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狼閣下と聖女 2

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 こんなにも穏やかに過ごすのは、いつぶりだろうか。
 ライナスは、まだ花は咲かないが、新しい女主人を迎えるために次々と植物が植えられた庭園で、優雅な仕草でアイスコーヒーを口にした。
 この姿で残念なのは、熱いコーヒーが飲めないことだ、と思いながら。

 きっと、今まで閑散としていたこの庭も、春を迎える頃には様々な色と素晴らしい香りであふれるに違いない。
 目の前には、ただニコニコと微笑んで、指先でつまむことが出来るスイーツを次々と頬張るシルビアがいる。

 やはり、細くて軽いことには変わりないが、以前と違い磨き抜かれた肌は透き通るようだし、もともと美しい色合いの金髪は日差しに負けないほど光り輝いていた。
 顔色もよくなった、とライナスは満足げに頷く。

「ライナス様?」
「――――何でもない」
「え? 今のは、何か考えていた表情です」
「はは。お見通しか、この姿でなぜ表情から俺の考えが分かるんだ」
「…………妻だから?」

 ある意味妻とは、便利な単語だ。
 そんなはずはない、おそらく、ちょっとした仕草や雰囲気で察しているのだろう。そんなことをライナスは思う。

「だが、別に悪い気はしないな」

 ライナスは立ち上がり、向かいにいたシルビアの横に椅子を移動させた。
 シルビアは、今回は一晩で回復し、きちんと目を覚ました。
 起きたときに、しがみつかれまま離してもらえなかったライナスが横にいることに気がついた時の慌てふためきは、とても可愛らしかった。

「ライナス様?」
「……とても可愛かったから、今夜も一緒に寝ようか?」
「ふぇ!?」

 ライナスは知っている。
 普段のシルビアであれば、いくら何でもそこまで大胆なことを言わなかっただろうと。

 魔力が枯渇した状態では、眠気と酩酊感に近いもので正確な思考が難しくなる。
 ……そう、つい本音を言ってしまうことだって多々あるのだ。

「……本音?」

 ライナスは、口元を押さえた。
 いつからかライナスは、シルビアを手放す気が少しもなくなっている。
 そう、たとえ彼女が望んだとしても。

「……そういえば、まだ伝えていないな」
「ライナス様?」

 そっと触れた髪の毛は、今日も美しく編み込まれ、サイドに流されている。
 飾られた紫色の宝石は、その瞳に負けないほどキラキラと輝いていた。
 少女から大人に変わりつつあるシルビアの美しさは、日々磨きがかかる。

「――――結婚の申し込みをして、シルビアは俺の妻になった」
「そうですね。私は、ライナス様の奥さんです」

 二人はいまだに、友だちのような距離感を保っている。
 ライナスは、ここまで誰かを近くに置いたことがなかったし、シルビアは恋愛についてなにひとつ知らない。
 屋敷の人間は、みんなヤキモキしながら二人の姿を見守っていた。

「期間限定という話だが」
「…………っ!!」

 ガシャン、と音を立てて倒れたティーカップ。
 ほとんど飲まれていなかったそれは、小さなテーブル全体に広がって、地面にこぼれ落ちた。

「あ……」
「……少し、歩こうか」

 慌ててテーブルを拭こうとしたシルビアを制したライナスは、手を引いた。
 次の瞬間には、集まってきた使用人たちが手際よくテーブルを片付けていく。

「……はい」

 無言のまま、二人はまだ花の咲かない庭園を歩き出した。
 俯いてしまったシルビアと、タイミングを逃してしまったライナスは、沈黙したまま歩く。
 生け垣を越えたところには、小さな池があった。

 二人が眺めていると、餌をせがむように水鳥が近くへと寄ってきた。
 そのまま軽く飛び立って、水鳥はシルビアの足元にすり寄った。

「ずいぶん懐いているのだな」

 シルビアが、この場所に来てからほとんど日は経っていない。
 不思議に思ったライナスが口にすると、しゃがみ込んだシルビアがつぶやいた。

「幼い頃から、動物たちには不思議と好かれるんです。……ふふ。人間たちには嫌われていたのに、おかしいですよね」
「…………」
「えっと、ごめんなさい。先ほどの話の続きをどうぞ」

 いつもまっすぐにライナスを見つめるシルビアは、しかし水鳥に目を向けるように俯いたままだ。
 その様子をしばらく眺めていたライナスは、おもむろにシルビアの横にしゃがみ込んだ。

「シルビア」
「はい……」

 声を掛けても、シルビアが顔を上げることはない。
 ライナスは、そっとため息をつくとシルビアの顔をのぞき込んだ。

「こちらを見てくれないか……」
「は、はい……」

 返事をしているのに、こちらを向かないシルビア。
 ライナスは、両の頬を挟んで上を向かせる。

「ところで、俺がなんて言うと思っている?」
「…………この結婚は期間限定だと」

 泣きそうになっていながら、涙をこらえるような顔を見て、ライナスは彼女をほんの少しいじめてしまいたくなった。
 赤くなってしまった鼻先が可愛らしく、自分の気持ちがまったく伝わっていないことがひどく苛立たしい。

「そうか……。振られてしまったようだ」
「へ!?」

 勢いよく向いた顔と、大きく見開かれた紫の瞳。

「――――ずっと一緒にいたいと思っているのは、俺だけらしい」
「へ!?」

 間が抜けたように、同じ音を繰り返すシルビアは、まだライナスに頬を挟まれたままだ。
 ふにふにと頬を軽く押しながら、ライナスはそのまま口を紡ぐ。

「ら、ライナス様は、ずっと一緒にいたいのですか? 私なんかと……」
「そう言っている」
「なぜ……」

 本当に分からないのだろうか。こんなにも必死になって、好意を伝えているつもりだったのに。
 そう思いながらも、ライナスは、まだ期間限定の婚姻関係と言うことすら、否定していない自分に苦笑した。
 こんなにも臆病な人間だったとは、思ってもみなかった。

「なぜ? 一緒にいたいというのはそんなにおかしいか? 俺は、期間限定などではなく、ずっと一緒にいたい。……シルビアは?」
「わ、私……」

 まだ、信じられないとでも言うようにライナスを見つめていたシルビアの喉元が、ゴクリと上下した。
 今度こそまっすぐライナスを見つめた瞳は、涙で完全に潤んでいる。

「――――ずっと、一緒にいたいです」
「そう、よかった。断られるかもしれないと、少々案じていた」
「嬉しいです」

 抱き寄せられた二人をオレンジ色の光が包み、今日もライナスの姿は人のそれになる。

「――――愛している」

 誰一人いない、小さな池のほとり。
 二人の影と唇が重なった。
 もちろん、この後シルビアは眠り込んでしまう。

 そして、次にシルビアが目が覚めたとき、残念ながらライナスは王宮に呼び出されて、シルビアのそばにはいなかった。
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