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1・螻蟻潰堤
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その日、世界各国の新聞の一面を飾った「全面核兵器廃絶条約調印!」の大見出しはしかし、既に多くの知識人から予測されていたものであった。
人類が積極的に宇宙空間へ進出し、「海外領土」ならぬ「宙外領土」を領有するようになってから、「核攻撃による敵国領土破壊」はもはや不可能となった。――さよう、破壊すべき「領土」が広すぎたのである。いまや政府機能は移転が容易なものとなり、仮令国土が荒廃していたとしても、有りあまる宙外領土に避難すれば、充分に〝国家〟として存続できるようになっていた。
そして、いまや維持コストばかりが嵩む無用の長物と化した核兵器は、もはや防衛戦略の一翼を担うことはほとんど不可能となった。ゆえに、それらは代《・》替兵器の研究開始と同時に――反核兵器団体の圧力もあいまって――鷲座β星宇宙管区δ―19宙域からη―5宙域にまたがって設けられた巨大な廃棄用宙域へと廃棄されたのである。
そしてそれは、北米大陸全土をその版図におさめたアメリカ自由連邦ですらも、例外ではなかった。――少なくとも、そのはずだった。
「さて、今日皆様にお集まりいただきましたのは、先日締結されました〈全面核兵器廃絶条約〉にもとづく核兵器の廃棄と、それにともなう代替兵器の開発を協議するためであります……」
ホワイト・ハウスの地下二階をまるまる占領する大会議室で、大統領の右前に座る副大統領が言った。各方面の最高権力者がずらりと並ぶマホガニー製の長机に、レジュメと珈琲が配られる。
「では、私からご説明いたしましょう……」副大統領から目くばせをうけた国防長官が言うと、全員の視線が彼に注がれた。
「現在、我が国の保有する最高の核兵器は、ミズーリ兵器廠製の〈ポセイドン級恒星間核ミサイル〉であり……この兵器は二七〇メガトンの核・サーモバリック複合弾頭を装備し、単独で半径八キロ級の小惑星を破壊可能な代物ですが――この核兵器をもってしても、宇宙空間における〝抑止力〟とはなり得ません。問題は、宇宙空間が広すぎるという点にこそあるのです」彼は大学で講義でもするような口調でつづける。
「広大な空間にたいする兵器としては、BC兵器――すなわち細菌兵器がもっとも効果的な手段となります。ですが、宇宙空間はご存じのとおり真空であり、BC兵器は『宇宙船=宇宙船』、あるいは『宇宙船=宇宙ステーション』の二経路でしか伝染できません。これはBC兵器が有効な手段ではないことを示します。その点、電子兵器――有り体にいえば〝コンピュータ・ウィルス〟でしょうか――は、ネットワークを経由して伝染するため、〝伝染性〟という点でBC兵器にまさるのです」
「コンピュータ・ウィルス?」誰かが言った。「たしかにあの感染力は驚異的ではありますが……コンピュータを潰したところで――せいぜい、手動操縦に切りかえる必要が生じるだけではありませんか?」
「いいえ……」国防長官がこたえる。「宇宙船や宇宙ステーションには――生命維持装置というものが存在します。たいていの場合、それらはコンピュータによって管理されていますので、コンピュータの機能停止はそのまま――生命維持装置の動作停止を意味します。よほど原始的な宇宙船でないかぎり、生命維持装置は手動操作に切りかえられませんからね……基本的に、内部の人員は死亡することになります」
一同のあいだに奇妙な沈黙がながれる。――数秒後、大統領が口をひらいた。
「ふむ、では君は、代替兵器として電子兵器を推薦するのだね?もしそうなら――専門機関を創設してやってもいい。だが――我々への被害はどう回避する?」
国防長官は小さく溜息をつき、カップに残っている珈琲を飲み干してから言った。「そこまでは、我々では調査できませんでした。ですが、専門機関の設立を承認してくだされば、より深く研究することが可能です。おそらくは――じっさいに作ってみなければわからないでしょう」
