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白い結婚成立直前に旦那様が帰ってきました 2
しおりを挟む私は息を切らして屋敷に駆けつけた。
あと1ヵ月で白い結婚が認定される。私はぼんやりとそれより先の未来について考えていたが、それもウェルズ様が元気に凱旋してからの話だと思っていた。
ウェルズ様は侍女長の言うとおり、現地の恋人を連れてくるだろう。そうでなければ、手紙の一つだって寄越すはずだ。
騎士団長の役目があるからと言って、私を完全に放置する理由にはならないはずだ。そう考えていた。
――けれど王国最強と謳われるウェルズ様の身に何かが起こるかもしれないなんて、私は考えたこともなかったのだ。
私にとってウェルズ様は、いつでも完璧で、最強の騎士で、負けるはずがない人だったから。
だから、きっと彼は、戦地から戻れば私に別れを告げるのだと思っていた。
(ウェルズ様!!)
玄関から広間に飛び込む。なぜか屋敷中は騒然としていた。
いつも私に仕事を押しつける執事長が、背の高い筋肉質な男性に襟首を掴まれて宙に浮いている。
いつも私に『夫に見捨てられた惨めな人』と言い『旦那様は現地に恋人がいる』と吹き込んできた侍女長が震えながら床に這いつくばって頭を下げている。
私に固いパンとスープしか出さなかった料理長も、いつも体を拭くのに冷たい水しか用意しなかった侍女たちも一同に並び、頭を下げて震えている。
男性は、戦場帰りのように汚れたままの甲冑姿だった。
髪の毛はボサボサ、髭は伸び放題、なんと甲冑には血糊らしきものがついたままだ。
不審者が現れたのかと後ずさりしかけると、その男性は緑がかった青色の瞳をこちらに向けた。
「――カティリア!」
「え……!?」
次の瞬間、私は駆け寄ってきた男性に抱きしめられていた。
甲冑が当たって地味に痛い。身をよじっていると男性はゆっくりと私から離れていく。
「――会いたかった」
「え?」
よくよく見れば、その瞳の色には覚えがあった。
髭が生えていて顔がよく見えないが、確かに声にも覚えがある。
「ウェ、ウェルズ様!?」
「そうだ……。ようやく帰ってこられた! カティリア、会いたかった!」
そのままもう一度グイグイと抱きつかれる。
戦死してしまったのではないかと思っていた夫が帰っていたことに私は混乱した。
それ以上に、私に興味がなく放置していたはずの夫に、なぜか抱きしめられていることにも……。
「……痩せたのでは?」
「あ、あの……!?」
しかし、ウェルズ様は困惑に気がつくことなく、許可も得ずに私を抱き上げて階段を駆け上る。そしてぼそりと呟いた。
「……ところで、君の部屋に何もなかったのはなぜだ」
「はい?」
「クローゼットルームにたくさん贈ったはずのドレスがないのは、君に贈ったはずの南方の国のカーテンがないのは、きらびやかな宝石がないのはなぜだ」
「どういうことでしょうか」
「はあ……。やはりか……。あいつに君のことを頼んだのが間違いだった」
あいつとは誰だろうか。そう思いながら見つめていると、夫婦の部屋の扉を片手と足で乱暴に開けてウェルズ様は私をベッドにそっと降ろした。
「第三王子マークナル殿下から何か言われたか?」
「……?」
「その顔は、何も説明されてなかったのか。あいつめ……」
あいつがまさか第三王子殿下を指しているなんて思いもよらず、あまりの不敬に呆然とする私を前にウェルズ様はしばらく考え込んでいるようだった。
「ああ、その前に着替えだな」
そこでようやく自分のひどい姿に気がついたのだろう。長い、長い、ため息をついた。
「カティリア……。少しここで待っていてもらえるか」
「ええ……」
今すぐ説明して欲しいという言葉を呑み込んで、私は大人しく頷いた。
ウェルズ様はしばらくこちらを見つめていたが、もう一度ため息をつくと部屋を出て行った。
「い、一体どういうことなの!?」
私は呆然とウェルズが去り、閉められた扉を見つめたのだった。
***
しばらく待っていると、ウェルズ様はシャワーを浴びて髭を剃り私の前に現れた。
「どうした、そんなに見て」
「何でもありません……」
見惚れてしまったなんて認めたくないが事実でしかない。
(ウェルズが見目麗しいことをもちろん知っていた)
しかも、戦場帰りのウェルズ様は以前よりも精悍さが増してより男らしくなったようだ。
それに比べて自分があまりに平凡で地味なことを私は改めて思い知らされるようだった。
(なぜウェルズ様は、私を妻に選んだのかしら)
私たちの結婚は、ウェルズ様の強い希望によるものだった。
けれど、結婚するやいなやウェルズ様は戦場へと行ってしまい私を顧みることはなかった。私は新婚早々、家人が誰もいない屋敷に一人取り残されてしまったのだ。
元々いた使用人たちは、ウェルズ様が戦場に行ってすぐになぜか総入れ替えになり、誰も彼もが私に冷たく当たった。それでも3年間、私はウェルズ様の帰りを待ち続けた。
(ようやく諦められそうだったのに……)
辛い日々、第三王子マークナル殿下が官僚向けの宿舎に部屋を用意してあるという言葉に何度すがろうと思ったことか。
それでもフリーディル家の名誉を自分のせいで落としてしまうのが嫌で首を縦に振れなかった。
「……会いたかった」
「嘘つき!」
「カティリア……?」
急な展開を脳内で処理しきれなくなった私。
それはそうだろう。当然のように距離を詰めてくるウェルズ様は、私のことを3年もの間放置していたのだ。
自室に籠もった私は、ベッドに倒れ込んだ。
知らせもなく戦地から帰ってきたウェルズ様。
まだ、王都には和平の事実すら広まっていない。
(一体どういうことなの……!?)
ウェルズ様が追いかけてくることはなかった。
しばらく経って部屋から出てみると、すでにウェルズ様は屋敷におらず、戦後処理をするため王宮に行くというメモだけが残されていた。
柔らかいパンと、サラダと、少々焦げた目玉焼きと共に。
(もしかして、ウェルズ様が作ったのかしら……)
明らかに作り慣れていないとわかる目玉焼きは、焦げている上に黄身が破れて不格好だ。
それでも口にしてみれば香ばしくて案外美味しい。
私はそれらを食べて、ぼんやり窓の外を眺める。
空には美しい満月が浮かんでいる。
(ウェルズ様……)
ウェルズ様が私に求婚してくれた夜会の日。
空にはこんなふうに満月が輝いていた。
月を見るたびにウェルズ様を思い出してしまうから、敢えて見ていなかったことに気が付いてしまう。
私は小さくため息をつくと、ベッドへと戻り掛け布団を頭から被ったのだった。
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