上 下
1 / 33

白い結婚成立直前に旦那様が帰ってきました 1

しおりを挟む

 カティリア・フリーディル。
 第三王子付きの秘書を務める私は、貴族の女性としては珍しく事務職に就いている。自分でも事務に関しては有能なのではないかと思っている。
 しかし『解けない氷の女』とも呼ばれる私は夫と上手くいっていないことでも有名なのだ。

 夫であるウェルズ・フリーディル様は、黒髪に緑がかった青色の瞳をした美丈夫だ。
 私と結婚するやいなや戦地へ向かってしまい、そこで目覚ましい活躍をして隊長から騎士団長まで上り詰めた。
 けれど、その間一度も屋敷に帰ってくることがなかった。

 貴族の夫婦は、3年間白い関係を保てば片方の申し出で結婚を無効に出来る。
 3年の月日が過ぎるまで、あと1ヵ月に迫っている。

(そろそろ、本格的に今後について考えなくてはいけないわ)

 ため息をつきながら私は書類を抱えて王宮の廊下を早足で歩いていた。

 社交界にあまり参加しない私は、いつも茶色の髪の毛を一本にくくり、瞳の色と同じ緑色の地味なドレスに身を包んでいる。地味だ、あまりに地味だ。

 ――それもそのはず。周囲の女性たちが夫に与えられたドレスや宝石を自慢するのに終始する中、私はこの三年、ただひたすら第三王子マークナル殿下の元で書類を捌いて生きてきたのだから。

「マークナル殿下。こちらの書類をご確認ください」
「さすが、カティリアはいつも仕事が早いね」
「いつも申し上げておりますが、フリーディル夫人とお呼びください」

 私は、誰よりも第三王子マークナル殿下の近くにいる女性でもある。
 通常であれば噂好きの社交界の格好の餌食になりそうな距離だが、私が普段からあまりにも無表情であり仕事にしか興味を持たないため、関係を邪推されることもない。
 だからなのだろう。マークナル殿下が私をそばに置いておくのは……。

「カティリア、屋敷では最近どう?」

 マークナル殿下が気易く私のことをカティリアと呼ぶのは、二人きりの時だけだ。いくら言っても改めないし、人がいるときにはきちんとフリーディル夫人と呼ぶので途中から諦めつつある。

「またその質問ですか? あいかわらずです。使用人たちはウェルズ様に放置されている私のことを女主人とは認めていませんから」

 情けない話だ。けれど、執事長も、侍女長も、使用人たちの誰一人として私に見向きもしないのだ。むしろ嫌がらせをされていると言っても過言ではない。

「そろそろ、官僚向けの宿舎に移る気になったかい?」
「……少なくともあと1カ月は、フリーディル家の人間です。そんな醜聞になるようなこと、できませんわ」
「君は頑なだね」
「良く言われます」

 それでも、マークナル殿下はことあるごとに私を助けてくれていた。
 ありがたい話だ……。もちろん、家臣の一人への恩情であることはわかっているけれど。

 休憩のために紅茶を淹れる準備をしていると、マークナル殿下があの話題を口にした。

「そういえば君とウェルズの白い結婚が認められるまであと1カ月だね」
「……マークナル殿下。その話題はこの場所に相応しくないかと」

 私は周囲を見渡した。マークナル殿下の執務室には人がいない。
 誰かに聞かれる心配はないようだ。
 確かに最近の私は、そのことばかり考えていたように思う。
 そのことは、マークナル殿下にはバレバレだったというわけだ。

「良いじゃないか。それで、どうするつもりなんだ?」
「そうですね。ウェルズ様は、この三年間家に戻ってくることがなく、戦地で暮らしておられます。現地に恋人もいるのでしょうし、話し合ってこの結婚を無効にするのも良いかと考えております」
「そうか……。ところで、そのあとは」

 マークナル殿下は、王族だけに現れる美しい紫色の瞳で私を見つめた。

(あいかわらず綺麗な瞳よね……。令嬢たちが虜になってしまうのにもうなずけるわ)