大統領はしばらく俯いて考えこんでいた。――彼の頭では、「絶対的な力」と「自国への損害の可能性」という二つの要素が拮抗していたのである。
しかし、いまなお勢力を拡大しつつある仮想敵――中国のことを考えた瞬間、後者はたちまち、彼の頭から吹き飛んだ。
「よし」彼は熱をおびた口調で言った。「国防長官、君の意見具申を受けいれよう。今夜、極秘に専門機関を設立する。君は――その長官を兼任したまえ」
国防長官が我が意を得たりと顔をほころばせる横から、今まで黙りこくっていた統参議長が口をはさんだ。
「大統領閣下、では現在保有している核兵器は――すべて廃棄されるのですか?」
「もちろんだ……条約にも署名したしな」大統領はそう言ったが、統参議長はすばやく反論をくわえた。
「閣下、どうかお待ちください。核兵器は地球上において、いまだ最高の抑止力として君臨しています。ここは保有核兵器の大半を廃棄するにとどめ、最低限の数は残しておくべきではないでしょうか?」
「しかし……」大統領は顔を曇らせた。「条約は締結されたのだぞ。我が国だけ条約を――」
「条約ごときが何でありましょう!」統参議長がわめいた。「すべての国が核兵器を完全に廃絶しているという証拠がどこにあるのです!?」
統参議長の剣幕に圧され、大統領と国防長官が無意識に後ずさる。――だが、そんなことは意に介さず、日にやけた筋肉質の巨漢は、威圧するようにつづけた。「へたをすれば、我が国だけが愚直に核兵器全廃絶を実行したということにもなりかねませんぞ!閣下は国防を何だと思っていらっしゃるのか!」
「わかった、統参議長……」大統領は滝のような冷汗をながしながら言った。「廃棄するのは余剰核兵器だけにしておこう」――彼は憲兵隊にこの失礼な男をつまみ出すよう命じることもできたのだが、統参議長派の議員が上院の七割を占めていることを思い出し、二の足をふんだのである。
「ふん」統参議長はまだ不満そうな顔をしていたが、しぶしぶ席にもどっていった。
この男さえいなければ……と、大統領はいつもおもうのだった。――情けない!米国大統領たるこの私が、一部下の態度すら糺せんとは!
はたしてその夜、大統領は大統領令RY―五五七〇号をもって余剰核兵器の廃棄を命令し、極秘大統領令RY/F―五七七一号をもって宇宙電子戦研究所 (SERC)の設立と、敵陣営に致命的な経済的および人的損害をもたらす電子兵器の開発を命令したのであった……
極秘大統領令RY/F―五七七一号の発令から×ヵ月後、米国国防総省の特別機密室で、アルフレッド・ダグラス大佐は極秘の訪問をうけていた。彼の眼前に座る大柄な職員は、彼に〈CLASSIFIED〉と書かれたステンレス製の軍用USBメモリを手渡すと、その体軀に似合わない小声で切り出した。
「大佐、SERCのE―9課で研究させていたものが完成しました。といってもまだ試作品なのですが――これだけでも充分に効果があるでしょう」
「ふむ、E―9というと……」
大佐はノート・パソコンのキイをいくつか叩き、極秘命令書の一枚を呼び出す。
「……RQ―21号か」
「おっしゃる通りです。コードネームは作戦名を引き継いで〈RQ―21〉……説明はUSBメモリにテキスト・ファイルとして格納してありますので、そちらをご覧ください。ただ、一つだけ注意点が――こいつはまだ、使わないでください」
「なぜだ?敵をたたくのは早い方がよかろう」ながいこと続けてきた国防関係の仕事は、大佐の頭に〝先手必勝〟の概念を染みつかせていた。
「それであってもです。RQ―21はあまりにも強力で、我々も対抗策が用意できていないのです」職員は頭の固い老将校に、言いきかせるように言った。「いまこいつを野放しにしたら……それこそ取り返しのつかないことになります。わが国も無事ですむかわかりません。ですから大佐、USBメモリの中身は絶対に電波の届かない場所で閲覧し、誰にも送信しないでください。衛星回線を経由しても、通信衛星自体がやられてしまいます」
