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白い結婚成立直前に旦那様が帰ってきました 1

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 カティリア・フリーディル。
 第三王子付きの秘書を務める私は、貴族の女性としては珍しく事務職に就いている。自分でも事務に関しては有能なのではないかと思っている。
 しかし『解けない氷の女』とも呼ばれる私は夫と上手くいっていないことでも有名なのだ。

 夫であるウェルズ・フリーディル様は、黒髪に緑がかった青色の瞳をした美丈夫だ。
 私と結婚するやいなや戦地へ向かってしまい、そこで目覚ましい活躍をして隊長から騎士団長まで上り詰めた。
 けれど、その間一度も屋敷に帰ってくることがなかった。

 貴族の夫婦は、3年間白い関係を保てば片方の申し出で結婚を無効に出来る。
 3年の月日が過ぎるまで、あと1ヵ月に迫っている。

(そろそろ、本格的に今後について考えなくてはいけないわ)

 ため息をつきながら私は書類を抱えて王宮の廊下を早足で歩いていた。

 社交界にあまり参加しない私は、いつも茶色の髪の毛を一本にくくり、瞳の色と同じ緑色の地味なドレスに身を包んでいる。地味だ、あまりに地味だ。

 ――それもそのはず。周囲の女性たちが夫に与えられたドレスや宝石を自慢するのに終始する中、私はこの三年、ただひたすら第三王子マークナル殿下の元で書類を捌いて生きてきたのだから。

「マークナル殿下。こちらの書類をご確認ください」
「さすが、カティリアはいつも仕事が早いね」
「いつも申し上げておりますが、フリーディル夫人とお呼びください」

 私は、誰よりも第三王子マークナル殿下の近くにいる女性でもある。
 通常であれば噂好きの社交界の格好の餌食になりそうな距離だが、私が普段からあまりにも無表情であり仕事にしか興味を持たないため、関係を邪推されることもない。
 だからなのだろう。マークナル殿下が私をそばに置いておくのは……。

「カティリア、屋敷では最近どう?」

 マークナル殿下が気易く私のことをカティリアと呼ぶのは、二人きりの時だけだ。いくら言っても改めないし、人がいるときにはきちんとフリーディル夫人と呼ぶので途中から諦めつつある。

「またその質問ですか? あいかわらずです。使用人たちはウェルズ様に放置されている私のことを女主人とは認めていませんから」

 情けない話だ。けれど、執事長も、侍女長も、使用人たちの誰一人として私に見向きもしないのだ。むしろ嫌がらせをされていると言っても過言ではない。

「そろそろ、官僚向けの宿舎に移る気になったかい?」
「……少なくともあと1カ月は、フリーディル家の人間です。そんな醜聞になるようなこと、できませんわ」
「君は頑なだね」
「良く言われます」

 それでも、マークナル殿下はことあるごとに私を助けてくれていた。
 ありがたい話だ……。もちろん、家臣の一人への恩情であることはわかっているけれど。

 休憩のために紅茶を淹れる準備をしていると、マークナル殿下があの話題を口にした。

「そういえば君とウェルズの白い結婚が認められるまであと1カ月だね」
「……マークナル殿下。その話題はこの場所に相応しくないかと」

 私は周囲を見渡した。マークナル殿下の執務室には人がいない。
 誰かに聞かれる心配はないようだ。
 確かに最近の私は、そのことばかり考えていたように思う。
 そのことは、マークナル殿下にはバレバレだったというわけだ。

「良いじゃないか。それで、どうするつもりなんだ?」
「そうですね。ウェルズ様は、この三年間家に戻ってくることがなく、戦地で暮らしておられます。現地に恋人もいるのでしょうし、話し合ってこの結婚を無効にするのも良いかと考えております」
「そうか……。ところで、そのあとは」

 マークナル殿下は、王族だけに現れる美しい紫色の瞳で私を見つめた。

(あいかわらず綺麗な瞳よね……。令嬢たちが虜になってしまうのにもうなずけるわ)

 それだけではない。マークナル殿下の紫色の瞳には魅惑の魔力が宿っている。
 だからこそ、第三王子でありながらマークナル殿下は出来る限り社交界に顔を出さずにこの執務室に籠もっているのだ。

「君だけには効かないんだよな」
「効いてしまったら困るでしょう?」

 冗談でもやめてほしいと思いながら、マークナル殿下をにらむ。
 いたずらっぽい笑みを浮かべて、マークナル殿下がいつもの冗談を口にした。

「もし君が俺の瞳で魅了されたら、すぐ妃に迎えるのにな……」
「まあ……。ご冗談ばかり」

 マークナル殿下の瞳が異性を魅了してしまうのは王家の秘密だ。彼がその気になれば全ての女性が彼の魔性の瞳の虜になる。

 ――解けない氷の女である私を除いて。

 私は魔力がない。その代わりに私にはどんな魔法も効きはしないのだ。
 私に魔力がないことは周知の事実だが、魔法が効かないことは公にされていない。
 そのことは、決して周囲に知られてはいけないと、マークナル殿下と夫であるウェルズ様に厳命されているのだ。

 事実を知っているのは、マークナル殿下とウェルズ様だけだ。
 どうしてそんなにも隠さなくてはいけないのか、私にはわからないけれど、第三王子と騎士団長である二人が揃って真剣な表情で言うくらいだ。よほどのことなのだろう……。

「話を元に戻そう。結婚が無効になったらどうするつもりだ?」
「そうですね。私はしがない子爵家の出身です。しかも、実家は魔力を持たない私のことを良く思っていませんし……。今は侯爵家夫人として王宮で働かせていただいていますが、下級貴族の私が秘書官としてこの場所にいるのは相応しくないでしょう」
「……そんなこと気にしないでもいいのに」
「マークナル殿下のご評判を落としたくありませんし、家庭教師の働き口を探そうかと考えています」

 マークナル殿下は視線を落として冷めてしまった紅茶を一気に飲み干した。
 そして口元を歪めて会話を続けた。

「……ふう。この3年間、もう少し俺に頼ってほしかったな。ところで、隣国との戦い……。あと1年は泥沼の戦いが続くと予想されていたが、和平が結ばれることになった」
「はい?」

 私の夫、ウェルズ・フィリーディル様はこの国の騎士団長だ。
 平和のために働く彼のことを結婚当時はとても尊敬し、力になりたいと心から願っていた。
 けれど結婚式の直後から戦場に出掛けたウェルズ様は、私のことを顧みることなく、他の騎士たちが戦場に派遣される合間に妻の元に戻ってきても一度だって戻ってくることはなかった。

「――しかし、あいつも無理矢理、間に合わせたな。まさかたった三年足らずで和平をつかみ取るとは」
「和平……」
「しかし、今回は残念な結果になった」
「は? まさか夫の身に何か!?」
「ああ、あいつはかなり無茶をしていたからな……」
「そ、そんな!」

 マークナル殿下は、困ったような笑みを私に向けた。
 予想していなかった事実に、私は抱えていた書類を取り落とた。

「どちらにしても、そろそろ君の屋敷にも知らせが届いていることだろう」
「……あの、今日は早退してもよろしいでしょうか」
「ああ、一週間くらい休んでも良いよ」

 いつも何事にも動じることなく無表情な私が慌てて走り去る後ろ姿をマークナル殿下はじっと見つめていた。

「あーあ。あと1カ月だったのになぁ」

 その言葉は、だれにも聞かれることはなく、もちろん私の耳にも届くことはないのだった。

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