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夢運ぶ希望号
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飛行船の夢運ぶ希望号は、天の川の下を飛んでいました。青暗い夜空に月に照らされながらぼうっと浮かんでいるその丸っこい姿は、まるで空の魚のような出で立ちです。現に、船を大魚と思い込んだ小魚たちが、おこぼれをあずかろうと船尾にまとわりついています。そして飛行船の下を一面の雲が覆い尽くしています。その敷き詰められた雲は、まるでベッドのように柔らかく、思わず船の上から飛び込みたくなるほどです。
そんな雲の上に漂う船の甲板に、一人の男が寒い夜の風に吹かれながら立っておりました。それは船長の星渡でした。星渡船長はコートの襟に首をうずめながら、遠くの夜空を見つめています。その様子を心配してか、船員の子犬が背後から声をかけました。子犬とは彼のあだ名です。本当の彼の姓は白鳥といいましたが、彼のちょこまかとした動きや小柄な体躯には、その仰々しい姓は似合わないということで、彼の兄貴分の巨人(これも彼のあだ名なのですが、その由来はこの際割愛することにします)につけられました。
「船長、こんな夜中に外に出ては体を壊しますよ。中に入ったらどうです」
ですが、せっかくの子犬の気遣いもお構いなしに、星渡は前を見つめながら答えました。
「いや、大丈夫だ」
「さようですか。ではせめてコーヒーでもいかがです」
「そうだな、ではいただこうか」
子犬はほっとした様子でポットに入った熱々のコーヒーをマグに注ぐと、船長に手渡しました。
「しかし船長、一体こんな寒い夜に甲板で何をしていたんです」
「べつに何もしてはいやせんよ。ただ夜空を見たかっただけだ」
船長はようやく振り向いて言いました。子犬は「はぁ」と煮え切らない返事をすると、星渡船長は軽く笑って続けました。
「冬は好きだ。星がよく見えるからな」
「あっそういえば確かにそうですね。しかし何故なんでしょう」
子犬は尋ねました。星渡船長はコーヒーに口をつけてからその問いに答えました。
「大気が乾燥しているからさ。つまり空を霞ませる湿気が少ないからその分、星がよく見えるのだ」
「へぇそうなんですね。さすが船長、物知りでいらっしゃる」と子犬は感心し、目を丸くして言いました。
「馬鹿者、こんなの夢運ぶ希望号の乗組員なら知っていて当然だ」
船長は呆れながら言いました。すると、子犬は恥ずかしそうに頭をかきながら下を向きました。
「ところで子犬。何故お前はこの船の乗組員になろうと思ったのだ」
「そりゃもちろん、この星空を一目見たかったからです。勉強不足でも、星を想う気持ちは誰にも負けませんでしたよ」
子犬は張り切って言いました。しかし、星渡船長はその答えを聞くと鼻で笑ってこう続けました。
「やはりな。皆、乗組員になってからはそう言うのだ。事前の面談で言った『子供達に夢を届けたい』や『人の役に立ちたい』というような表向きの取り繕いを忘れてな」
船長の言ったことに子犬は唖然とし、すっかり縮こまってしまいました。ですが次の船長の言葉に、たちまち子犬は立ち直りました。
「しかし、それでこそ夢運ぶ希望号の一員といえよう。何を隠そう、私も星を見たくて船乗りになったのだ」
「えっそうなんですか。もっと、それこそ大層な使命を持っていたのかと」
「もちろん世界中の子供に夢を届けるという確かな信念はある。だが、それは後から付いてきたものであって、最初は違ったのだよ」
星渡船長はまたコーヒーを一口飲み、一息つきました。
「シリウスという星は知っているかね。オリオン座のベテルギウスと、こいぬ座のプロキオンとで冬の大三角を形成している明るい星のことだ。ほら、あそこに見えるだろう」
船長はそういうと、甲板の端まで向かいました。子犬はその後を、まるで子犬のようについていきました。
「あそこだ」
「えっどこですか」
星渡の指差す空に目を向けても、子犬にはたくさんの星群があるだけで、船長の言ったような三角形は見えません。
