つのに耐えられず「うっ」とうめき声とともに背中を地面につけた。
 冥叛が続けて言う。

「あとは、基礎体力や体の動かし方を習得する必要がありますな。某の手解きはあまり優しくない故、先に謝っておきますぞ」

 冥叛の目がギラリと光る。朔は「え……」とか細い声を出すしかなかった。



 朔が冥叛に手解きを受けている最中。

 縁側で、影夜丸は隣りに座る松宵に猫じゃらしを差し出す。

「ねこちゃ~~ん、こっちおいで~」

「誰が猫ちゃんじゃ!!!ど突くぞこの青二才めが!!」

 風貌に似つかわしくない怒声を浴びせる松宵。

「え!?猫じゃないんスか!?その風貌で!?」

「ただの猫扱いするなという意味じゃ!!」

「松宵は、朔に何かしてあげないんスか?」

「……どういう意味じゃ」

「いや、朔に取り憑いてるなら、何か力を貸す方法があるんじゃないかと」

「…………」

 松宵は朔に視線を向けると、暫く沈黙する。
 やがて視線を下げると、口を開いた。

「まずは基礎力を上げねば話にならんじゃろ。あやつは今ただの人間の小娘と大して変わりない……身体が特殊になっただけの。儂が出る幕は今はない」

「……」

 影夜丸は松宵をヒョイと抱え上げ、膝の上に乗せる。

「なっ何するんじゃ青二才!!」

 暴れる松宵の頭を抑えて、朔の方を向かせる。

「それなら!ちゃんと見ていてあげなきゃダメッスよ!直接関わってあげられなくても、応援して、見守ってあげなきゃ、相棒なら」

 相棒。松宵にはその言葉が妙に響いた。
 ポツリと呟く。

「……相棒などではないわ」

「よぉしよしよし」

 豪快に撫で回す影夜丸。

「やめろぉぉ」

 松宵は悲痛な叫びをあげていた。



 数時間。

「さて、とりあえずのところはこれで終わりと致そう、朔殿。そろそろ、昼食の支度をしなければ」

「…………は、はい……」

 朔は地面に這いつくばって今にも死にそうなほどヘトヘトだった。走り込みや筋トレなどの基礎体力の底上げに、受け身の取り方を冥叛の触手影と直接対峙しての練習。軽く運動とかいうレベルではなく、もはや訓練だった。それも、病み上がりに対してかなりハードなやり方で。専用服に着替えていたが、それも汗や土で汚れてしまっている。

 冥叛は、普段の穏やかそうな性格とは打って変わって、鍛錬の時は随分と厳しかった。弱音を吐くとすぐ野太い声で「今なんと?」と問いかけられ、身の危険を感じ「なんでもありません!!!」と答えるしかなかった。

 死にかけの朔のもとに駆け寄る松宵。

「……よく頑張ったの。じゃがまだまだ足りぬぞ、鍛錬は始まったばかりじゃからの」

 朔は驚いてキョトンとする。目を見開いている朔に松宵は「なんじゃ」と聞くと、

「松宵が初めて私のこと褒めてくれた、って思って……」

「はぁ?……儂のことなんじゃと思っとんじゃ」

「……冷血……猫……?」

 恐る恐る答えた朔の頭に噛み付く松宵。朔は「ぎゃー」と叫び声をあげ、「やっぱりお前全っ然可愛くないな!!」と吐き捨てた。



 一方、蛙はとある屋敷を訪れていた。門を見上げ、「俺だ」と一声。すると、ゆっくりと扉が開いた。

「蛙様、お久しゅうございます。胡蝶様がお待ちです」

 花緑青色の羽織を頭から被った、長い一本角の少年。表情は無で、愛想の良くない面だった。
 蛙は彼のあとについて行く。

 屋敷の中は、山積みにされた巻物を収める棚がずらりと並び、乾いた古紙の匂いで充満していた。棚の間から、一人の影。

「あら、蛙。久しぶりね」

 紫色の髪、艶かしい雰囲気を纏う女性。

「ああ、久しぶりだな、蝶霞采ちょうかさい

 女性は、蝶霞采と呼ばれた。

やなぎ、案内ご苦労様。お茶でも持ってきていただけるかしら」

 ニッコリと微笑み、羽織を被った少年に指示する。桺は先ほどの無表情とは打って変わって、嬉しそうに明るい顔で「はい!」と返事をし、部屋の奥へと姿を消した。

 応接間の座敷。蝶霞采と蛙、二人は向かい合って座る。

「ここ何ヶ月かの定期報告、これが資料だ」

「ええ、いつもありがとう。これでより研究が進みますわ」

 蝶霞采は紙束を受け取る。

「それにしても、いつもわざわざ貴方が持って来ずとも、使いを寄越せば良いのでは?」

 資料に目を通しながらふと質問する。

「お前の顔が見たかった」

「……なんて言うような柄じゃあないでしょう?」

「ふっ、バレたか。ついでにここの書物を借りたかっただけさ」

 少し笑って、蛙は言った。

 蝶霞采は胡蝶堂という屋敷で妖怪についてなど幅広い分野で独自に研究をおこなっており、時折こうして情報交換をし、時には情報を売りながら、怒縛屋と取引をする間柄であった。

 資料に目を通しながら、

「最近の騒動の禍は少し特殊だったかしらね」

「あの禍を見たのか?」

「いいえ、私ではなく、お使いを頼んだ桺が。気になっていたので資料が欲しかったのですよ。どうやら……新人さんは大変だったようですね」

「朔と言ったか。猫に取り憑かれた元人間だが……どうもこの猫のほうが異例な気がするがな」

「何故?」

「奴は取り憑いているだけで特に宿主に害を与えていない。それどころか、自分の記憶を探せと宿主……朔に言っていた」

「まあ……普通、憑き物は害を与える妖ですからね……興味深いですね、今度連れてきてくださいな」

「気が向いたらな」

「まあ、いけず」

「今は修行で忙しいみたいだからな」

 蝶霞采はふと視線を落として暫く沈黙する。

「どうした?」

「……忙しいといえば、のことです。最近はなにかと理由をつけられて、会うことも……顔を見ることすらなくなりましたわ。心配でなりません……何か、進展はありましたか」

「……いいや、悪い。まだ可能性の話しか出来ん。そのうち、朔を向かわせるつもりだ」

「そうですか……よろしく、頼みます」

 面を上げた蝶霞采の顔は、苦渋に満ちていた。
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