「よくわかった。ほかに報告は?」大佐はまだつまらなさそうな顔をしていたが、ようやく納得したようだった。
「そうですね……八分儀座λ星μ―23宙域周辺で、CIAがなにやら嗅ぎつけたようです。まだ詳報がないので詳しくはわかりませんが。あとは――あぁ、言い忘れていました……つい先ほど、中国のスパイがB棟に侵入したと報告がありました。じき捕縛されるでしょうが……一応報告書RT―五五九号にまとめてありますので、詳細はそちらをどうぞ」
「ご苦労。戻りたまえ」
職員が部屋から出ていくと、大佐はノート・パソコンにUSBメモリを挿し込み、内部データを見ようとした――画面が明滅し、冷却ファンが猛然と回りだす。
「くそっ……そろそろ換え時か」
大佐は忌々しそうに言うと、荒々しく職員呼び出しボタンを叩いた。――まったく、ちかごろの電子機器というものは壊れやすくてかなわん……私の家にはたしか――いやに頑丈な一九六〇年代の鋳鉄製タイプライターがあったはずだが……
そのころ、米国国防総省B棟・三五号特別機密室の天井裏に、一人の男が隠れていた。その顔は東洋人を思わせ、痩軀な長身に黒スーツを着込んだその姿は蜘蛛を連想させた。近くの警備員は毒ガスで昏倒しているので、ほかの警備員が駆けつけてくるまで、あと三分はある……男は防音器と電波遮断器の組み込まれた排気口の蓋を慎重に取りはずすと、手に持った棒を室内に挿し入れた――さいわい、室内の耄碌した老将校は蓋を外すときの微かな音に気付かず、ノート・パソコンのディスプレイに見入っている。
数秒後、男の持っている端末の画面が点灯し、ハッキング先のノート・パソコンが表示している〈RQ―21〉と名付けられた機密ファイルが表示された。男は端末を操作し、そのファイルをどこかへ衛星回線経由で送信した。
RQ―21はさっそく開発者の想定通りに行動をはじめ、ものの数秒で衛星のコンピュータを掌握すると、周囲の衛星に自身の複製を送信しはじめた。
地球の大気圏の上層部、ほとんど大気のない領域には大量の人工衛星や有人宇宙ステーションがそれこそ櫛の歯をひくように往来しており、そのことごとくがコンピュータによって動いているのだ……
人類が積極的に宇宙空間へ進出し、「海外領土」ならぬ「宙外領土」を領有するようになってから、「核攻撃による敵国領土破壊」はもはや不可能となった。――さよう、破壊すべき「領土」が広すぎたのである。いまや政府機能は移転が容易なものとなり、仮令国土が荒廃していたとしても、有りあまる宙外領土に避難すれば、充分に〝国家〟として存続できるようになっていた。
そして、いまや維持コストばかりが嵩む無用の長物と化した核兵器は、もはや防衛戦略の一翼を担うことはほとんど不可能となった。ゆえに、それらは代《・》替兵器の研究開始と同時に――反核兵器団体の圧力もあいまって――鷲座β星宇宙管区δ―19宙域からη―5宙域にまたがって設けられた巨大な廃棄用宙域へと廃棄されたのである。
そしてそれは、北米大陸全土をその版図におさめたアメリカ自由連邦ですらも、例外ではなかった。――少なくとも、そのはずだった。
「さて、今日皆様にお集まりいただきましたのは、先日締結されました〈全面核兵器廃絶条約〉にもとづく核兵器の廃棄と、それにともなう代替兵器の開発を協議するためであります……」
ホワイト・ハウスの地下二階をまるまる占領する大会議室で、大統領の右前に座る副大統領が言った。各方面の最高権力者がずらりと並ぶマホガニー製の長机に、レジュメと珈琲が配られる。
「では、私からご説明いたしましょう……」副大統領から目くばせをうけた国防長官が言うと、全員の視線が彼に注がれた。
「現在、我が国の保有する最高の核兵器は、ミズーリ兵器廠製の〈ポセイドン級恒星間核ミサイル〉であり……この兵器は二七〇メガトンの核・サーモバリック複合弾頭を装備し、単独で半径八キロ級の小惑星を破壊可能な代物ですが――この核兵器をもってしても、宇宙空間における〝抑止力〟とはなり得ません。問題は、宇宙空間が広すぎるという点にこそあるのです」彼は大学で講義でもするような口調でつづける。
