20 / 77
狼閣下と聖女 2
しおりを挟むこんなにも穏やかに過ごすのは、いつぶりだろうか。
ライナスは、まだ花は咲かないが、新しい女主人を迎えるために次々と植物が植えられた庭園で、優雅な仕草でアイスコーヒーを口にした。
この姿で残念なのは、熱いコーヒーが飲めないことだ、と思いながら。
きっと、今まで閑散としていたこの庭も、春を迎える頃には様々な色と素晴らしい香りであふれるに違いない。
目の前には、ただニコニコと微笑んで、指先でつまむことが出来るスイーツを次々と頬張るシルビアがいる。
やはり、細くて軽いことには変わりないが、以前と違い磨き抜かれた肌は透き通るようだし、もともと美しい色合いの金髪は日差しに負けないほど光り輝いていた。
顔色もよくなった、とライナスは満足げに頷く。
「ライナス様?」
「――――何でもない」
「え? 今のは、何か考えていた表情です」
「はは。お見通しか、この姿でなぜ表情から俺の考えが分かるんだ」
「…………妻だから?」
ある意味妻とは、便利な単語だ。
そんなはずはない、おそらく、ちょっとした仕草や雰囲気で察しているのだろう。そんなことをライナスは思う。
「だが、別に悪い気はしないな」
ライナスは立ち上がり、向かいにいたシルビアの横に椅子を移動させた。
シルビアは、今回は一晩で回復し、きちんと目を覚ました。
起きたときに、しがみつかれまま離してもらえなかったライナスが横にいることに気がついた時の慌てふためきは、とても可愛らしかった。
「ライナス様?」
「……とても可愛かったから、今夜も一緒に寝ようか?」
「ふぇ!?」
ライナスは知っている。
普段のシルビアであれば、いくら何でもそこまで大胆なことを言わなかっただろうと。
魔力が枯渇した状態では、眠気と酩酊感に近いもので正確な思考が難しくなる。
……そう、つい本音を言ってしまうことだって多々あるのだ。
「……本音?」
ライナスは、口元を押さえた。
いつからかライナスは、シルビアを手放す気が少しもなくなっている。
そう、たとえ彼女が望んだとしても。
「……そういえば、まだ伝えていないな」
「ライナス様?」
そっと触れた髪の毛は、今日も美しく編み込まれ、サイドに流されている。
飾られた紫色の宝石は、その瞳に負けないほどキラキラと輝いていた。
少女から大人に変わりつつあるシルビアの美しさは、日々磨きがかかる。
「――――結婚の申し込みをして、シルビアは俺の妻になった」
「そうですね。私は、ライナス様の奥さんです」
二人はいまだに、友だちのような距離感を保っている。
ライナスは、ここまで誰かを近くに置いたことがなかったし、シルビアは恋愛についてなにひとつ知らない。
屋敷の人間は、みんなヤキモキしながら二人の姿を見守っていた。
「期間限定という話だが」
「…………っ!!」
ガシャン、と音を立てて倒れたティーカップ。
ほとんど飲まれていなかったそれは、小さなテーブル全体に広がって、地面にこぼれ落ちた。
「あ……」
「……少し、歩こうか」
慌ててテーブルを拭こうとしたシルビアを制したライナスは、手を引いた。
次の瞬間には、集まってきた使用人たちが手際よくテーブルを片付けていく。
「……はい」
無言のまま、二人はまだ花の咲かない庭園を歩き出した。
俯いてしまったシルビアと、タイミングを逃してしまったライナスは、沈黙したまま歩く。
生け垣を越えたところには、小さな池があった。
二人が眺めていると、餌をせがむように水鳥が近くへと寄ってきた。
そのまま軽く飛び立って、水鳥はシルビアの足元にすり寄った。
「ずいぶん懐いているのだな」
シルビアが、この場所に来てからほとんど日は経っていない。
不思議に思ったライナスが口にすると、しゃがみ込んだシルビアがつぶやいた。
「幼い頃から、動物たちには不思議と好かれるんです。……ふふ。人間たちには嫌われていたのに、おかしいですよね」
「…………」
「えっと、ごめんなさい。先ほどの話の続きをどうぞ」
いつもまっすぐにライナスを見つめるシルビアは、しかし水鳥に目を向けるように俯いたままだ。
その様子をしばらく眺めていたライナスは、おもむろにシルビアの横にしゃがみ込んだ。
