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聖女と薔薇の薬 5
しおりを挟むライナスが出掛けてしまうと、屋敷内にはひととき静寂が訪れた。
かなり多くの魔力を先ほどの薬作りで消費していたらしい。シルビアは、軽いめまいを覚えて、ベッドに倒れ込んだ。
一人寝るベッドは、ヒンヤリしている。
そして、思い出すのは、ほんのさわりだと言ったライナスと過ごした夜のことだ。
足をバタバタと動かして、顔を覆う。
「知らないこと、ばかりです」
シルビアが知っていることといえば、長老様に教えていただいたことばかり。
そして、その全ては正しいのだと、狭い世界に生きていたシルビアは、無条件に信じていたのに。
「……嘘つきとは、言い切れません」
そう、長老様が教えてくれたことは、嘘ではない。だからこそ、たちが悪い。
「さわり、とは……」
けれど、シルビアには未だよく分からない。
ライナスは、知っている様子なのだから、どこかで調べれば分かるのかもしれないが……。
「こんな時、アンさんがいてくれたら」
刺繍を教えてくれたのも、アンだった。
東の国の刺繍だというそれは、艶々光る絹糸を撚り合わせるところから始まる。
刺繍というものを経験したことがないシルビアは、けれど繕い物は自分でしていたので、針と糸の扱いは得意だ。
そう思っていたのに、やはり刺繍ともなれば、針の持ち方一つから違うのだ。
「そう、物事にはいくつもの側面があるのです」
ある意味、ガロン王国の最下層でのシルビアは、聖女らしい聖女だった。
清貧を重んじて、祈り暮らす。
美しい心のみを持ち、人らしいドロドロした感情に触れることもなかった。
けれど、本音を言えば、シルビアは今の自分のほうが好きだ。
大好きな甘いものを食べて、ライナスを思って刺繍し、時に嫉妬する。
もしかしたら、知り合った大切な人すべてを守りたいなんて、強欲で傲慢なのかもしれない。
でも、シルビアは……。
「守りたい」
室内のはずなのに、一陣の風が吹いて、シルビアの長い金色の髪を揺らす。
精霊は、確かにいるのだと、知らせるように。
「はぁ……。でも、これは」
ラージが運命とも呼ぶべき神託の光景に加わった日から、めまぐるしくその中身は変化していく。
まるで、ゆるく流れていく大河から、一変勢いよく全てを押し流すような渓流へと運命が変化してしまったようだ。
「運命という流れの中では、人はただ1枚の葉でしかない、長老様はそう仰いました」
けれど、シルビアはただ流されるのではなく、方向を変えようと足掻く葉でありたい。
「ふふっ、葉っぱに足はありませんが……」
脳裏に浮かんだ神託。
それは、運命の支流へ流れるための道しるべなのだろうか。
それとも、滝へと続く苦難の道なのか。
どちらにしても、元々の神託に比べて、その流れは速いように思える。
魔力を消費すれば、人は眠気を覚える。
それは、これからも生きる上で、当然の生理的欲求だ。
シルビアは、ほんの少しだけ眠ることにした。
目覚めたなら、神殿に行かなくてはいけないと、心に決めて。
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