 それだけではない。マークナル殿下の紫色の瞳には魅惑の魔力が宿っている。
 だからこそ、第三王子でありながらマークナル殿下は出来る限り社交界に顔を出さずにこの執務室に籠もっているのだ。

「君だけには効かないんだよな」
「効いてしまったら困るでしょう?」

 冗談でもやめてほしいと思いながら、マークナル殿下をにらむ。
 いたずらっぽい笑みを浮かべて、マークナル殿下がいつもの冗談を口にした。

「もし君が俺の瞳で魅了されたら、すぐ妃に迎えるのにな……」
「まあ……。ご冗談ばかり」

 マークナル殿下の瞳が異性を魅了してしまうのは王家の秘密だ。彼がその気になれば全ての女性が彼の魔性の瞳の虜になる。

 ――解けない氷の女である私を除いて。

 私は魔力がない。その代わりに私にはどんな魔法も効きはしないのだ。
 私に魔力がないことは周知の事実だが、魔法が効かないことは公にされていない。
 そのことは、決して周囲に知られてはいけないと、マークナル殿下と夫であるウェルズ様に厳命されているのだ。

 事実を知っているのは、マークナル殿下とウェルズ様だけだ。
 どうしてそんなにも隠さなくてはいけないのか、私にはわからないけれど、第三王子と騎士団長である二人が揃って真剣な表情で言うくらいだ。よほどのことなのだろう……。

「話を元に戻そう。結婚が無効になったらどうするつもりだ?」
「そうですね。私はしがない子爵家の出身です。しかも、実家は魔力を持たない私のことを良く思っていませんし……。今は侯爵家夫人として王宮で働かせていただいていますが、下級貴族の私が秘書官としてこの場所にいるのは相応しくないでしょう」
「……そんなこと気にしないでもいいのに」
「マークナル殿下のご評判を落としたくありませんし、家庭教師の働き口を探そうかと考えています」

 マークナル殿下は視線を落として冷めてしまった紅茶を一気に飲み干した。
 そして口元を歪めて会話を続けた。

「……ふう。この3年間、もう少し俺に頼ってほしかったな。ところで、隣国との戦い……。あと1年は泥沼の戦いが続くと予想されていたが、和平が結ばれることになった」
「はい?」

 私の夫、ウェルズ・フィリーディル様はこの国の騎士団長だ。
 平和のために働く彼のことを結婚当時はとても尊敬し、力になりたいと心から願っていた。
 けれど結婚式の直後から戦場に出掛けたウェルズ様は、私のことを顧みることなく、他の騎士たちが戦場に派遣される合間に妻の元に戻ってきても一度だって戻ってくることはなかった。

「――しかし、あいつも無理矢理、間に合わせたな。まさかたった三年足らずで和平をつかみ取るとは」
「和平……」
「しかし、今回は残念な結果になった」
「は? まさか夫の身に何か!?」
「ああ、あいつはかなり無茶をしていたからな……」
「そ、そんな!」

 マークナル殿下は、困ったような笑みを私に向けた。
 予想していなかった事実に、私は抱えていた書類を取り落とた。

「どちらにしても、そろそろ君の屋敷にも知らせが届いていることだろう」
「……あの、今日は早退してもよろしいでしょうか」
「ああ、一週間くらい休んでも良いよ」

 いつも何事にも動じることなく無表情な私が慌てて走り去る後ろ姿をマークナル殿下はじっと見つめていた。

「あーあ。あと1カ月だったのになぁ」

 その言葉は、だれにも聞かれることはなく、もちろん私の耳にも届くことはないのだった。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