「シルビア」
「はい……」
声を掛けても、シルビアが顔を上げることはない。
ライナスは、そっとため息をつくとシルビアの顔をのぞき込んだ。
「こちらを見てくれないか……」
「は、はい……」
返事をしているのに、こちらを向かないシルビア。
ライナスは、両の頬を挟んで上を向かせる。
「ところで、俺がなんて言うと思っている?」
「…………この結婚は期間限定だと」
泣きそうになっていながら、涙をこらえるような顔を見て、ライナスは彼女をほんの少しいじめてしまいたくなった。
赤くなってしまった鼻先が可愛らしく、自分の気持ちがまったく伝わっていないことがひどく苛立たしい。
「そうか……。振られてしまったようだ」
「へ!?」
勢いよく向いた顔と、大きく見開かれた紫の瞳。
「――――ずっと一緒にいたいと思っているのは、俺だけらしい」
「へ!?」
間が抜けたように、同じ音を繰り返すシルビアは、まだライナスに頬を挟まれたままだ。
ふにふにと頬を軽く押しながら、ライナスはそのまま口を紡ぐ。
「ら、ライナス様は、ずっと一緒にいたいのですか? 私なんかと……」
「そう言っている」
「なぜ……」
本当に分からないのだろうか。こんなにも必死になって、好意を伝えているつもりだったのに。
そう思いながらも、ライナスは、まだ期間限定の婚姻関係と言うことすら、否定していない自分に苦笑した。
こんなにも臆病な人間だったとは、思ってもみなかった。
「なぜ? 一緒にいたいというのはそんなにおかしいか? 俺は、期間限定などではなく、ずっと一緒にいたい。……シルビアは?」
「わ、私……」
まだ、信じられないとでも言うようにライナスを見つめていたシルビアの喉元が、ゴクリと上下した。
今度こそまっすぐライナスを見つめた瞳は、涙で完全に潤んでいる。
「――――ずっと、一緒にいたいです」
「そう、よかった。断られるかもしれないと、少々案じていた」
「嬉しいです」
抱き寄せられた二人をオレンジ色の光が包み、今日もライナスの姿は人のそれになる。
「――――愛している」
誰一人いない、小さな池のほとり。
二人の影と唇が重なった。
もちろん、この後シルビアは眠り込んでしまう。
そして、次にシルビアが目が覚めたとき、残念ながらライナスは王宮に呼び出されて、シルビアのそばにはいなかった。
13
お気に入りに追加
2,705
あなたにおすすめの小説
婚約破棄されて幽閉された毒王子に嫁ぐことになりました。
氷雨そら
恋愛
聖女としての力を王国のために全て捧げたミシェルは、王太子から婚約破棄を言い渡される。
そして、告げられる第一王子との婚約。
いつも祈りを捧げていた祭壇の奥。立ち入りを禁止されていたその場所に、長い階段は存在した。
その奥には、豪華な部屋と生気を感じられない黒い瞳の第一王子。そして、毒の香り。
力のほとんどを失ったお人好しで世間知らずな聖女と、呪われた力のせいで幽閉されている第一王子が出会い、幸せを見つけていく物語。
前半重め。もちろん溺愛。最終的にはハッピーエンドの予定です。
小説家になろう様にも投稿しています。
「お前を愛するつもりはない」な仮面の騎士様と結婚しました~でも白い結婚のはずなのに溺愛してきます!~
卯月ミント
恋愛
「お前を愛するつもりはない」
絵を描くのが趣味の侯爵令嬢ソールーナは、仮面の英雄騎士リュクレスと結婚した。
だが初夜で「お前を愛するつもりはない」なんて言われてしまい……。
ソールーナだって好きでもないのにした結婚である。二人はお互いカタチだけの夫婦となろう、とその夜は取り決めたのだが。
なのに「キスしないと出られない部屋」に閉じ込められて!?
「目を閉じてくれるか?」「えっ?」「仮面とるから……」
書き溜めがある内は、1日1~話更新します
それ以降の更新は、ある程度書き溜めてからの投稿となります
*仮面の俺様ナルシスト騎士×絵描き熱中令嬢の溺愛ラブコメです。
*ゆるふわ異世界ファンタジー設定です。
*コメディ強めです。
*hotランキング14位行きました!お読みいただき&お気に入り登録していただきまして、本当にありがとうございます!