「ほらあるだろう。ひときわ光り輝く大きな三つの星が。青い二つの星と、赤い星ひとつ」
子犬はじっくり目を凝らしました。すると、確かに綺麗な大きな三つの青と赤の星があり、それを線で結ぶと三角形が作れそうではありませんか。
「ああ、ひょっとするとあれですか。でも、赤い星の右隣にも大きな星が沢山あるなぁ」と子犬が指をさしながら尋ねました。
「そのとおり! それこそが冬の大三角。そして三角形の一番下の青い星がシリウスなのだよ。ベテルギウスの右隣のはオリオン座だ」
船長は夜空を見上げながら言いました。
「私が小さい頃、飛行船が届けてくれた本の中に、天体図鑑があった。私はそれを手にとって、何気なく読んでいた。すると、子供の私はシリウスという星が気になった。なんでもあの雲の向こうからですらも、爛々と燃え盛って見える太陽よりも大きい星なうえ、炎のような黄色い太陽とは対極に、シリウスは青白く冷たい色をしているというじゃないか。それはもう私は、そのシリウスという天体が気になって気になってしょうがなかった。だから私は船乗りになることを決めたのだよ。そしてその十数年後、見事この夢運ぶ希望号の乗組員となって、私にとっての初飛行を迎えた。夢だったシリウスがこの目で見れる! 私は期待に胸が躍った。しかし、待てど暮らせどあの太陽よりも大きな青い星は現れなかった。だから私は聞いた、『シリウスはどこにあるんです』と。すると、今の私のように兄貴分が冬の大三角の下の方を指差した。それはがっかりしたよ。あんな豆粒みたいなのが、私が夢見ていたシリウスだったのかと」
星渡船長は物憂な目でシリウスを見つめながら言いました。子犬は彼の話にすっかり聞き入っていました。
「でも構わんのだ。シリウスに執着したおかげで、この星々を目にすることができたのだから。こんな美しい光景は雲の下の世界ではまず目にすることは出来ない。世界が変わるというのは、まさにことのことだ」
「ええ、まったくです」
子犬も天の川を見上げながら呟きました。
「だから私は新たな夢を持った。この夢運ぶ希望号で少しでも多くの子供たちに夢を届け、この世界に希望を持ってもらいたいという夢をな」
星渡船長はそう言って再びコーヒーを一口飲みました。
途端に強い風がぴゅうっと吹きました。慌てて船長は帽子を、子犬は鉢巻を押さえました。すると、どこからかごうごうと低く鈍い音が響き渡りました。突然のことに怯える子犬とは打って変わって、船長は口元をニッと笑わせ、反対側の甲板の端っこへと向かいました。子犬は相変わらず子犬のようにその後をついていきます。
「見てみろ。空の主の登場だ」
星渡船長が飛行船の下に広がる雲を指さして言いました。すると、夢運ぶ希望号二つ分はあろうかという大きな大きな魚のようなものが、雲を割りながら顔を出したではありませんか。間違いありません、空くじらです。その巨体に、子犬はより一層慌てふためきました。
「あ、あんなのにぶつかられてはひとたまりもありません。どうにかしないと」
「落ち着け。空くじらは賢いからそんな馬鹿な真似はせんよ」
船長は楽しそうに空くじらを見つめながら、落ち着いた様子で言いました。
空くじらは夢運ぶ希望号を仲間と勘違いしているのか、横に並びながら空を悠々と泳いでいます。その大きな体にはたくさんの氷の粒を纏っており、尻尾には船と同じようにコバンザメが引っ付いています。しかしそれも束の間、空くじらはごうごうと大きな鳴き声をあげると、また雲の下へと潜っていきました。
「い、行きましたね」
子犬は甲板の縁にもたれかかりながら、おそるおそる言いました。
「まぁ見てろ」
すると、再び空くじらが雲の下から顔を出したかと思うと、体をのけぞらせながら勢いよく飛び上がり、夢運ぶ希望号を一またぎして、反対側の雲へと飛び込んでいきました。そしてまた背中だけを雲から覗かせ、頭の上から氷の粒を吹き出しました。空に散らばるその氷は、月の光に照らされ、まるで流星群のようにきらめきました。思わず子犬は歓喜の悲鳴を上げました。
「これだよこれ! 船乗りはこれだからやめられん!」
「う、美しい!」
星渡船長は目を輝かせながら言いました。子犬もさっきの恐怖はどこ吹く風か、空くじらの織りなす氷の芸術に夢中になりました。
やがて東の地平線から太陽が昇り、雲が金色に染まり始めました。間もなく夜明けです。夢運ぶ希望号は、たくさんの本を携えながら夢見る子供たちの元へと向かっています。
そんな雲の上に漂う船の甲板に、一人の男が寒い夜の風に吹かれながら立っておりました。それは船長の星渡でした。星渡船長はコートの襟に首をうずめながら、遠くの夜空を見つめています。その様子を心配してか、船員の子犬が背後から声をかけました。子犬とは彼のあだ名です。本当の彼の姓は白鳥といいましたが、彼のちょこまかとした動きや小柄な体躯には、その仰々しい姓は似合わないということで、彼の兄貴分の巨人(これも彼のあだ名なのですが、その由来はこの際割愛することにします)につけられました。
「船長、こんな夜中に外に出ては体を壊しますよ。中に入ったらどうです」
ですが、せっかくの子犬の気遣いもお構いなしに、星渡は前を見つめながら答えました。
「いや、大丈夫だ」
「さようですか。ではせめてコーヒーでもいかがです」
「そうだな、ではいただこうか」
子犬はほっとした様子でポットに入った熱々のコーヒーをマグに注ぐと、船長に手渡しました。
「しかし船長、一体こんな寒い夜に甲板で何をしていたんです」
「べつに何もしてはいやせんよ。ただ夜空を見たかっただけだ」
船長はようやく振り向いて言いました。子犬は「はぁ」と煮え切らない返事をすると、星渡船長は軽く笑って続けました。
「冬は好きだ。星がよく見えるからな」
「あっそういえば確かにそうですね。しかし何故なんでしょう」
子犬は尋ねました。星渡船長はコーヒーに口をつけてからその問いに答えました。
「大気が乾燥しているからさ。つまり空を霞ませる湿気が少ないからその分、星がよく見えるのだ」
「へぇそうなんですね。さすが船長、物知りでいらっしゃる」と子犬は感心し、目を丸くして言いました。
「馬鹿者、こんなの夢運ぶ希望号の乗組員なら知っていて当然だ」
船長は呆れながら言いました。すると、子犬は恥ずかしそうに頭をかきながら下を向きました。
「ところで子犬。何故お前はこの船の乗組員になろうと思ったのだ」
「そりゃもちろん、この星空を一目見たかったからです。勉強不足でも、星を想う気持ちは誰にも負けませんでしたよ」
子犬は張り切って言いました。しかし、星渡船長はその答えを聞くと鼻で笑ってこう続けました。
「やはりな。皆、乗組員になってからはそう言うのだ。事前の面談で言った『子供達に夢を届けたい』や『人の役に立ちたい』というような表向きの取り繕いを忘れてな」
船長の言ったことに子犬は唖然とし、すっかり縮こまってしまいました。ですが次の船長の言葉に、たちまち子犬は立ち直りました。
「しかし、それでこそ夢運ぶ希望号の一員といえよう。何を隠そう、私も星を見たくて船乗りになったのだ」
「えっそうなんですか。もっと、それこそ大層な使命を持っていたのかと」
「もちろん世界中の子供に夢を届けるという確かな信念はある。だが、それは後から付いてきたものであって、最初は違ったのだよ」
星渡船長はまたコーヒーを一口飲み、一息つきました。
「シリウスという星は知っているかね。オリオン座のベテルギウスと、こいぬ座のプロキオンとで冬の大三角を形成している明るい星のことだ。ほら、あそこに見えるだろう」
船長はそういうと、甲板の端まで向かいました。子犬はその後を、まるで子犬のようについていきました。
「あそこだ」
「えっどこですか」
星渡の指差す空に目を向けても、子犬にはたくさんの星群があるだけで、船長の言ったような三角形は見えません。
「ほらあるだろう。ひときわ光り輝く大きな三つの星が。青い二つの星と、赤い星ひとつ」
子犬はじっくり目を凝らしました。すると、確かに綺麗な大きな三つの青と赤の星があり、それを線で結ぶと三角形が作れそうではありませんか。
「ああ、ひょっとするとあれですか。でも、赤い星の右隣にも大きな星が沢山あるなぁ」と子犬が指をさしながら尋ねました。