「広大な空間にたいする兵器としては、BC兵器――すなわち細菌兵器がもっとも効果的な手段となります。ですが、宇宙空間はご存じのとおり真空であり、BC兵器は『宇宙船=宇宙船』、あるいは『宇宙船=宇宙ステーション』の二経路でしか伝染できません。これはBC兵器が有効な手段ではないことを示します。その点、電子兵器――有り体にいえば〝コンピュータ・ウィルス〟でしょうか――は、ネットワークを経由して伝染するため、〝伝染性〟という点でBC兵器にまさるのです」
「コンピュータ・ウィルス?」誰かが言った。「たしかにあの感染力は驚異的ではありますが……コンピュータを潰したところで――せいぜい、手動操縦に切りかえる必要が生じるだけではありませんか?」
「いいえ……」国防長官がこたえる。「宇宙船や宇宙ステーションには――生命維持装置というものが存在します。たいていの場合、それらはコンピュータによって管理されていますので、コンピュータの機能停止はそのまま――生命維持装置の動作停止を意味します。よほど原始的な宇宙船でないかぎり、生命維持装置は手動操作に切りかえられませんからね……基本的に、内部の人員は死亡することになります」
一同のあいだに奇妙な沈黙がながれる。――数秒後、大統領が口をひらいた。
「ふむ、では君は、代替兵器として電子兵器を推薦するのだね?もしそうなら――専門機関を創設してやってもいい。だが――我々への被害はどう回避する?」
国防長官は小さく溜息をつき、カップに残っている珈琲を飲み干してから言った。「そこまでは、我々では調査できませんでした。ですが、専門機関の設立を承認してくだされば、より深く研究することが可能です。おそらくは――じっさいに作ってみなければわからないでしょう」
大統領はしばらく俯いて考えこんでいた。――彼の頭では、「絶対的な力」と「自国への損害の可能性」という二つの要素が拮抗していたのである。
しかし、いまなお勢力を拡大しつつある仮想敵――中国のことを考えた瞬間、後者はたちまち、彼の頭から吹き飛んだ。
「よし」彼は熱をおびた口調で言った。「国防長官、君の意見具申を受けいれよう。今夜、極秘に専門機関を設立する。君は――その長官を兼任したまえ」
国防長官が我が意を得たりと顔をほころばせる横から、今まで黙りこくっていた統参議長が口をはさんだ。
「大統領閣下、では現在保有している核兵器は――すべて廃棄されるのですか?」
「もちろんだ……条約にも署名したしな」大統領はそう言ったが、統参議長はすばやく反論をくわえた。
「閣下、どうかお待ちください。核兵器は地球上において、いまだ最高の抑止力として君臨しています。ここは保有核兵器の大半を廃棄するにとどめ、最低限の数は残しておくべきではないでしょうか?」
「しかし……」大統領は顔を曇らせた。「条約は締結されたのだぞ。我が国だけ条約を――」
「条約ごときが何でありましょう!」統参議長がわめいた。「すべての国が核兵器を完全に廃絶しているという証拠がどこにあるのです!?」
統参議長の剣幕に圧され、大統領と国防長官が無意識に後ずさる。――だが、そんなことは意に介さず、日にやけた筋肉質の巨漢は、威圧するようにつづけた。「へたをすれば、我が国だけが愚直に核兵器全廃絶を実行したということにもなりかねませんぞ!閣下は国防を何だと思っていらっしゃるのか!」
「わかった、統参議長……」大統領は滝のような冷汗をながしながら言った。「廃棄するのは余剰核兵器だけにしておこう」――彼は憲兵隊にこの失礼な男をつまみ出すよう命じることもできたのだが、統参議長派の議員が上院の七割を占めていることを思い出し、二の足をふんだのである。
「ふん」統参議長はまだ不満そうな顔をしていたが、しぶしぶ席にもどっていった。
この男さえいなければ……と、大統領はいつもおもうのだった。――情けない!米国大統領たるこの私が、一部下の態度すら糺せんとは!