そんなに聖女になりたいなら、譲ってあげますよ。私は疲れたので、やめさせてもらいます。
木山楽斗
恋愛
聖女であるシャルリナ・ラーファンは、その激務に嫌気が差していた。
朝早く起きて、日中必死に働いして、夜遅くに眠る。そんな大変な生活に、彼女は耐えられくなっていたのだ。
そんな彼女の元に、フェルムーナ・エルキアードという令嬢が訪ねて来た。彼女は、聖女になりたくて仕方ないらしい。
「そんなに聖女になりたいなら、譲ってあげると言っているんです」
「なっ……正気ですか?」
「正気ですよ」
最初は懐疑的だったフェルムーナを何とか説得して、シャルリナは無事に聖女をやめることができた。
こうして、自由の身になったシャルリナは、穏やかな生活を謳歌するのだった。
※この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「アルファポリス」にも掲載しています。
※下記の関連作品を読むと、より楽しめると思います。
聖女召喚に巻き込まれた挙句、ハズレの方と蔑まれていた私が隣国の過保護な王子に溺愛されている件
バナナマヨネーズ
恋愛
聖女召喚に巻き込まれた志乃は、召喚に巻き込まれたハズレの方と言われ、酷い扱いを受けることになる。
そんな中、隣国の第三王子であるジークリンデが志乃を保護することに。
志乃を保護したジークリンデは、地面が泥濘んでいると言っては、志乃を抱き上げ、用意した食事が熱ければ火傷をしないようにと息を吹きかけて冷ましてくれるほど過保護だった。
そんな過保護すぎるジークリンデの行動に志乃は戸惑うばかり。
「私は子供じゃないからそんなことしなくてもいいから!」
「いや、シノはこんなに小さいじゃないか。だから、俺は君を命を懸けて守るから」
「お…重い……」
「ん?ああ、ごめんな。その荷物は俺が持とう」
「これくらい大丈夫だし、重いってそういうことじゃ……。はぁ……」
過保護にされたくない志乃と過保護にしたいジークリンデ。
二人は共に過ごすうちに知ることになる。その人がお互いの運命の人なのだと。
全31話
王子、侍女となって妃を選ぶ
夏笆(なつは)
恋愛
ジャンル変更しました。
ラングゥエ王国唯一の王子であるシリルは、働くことが大嫌いで、王子として課される仕事は側近任せ、やがて迎える妃も働けと言わない女がいいと思っている体たらくぶり。
そんなシリルに、ある日母である王妃は、候補のなかから自分自身で妃を選んでいい、という信じられない提案をしてくる。
一生怠けていたい王子は、自分と同じ意識を持つ伯爵令嬢アリス ハッカーを選ぼうとするも、母王妃に条件を出される。
それは、母王妃の魔法によって侍女と化し、それぞれの妃候補の元へ行き、彼女らの本質を見極める、というものだった。
問答無用で美少女化させられる王子シリル。
更に、母王妃は、彼女らがシリルを騙している、と言うのだが、その真相とは一体。
本編完結済。
小説家になろうにも掲載しています。
氷の騎士は、還れなかったモブのリスを何度でも手中に落とす
みん
恋愛
【モブ】シリーズ③(本編完結済み)
R4.9.25☆お礼の気持ちを込めて、子達の話を投稿しています。4話程になると思います。良ければ、覗いてみて下さい。
“巻き込まれ召喚のモブの私だけが還れなかった件について”
“モブで薬師な魔法使いと、氷の騎士の物語”
に続く続編となります。
色々あって、無事にエディオルと結婚して幸せな日々をに送っていたハル。しかし、トラブル体質?なハルは健在だったようで──。
ハルだけではなく、パルヴァンや某国も絡んだトラブルに巻き込まれていく。
そして、そこで知った真実とは?
やっぱり、書き切れなかった話が書きたくてウズウズしたので、続編始めました。すみません。
相変わらずのゆるふわ設定なので、また、温かい目で見ていただけたら幸いです。
宜しくお願いします。
二度目の召喚なんて、聞いてません!
みん
恋愛
私─神咲志乃は4年前の夏、たまたま学校の図書室に居た3人と共に異世界へと召喚されてしまった。
その異世界で淡い恋をした。それでも、志乃は義務を果たすと居残ると言う他の3人とは別れ、1人日本へと還った。
それから4年が経ったある日。何故かまた、異世界へと召喚されてしまう。「何で!?」
❋相変わらずのゆるふわ設定と、メンタルは豆腐並みなので、軽い気持ちで読んでいただけると助かります。
❋気を付けてはいますが、誤字が多いかもしれません。
❋他視点の話があります。
帝国最強(最凶)の(ヤンデレ)魔導師は私の父さまです
波月玲音
恋愛
私はディアナ・アウローラ・グンダハール。オストマルク帝国の北方を守るバーベンベルク辺境伯家の末っ子です。
母さまは女辺境伯、父さまは帝国魔導師団長。三人の兄がいて、愛情いっぱいに伸び伸び育ってるんだけど。その愛情が、ちょっと問題な人たちがいてね、、、。
いや、うれしいんだけどね、重いなんて言ってないよ。母さまだって頑張ってるんだから、私だって頑張る、、、?愛情って頑張って受けるものだっけ?
これは愛する父親がヤンデレ最凶魔導師と知ってしまった娘が、(はた迷惑な)溺愛を受けながら、それでも頑張って勉強したり恋愛したりするお話、の予定。
ヤンデレの解釈がこれで合ってるのか疑問ですが、、、。R15は保険です。
本人が主役を張る前に、大人たちが動き出してしまいましたが、一部の兄も暴走気味ですが、主役はあくまでディー、の予定です。ただ、アルとエレオノーレにも色々言いたいことがあるようなので、ひと段落ごとに、番外編を入れたいと思ってます。
7月29日、章名を『本編に関係ありません』、で投稿した番外編ですが、多少関係してくるかも、と思い、番外編に変更しました。紛らわしくて申し訳ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる