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勘違いとお仕事中の旦那様 5

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 ここに来るまで、ほんの少したりとも私のそばを離れなかったレザン様とドルアス様の姿まで消えてしまい、途方に暮れてテラスに佇む。
 そのとき、強い風が吹いて、ビーズで重いはずのスカートの裾が膨らんで、思わず両手で押さえつける。

 ギュッと瞑っていた目をソロソロと開けると、そこには風の精霊ルルードと、火の精霊リーリルがいた。
 日差しの中では、ルルードとリーリルの姿は透けているようで、どこか朧気だ。
 そして、二体の精霊に挟まれているのは、お仕事中の表情を崩さないままのジェラルド様だ。

「……ステラ、今日はどうして王宮に?」
「うっ」

 気がつかれてしまっていたらしい、先ほど目が合ったのは、気のせいではなかったのだ。
 私だってわかっている、ジェラルド様は、私なんていなくたって大丈夫だって。
 それでも心配だったし、できることなら力になりたかったのだ。

 俯いて、タイル張りのテラスの床を見つめながら、もじもじと両手の指先を所在なさげに動かす。
 そんな私の手にジェラルド様の大きな手が重ねられる。

「あの……軍法会議にかけられているのではないかと」
「ああ、それで心配して来てしまったのか」
「……大丈夫だったのですか?」
「私を誰だと思っている? 私のことを陥れようとしたところで、逆に複数の罪状で軍法会議にかけられることになるのは相手方だ」

 つまり、私の取り越し苦労だったということだ。

「そうでなければ、いくら陛下の弟だからといって、この地位まで昇ることなどできまい」
「……」

 こんなにきらびやかな格好をして、王宮にまで来てしまった私をジェラルド様は、どう思うのだろうか。
 そんなことを思っていると、重ねられた手にギュッと力が込められる。

「……私のことを心配してくれたのかな?」
「……もちろん心配しますよ」

 ジェラルド様は、眼鏡をかけたままだ。
 今日のお姿は、正装と眼鏡で知的でいかにも仕事ができる印象だ。
 そんな姿のまま、優しく笑わないでほしい。顔に熱が集まってしまう。

「そのドレス……気に入ってもらえただろうか」
「とても素敵です。私になんて、もったいないと思いますが」

 ふわり、と足元が浮かんで、気がつけば抱き上げられていた。
 高く抱き上げられたから不安定で、思わずジェラルド様の両肩に腕を回す。

「君ほどこのドレスが似合う人などいない」
「ジェラルド様……」
「心配してくれたことは嬉しい。だが、王宮はまだ君にとって安全とは言いがたい」
「レザン卿とドルアス様も一緒です……」
「――――それは、間違いなく安全で、むしろ過剰戦力かもしれないが。……そうか、つまり私は」
「きゃ!?」

 ジェラルド様が急に歩き出したせいで不安定になったことに驚いてしがみつく。
 そのまま、ジェラルド様は、テラスから室内へと歩み、部屋のカーテンを閉めた。

 そっと、カーテンの前に降ろされて、高い位置から金色の瞳で見下ろされる。
 急にカーテンが閉められたせいで、まだ目が慣れないから、ジェラルド様の表情はよく見えない。
 メガネが外されて、まっすぐ見つめられる。
 目の前にあるのは、暗い室内でもそこだけ輝いているような金色の瞳だけだ。

「ジェラルド様……」
「ステラ」

 そっと、いつものように私の頭を撫でた手が、そのまま頬に下りてくる。
 ようやく明暗の差に慣れてきた目が、ジェラルド様の表情を捉える。

「────つまり、私はこんな美しく着飾った君を誰の目にも触れさせず、独り占めしたかったようだ」
「へ……?」
「テラスの下の庭園を通りすがる人間が、皆、君に見惚れているのを見て、気が気ではなかった」
「えっ、そんなはず」
「……だが、君は知らなくて良い、どれだけ自分が魅力的かなんて」

 ジェラルド様が、よそ行きの王弟殿下としての仮面を外して、いつもの優しげな微笑みを見せる。
 もちろん、カッコいいよそ行きの表情は本当に素敵でずっと眺めていたい。
 でも、どちらか選ぶのなら、断然この表情が良い。

 少しだけ緩められたジェラルド様の形の良い口元から紡がれるのは、なぜか私への賛辞だ。
 地味な私は、ジェラルド様からどんなふうに見えるのだろう。そんなことをふと思う。

「……怖がらせたくはないから、少しずつ近づくことに決めているのだが」
「……ジェラルド様のことが怖いなんて、あり得ません」
「そうだな。君ならばそう言うだろう。だが、君はまだ何も知らない」
「子ども扱い、しないでください」
「……今日みたいに大人びた美しい姿を前にすると、全部忘れてしまいそうになる」

 ゆるく巻かれた後れ毛が、そっと耳にかけられる。
 まっすぐに見つめられれば、羞恥のあまりすぐに目をそらしたくなるけれど、それはグッとこらえる。

「……ずっと好きでした」
「ああ、私もだよ。幼い君を見守りながら、それでもきっと……青い光が揺れる記憶の奥底にいる大人になった君に会える日を待ち望んでいた」
「……ジェラルド様?」
「今ならわかる。……待っていたんだ、十五歳のあの日から」

 その言葉の意味は、わからない。けれど、一つわかるのは二人の年は離れたままで、きっと、ずっとジェラルド様は私のことを子ども扱いし続けるのだろうということだ。

 今度靴を買ってもらうときは、もっとヒールの高い靴にしてもらおう。
 一生懸命背伸びしても、私たちの背は違いすぎるから。
 少しでも、ジェラルド様に近づけるように……。

 ジェラルド様が、私に合わせて背中を曲げる。
 目を閉じた私の唇に、触れるか触れないかの口づけ。
 その感触は、淡雪みたいに儚く、ほんの一瞬で溶けて消えてしまう。

 胸の鼓動を鎮めるすべを知らないまま、そっと目を開ければ、ジェラルド様は穏やかに微笑んでいた。

「──あと、もうすこし待つくらい、どうということはない」
「ジェラルド様、私は」
「これからも、君を守る盾でいたいんだ」
「……それなら私だって」

 その言葉の続きは、長くて節くれ立った指先にそっと押さえられてしまった。

「君の行動は予想がつかないから、心配のあまり心臓が持たない。……黙って守られていなさい」
「……」
「わかったね?」

 もちろん、心の中ではジェラルド様を守りたい気持ちは消えたりしない。
 けれど、困ったように笑うその表情が好きすぎて、口から心臓が飛び出そうで、それどころではなく、今日も私はぶんぶん首を縦に振ることしかできなかったのだった。
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