はたしてその夜、大統領は大統領令RY―五五七〇号をもって余剰核兵器の廃棄を命令し、極秘大統領令RY/F―五七七一号をもって宇宙電子戦研究所 (SERC)の設立と、敵陣営に致命的な経済的および人的損害をもたらす電子兵器の開発を命令したのであった……
極秘大統領令RY/F―五七七一号の発令から×ヵ月後、米国国防総省の特別機密室で、アルフレッド・ダグラス大佐は極秘の訪問をうけていた。彼の眼前に座る大柄な職員は、彼に〈CLASSIFIED〉と書かれたステンレス製の軍用USBメモリを手渡すと、その体軀に似合わない小声で切り出した。
「大佐、SERCのE―9課で研究させていたものが完成しました。といってもまだ試作品なのですが――これだけでも充分に効果があるでしょう」
「ふむ、E―9というと……」
大佐はノート・パソコンのキイをいくつか叩き、極秘命令書の一枚を呼び出す。
「……RQ―21号か」
「おっしゃる通りです。コードネームは作戦名を引き継いで〈RQ―21〉……説明はUSBメモリにテキスト・ファイルとして格納してありますので、そちらをご覧ください。ただ、一つだけ注意点が――こいつはまだ、使わないでください」
「なぜだ?敵をたたくのは早い方がよかろう」ながいこと続けてきた国防関係の仕事は、大佐の頭に〝先手必勝〟の概念を染みつかせていた。
「それであってもです。RQ―21はあまりにも強力で、我々も対抗策が用意できていないのです」職員は頭の固い老将校に、言いきかせるように言った。「いまこいつを野放しにしたら……それこそ取り返しのつかないことになります。わが国も無事ですむかわかりません。ですから大佐、USBメモリの中身は絶対に電波の届かない場所で閲覧し、誰にも送信しないでください。衛星回線を経由しても、通信衛星自体がやられてしまいます」
「よくわかった。ほかに報告は?」大佐はまだつまらなさそうな顔をしていたが、ようやく納得したようだった。
「そうですね……八分儀座λ星μ―23宙域周辺で、CIAがなにやら嗅ぎつけたようです。まだ詳報がないので詳しくはわかりませんが。あとは――あぁ、言い忘れていました……つい先ほど、中国のスパイがB棟に侵入したと報告がありました。じき捕縛されるでしょうが……一応報告書RT―五五九号にまとめてありますので、詳細はそちらをどうぞ」
「ご苦労。戻りたまえ」
職員が部屋から出ていくと、大佐はノート・パソコンにUSBメモリを挿し込み、内部データを見ようとした――画面が明滅し、冷却ファンが猛然と回りだす。
「くそっ……そろそろ換え時か」
大佐は忌々しそうに言うと、荒々しく職員呼び出しボタンを叩いた。――まったく、ちかごろの電子機器というものは壊れやすくてかなわん……私の家にはたしか――いやに頑丈な一九六〇年代の鋳鉄製タイプライターがあったはずだが……
そのころ、米国国防総省B棟・三五号特別機密室の天井裏に、一人の男が隠れていた。その顔は東洋人を思わせ、痩軀な長身に黒スーツを着込んだその姿は蜘蛛を連想させた。近くの警備員は毒ガスで昏倒しているので、ほかの警備員が駆けつけてくるまで、あと三分はある……男は防音器と電波遮断器の組み込まれた排気口の蓋を慎重に取りはずすと、手に持った棒を室内に挿し入れた――さいわい、室内の耄碌した老将校は蓋を外すときの微かな音に気付かず、ノート・パソコンのディスプレイに見入っている。
数秒後、男の持っている端末の画面が点灯し、ハッキング先のノート・パソコンが表示している〈RQ―21〉と名付けられた機密ファイルが表示された。男は端末を操作し、そのファイルをどこかへ衛星回線経由で送信した。
RQ―21はさっそく開発者の想定通りに行動をはじめ、ものの数秒で衛星のコンピュータを掌握すると、周囲の衛星に自身の複製を送信しはじめた。
地球の大気圏の上層部、ほとんど大気のない領域には大量の人工衛星や有人宇宙ステーションがそれこそ櫛の歯をひくように往来しており、そのことごとくがコンピュータによって動いているのだ……
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