「そのとおり! それこそが冬の大三角。そして三角形の一番下の青い星がシリウスなのだよ。ベテルギウスの右隣のはオリオン座だ」
船長は夜空を見上げながら言いました。
「私が小さい頃、飛行船が届けてくれた本の中に、天体図鑑があった。私はそれを手にとって、何気なく読んでいた。すると、子供の私はシリウスという星が気になった。なんでもあの雲の向こうからですらも、爛々と燃え盛って見える太陽よりも大きい星なうえ、炎のような黄色い太陽とは対極に、シリウスは青白く冷たい色をしているというじゃないか。それはもう私は、そのシリウスという天体が気になって気になってしょうがなかった。だから私は船乗りになることを決めたのだよ。そしてその十数年後、見事この夢運ぶ希望号の乗組員となって、私にとっての初飛行を迎えた。夢だったシリウスがこの目で見れる! 私は期待に胸が躍った。しかし、待てど暮らせどあの太陽よりも大きな青い星は現れなかった。だから私は聞いた、『シリウスはどこにあるんです』と。すると、今の私のように兄貴分が冬の大三角の下の方を指差した。それはがっかりしたよ。あんな豆粒みたいなのが、私が夢見ていたシリウスだったのかと」
星渡船長は物憂な目でシリウスを見つめながら言いました。子犬は彼の話にすっかり聞き入っていました。
「でも構わんのだ。シリウスに執着したおかげで、この星々を目にすることができたのだから。こんな美しい光景は雲の下の世界ではまず目にすることは出来ない。世界が変わるというのは、まさにことのことだ」
「ええ、まったくです」
子犬も天の川を見上げながら呟きました。
「だから私は新たな夢を持った。この夢運ぶ希望号で少しでも多くの子供たちに夢を届け、この世界に希望を持ってもらいたいという夢をな」
星渡船長はそう言って再びコーヒーを一口飲みました。
途端に強い風がぴゅうっと吹きました。慌てて船長は帽子を、子犬は鉢巻を押さえました。すると、どこからかごうごうと低く鈍い音が響き渡りました。突然のことに怯える子犬とは打って変わって、船長は口元をニッと笑わせ、反対側の甲板の端っこへと向かいました。子犬は相変わらず子犬のようにその後をついていきます。
「見てみろ。空の主の登場だ」
星渡船長が飛行船の下に広がる雲を指さして言いました。すると、夢運ぶ希望号二つ分はあろうかという大きな大きな魚のようなものが、雲を割りながら顔を出したではありませんか。間違いありません、空くじらです。その巨体に、子犬はより一層慌てふためきました。
「あ、あんなのにぶつかられてはひとたまりもありません。どうにかしないと」
「落ち着け。空くじらは賢いからそんな馬鹿な真似はせんよ」
船長は楽しそうに空くじらを見つめながら、落ち着いた様子で言いました。
空くじらは夢運ぶ希望号を仲間と勘違いしているのか、横に並びながら空を悠々と泳いでいます。その大きな体にはたくさんの氷の粒を纏っており、尻尾には船と同じようにコバンザメが引っ付いています。しかしそれも束の間、空くじらはごうごうと大きな鳴き声をあげると、また雲の下へと潜っていきました。
「い、行きましたね」
子犬は甲板の縁にもたれかかりながら、おそるおそる言いました。
「まぁ見てろ」
すると、再び空くじらが雲の下から顔を出したかと思うと、体をのけぞらせながら勢いよく飛び上がり、夢運ぶ希望号を一またぎして、反対側の雲へと飛び込んでいきました。そしてまた背中だけを雲から覗かせ、頭の上から氷の粒を吹き出しました。空に散らばるその氷は、月の光に照らされ、まるで流星群のようにきらめきました。思わず子犬は歓喜の悲鳴を上げました。
「これだよこれ! 船乗りはこれだからやめられん!」
「う、美しい!」
星渡船長は目を輝かせながら言いました。子犬もさっきの恐怖はどこ吹く風か、空くじらの織りなす氷の芸術に夢中になりました。
やがて東の地平線から太陽が昇り、雲が金色に染まり始めました。間もなく夜明けです。夢運ぶ希望号は、たくさんの本を携えながら夢見る子供たちの元へと向かっています。
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