英雄の元婚約者は魔塔で怠惰に暮らしたいだけ。

氷雨そら

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怠惰な魔女は主張する

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「新作よ。どうぞ召し上がって。魔術師団長殿」

 魔術師のローブを羽織っているのに、極上のドレスを纏っているかのような優雅な所作。
 少女のようだったエレノアが、一瞬にして最高の淑女へとその雰囲気を変える。

 魔術師団長として、人の上に立つベルセーヌですら、居住まいを正さずにはいられなかった。

 それは、ベルセーヌに、かつて王宮で見かけたことがある、英雄の婚約者エレノアの姿を思い起こさせた。

 洗練された所作で、小さな机を挟んで、ベルセーヌの向かいの席に腰かけたエレノアは、自分の目の前にも置かれたその紫色の泡立つ液体を一気にあおった。

「くっ、体に悪くないんだろうな?!」
「……さあ?」

 質問するのではなかった、とでも言いたげな表情をした後、ベルセーヌも、意を決してその液体を飲み干す。

 魔女の出した飲み物を飲み干すことは、魔女への信頼を表す古くからの慣習だ。

 それが分かっていて、エレノアはベルセーヌにこの飲み物を出したのだろう。

 ――エレノアは魔女であると、主張するために。

 予想に反して、その液体はどこまでも甘く、ほんの少しの酸味を感じて、さらに刺激的だった。

「それにしても、魔獣討伐の帰りか何かなの? 魔力がほとんど底をつきかけていたわ。それで、少しは回復したでしょう?」
「ひと悶着あってな……。主に、誤解のせいで死にかけたんだ」

 にこりと笑うエレノアに、ベルセーヌは肌が粟立つのを感じた。つい、本当のことを告げてしまったのも、想定外だったせいだろう。

 魔力量は、魔術師にとって、最も隠すべき生命線だ。だから、何重もの魔道具や魔法で隠蔽しているのに。

 ましてや、魔術師団長であるベルセーヌの魔力量を見ることができる人間は、英雄レイ・ラプラスくらいしかいない。

 そして、実際に漲ってくる力は、本当に久しぶりに魔力がすべて回復したことを意味していた。

「――それで、本題に入って。新しい魔道具の構想に忙しいの」

 雑多に置かれている魔道具や瓶に詰められた魔法薬は、どれも、その販売権や製造方法を欲しがっているものと取引をすれば、王都に屋敷の一軒や二軒は立ってしまうようなものばかりだ。

 なかには、その技術をめぐって、国家間の戦争に発展する可能性があるものまであった。

 どこかとぼけた印象の、かわいらしい女性がその制作者というのは、あまりにそぐわない。

 それでも、確かにエレノアが、その魔道具を構想し、制作したことをベルセーヌはよく知っている。ベルセーヌ自身も、何度もその魔道具に命を救われているのだから。

「……第一級招集が掛かっています」
「へぇ……? ドラゴンでも出現したの? ん? ベルセーヌがここにいるってことは、誰に」
「魔塔の長、エレノア様に」
「……誰からの依頼? 陛下?」

 魔塔は、太古から特別な権限を与えられている。

 基本的には、治外法権だから、王族であっても、おいそれと、ダラダラと暮らすエレノアを外へ呼び出すことは不可能だ。

 すべての権利を超える意義を持つ、国家の非常事態に発令される、第一級招集を除いて。

 そして、それを発令できるのは、国王陛下か、魔塔を上回る権限を持つ者だけだ。目の前にいる、一万の兵を相手取り戦えるという噂の魔術師団長ベルセーヌですら、その権限を持たない。

 ベルセーヌが、緩々と首を振る。

(陛下ではないとすると、この国の軍部を束ねる将軍であり英雄であるレイ・ラプラス……)

「英雄レイ・ラプラスが、三年ぶりに帰還しました」
「……今まで世話になったわね」
「どうして、わざわざ多忙な俺が迎えによこされたと思っているんですか」

 そんなの、エレノアを逃さないために決まっている。
 エレノアが、首元の魔石に手をかけるより、ベルセーヌの拘束魔法のほうが一瞬早かった。

「魔力を補充していただき、感謝しています。おかげで役目を果たすことができます。今回の任務、強大な敵に、命を賭けねばと思っていましたから」
「強大な敵とは?!」
「あなたのおかげで無理難題を吹っ掛けられていることは、これでチャラにして差し上げます」
「いや、あなたが持ってくる無理難題を解決してあげているの、誰だと思っているの?! 私は一応、魔塔の長なんだよ? 国家を揺るがす大問題に発展するんだから!」

 かくして魔女エレノアは捕らえられた。

「ああああっ、せめてお気に入りのソファーだけは!」

 静かな魔塔に、場違いな声が響き渡ったが、それもすぐに遠く消えていった。
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