婚約者から婚約破棄をされて喜んだのに、どうも様子がおかしい

恋愛
婚約者には初恋の人がいる。 王太子リエトの婚約者ベルティーナ=アンナローロ公爵令嬢は、呼び出された先で婚約破棄を告げられた。婚約者の隣には、家族や婚約者が常に可愛いと口にする従妹がいて。次の婚約者は従妹になると。 待ちに待った婚約破棄を喜んでいると思われる訳にもいかず、冷静に、でも笑顔は忘れずに二人の幸せを願ってあっさりと従者と部屋を出た。 婚約破棄をされた件で父に勘当されるか、何処かの貴族の後妻にされるか待っていても一向に婚約破棄の話をされない。また、婚約破棄をしたのに何故か王太子から呼び出しの声が掛かる。 従者を連れてさっさと家を出たいべルティーナと従者のせいで拗らせまくったリエトの話。 ※なろうさんにも公開しています。 ※短編→長編に変更しました(2023.7.19)

強い祝福が原因だった

恋愛
大魔法使いと呼ばれる父と前公爵夫人である母の不貞により生まれた令嬢エイレーネー。 父を憎む義父や義父に同調する使用人達から冷遇されながらも、エイレーネーにしか姿が見えないうさぎのイヴのお陰で孤独にはならずに済んでいた。 大魔法使いを王国に留めておきたい王家の思惑により、王弟を父に持つソレイユ公爵家の公子ラウルと婚約関係にある。しかし、彼が愛情に満ち、優しく笑い合うのは義父の娘ガブリエルで。 愛される未来がないのなら、全てを捨てて実父の許へ行くと決意した。 ※「殿下が好きなのは私だった」と同じ世界観となりますが此方の話を読まなくても大丈夫です。 ※なろうさんにも公開しています。

殿下が好きなのは私だった

恋愛
魔王の補佐官を父に持つリシェルは、長年の婚約者であり片思いの相手ノアールから婚約破棄を告げられた。 理由は、彼の恋人の方が次期魔王たる自分の妻に相応しい魔力の持ち主だからだそう。 最初は仲が良かったのに、次第に彼に嫌われていったせいでリシェルは疲れていた。無様な姿を晒すくらいなら、晴れ晴れとした姿で婚約破棄を受け入れた。 のだが……婚約破棄をしたノアールは何故かリシェルに執着をし出して……。 更に、人間界には父の友人らしい天使?もいた……。 ※カクヨムさん・なろうさんにも公開しております。

今更ですか?結構です。

みん
恋愛
完結後に、“置き場”に後日談を投稿しています。 エルダイン辺境伯の長女フェリシティは、自国であるコルネリア王国の第一王子メルヴィルの5人居る婚約者候補の1人である。その婚約者候補5人の中でも幼い頃から仲が良かった為、フェリシティが婚約者になると思われていたが──。 え?今更ですか?誰もがそれを望んでいるとは思わないで下さい──と、フェリシティはニッコリ微笑んだ。 相変わらずのゆるふわ設定なので、優しく見てもらえると助かります。

麗しの王子殿下は今日も私を睨みつける。

スズキアカネ
恋愛
「王子殿下の運命の相手を占いで決めるそうだから、レオーネ、あなたが選ばれるかもしれないわよ」 伯母の一声で連れて行かれた王宮広場にはたくさんの若い女の子たちで溢れかえっていた。 そしてバルコニーに立つのは麗しい王子様。 ──あの、王子様……何故睨むんですか? 人違いに決まってるからそんなに怒らないでよぉ! ◇◆◇ 無断転載・転用禁止。 Do not repost.

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?

せいめ
恋愛
 政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。  喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。  そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。  その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。  閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。  でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。  家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。  その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。    まずは亡くなったはずの旦那様との話から。      ご都合主義です。  設定は緩いです。  誤字脱字申し訳ありません。  主人公の名前を途中から間違えていました。  アメリアです。すみません。    

勝手にしなさいよ

恋愛
どうせ将来、婚約破棄されると分かりきってる相手と婚約するなんて真っ平ごめんです!でも、相手は王族なので公爵家から破棄は出来ないのです。なら、徹底的に避けるのみ。と思っていた悪役令嬢予定のヴァイオレットだが……

処理中です...