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本当の気持ちとお守りの言葉

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 馬車に乗るとルドルフはアリアーナの斜め前に座り、一枚の紙を差し出してきた

「これは……」
「君が手掛けた服飾事業についての報告書だ。当初の予想の三倍以上の反響と収益だ」
「……全部、ルドルフ様のおかげです」
「俺は君のアイデアを練り直す手伝いをしたにすぎない。王都に店を構えた店もすでに半年待ちだ。リリアーヌ・フェルト侯爵令嬢の広告も平民、貴族問わず話題になっている」

 リリアーヌ・フェルト侯爵令嬢は、完璧な美しさと優雅さ、そして斬新さで瞬く間に王都の女性たちの心を掴んでしまった。
 すでに手掛けつつある化粧品事業も、軌道に乗りつつあった。

「もちろん、必要があればいつでも手助けするが、これで君も自由に生きていけるだろう」

 もう一枚、ルドルフが出してきた紙は、一度は手放したメイディン伯爵家の正統な後継者がアリアーナだという国王のサイン入りの証書だった。

「どういうことですか?」
「当然だろう。あの親子は君を追い出したつもりだろうが、メイディン伯爵家の正当な血統を継ぐ人は君しかいない。正義がどちらにあるかなど、あまりに明白だ」
「ルドルフ様が、ずっと忙しかったのは、もしかしてお仕事だけではなく」

 結婚してからルドルフは、ほとんど屋敷に戻れないほど忙しかった。
 もちろん、一代でここまで成り上がったのだ。仕事が忙しいのは当然だとアリアーナは思っていた。

(でも、それだけではない……。ルドルフ様のことを知った今ならよくわかる)

「実はしばらく経営が不安定になりそうなんだ」
「それは先日の……」

 ルドルフは普段、自身が抱える仕事の重要性についてあまり語ることがない。
 その彼が社運をかけた重要会議だと言ったのだ。よほどのことだったのだろう。
 今さらながら、アリアーナはその重みに気がついて青ざめた。

「君のせいではない。俺の根回しと経営手腕が不足していただけの話だ」

 この続きを聞きたくないと、アリアーナは思う。ルドルフはアリアーナが初恋だと言ってくれたが、今のアリアーナはルドルフの力になれない。
 もちろん、メイディン伯爵家の家督を取り戻したこれから先、努力すれば力になることができるだろう。

(でも、ルドルフ様が今から言おうとしているのは……)

「君の事業はフィンガー商会から切り離す。君には俺の私財の半分と王都の屋敷を渡そう」
「ルドルフ様、私は!!」

 離れたくない、その言葉を告げようとしたとき、馬車が急停車した。
 バランスを崩して前のめりになったアリアーナを抱きとめたルドルフが、馬車の背もたれに強く背を打ち低いうめき声を上げた。

「……う」
「ルドルフ様!」
「大丈夫だ。だが、囲まれているな」

 ルドルフは、ポケットから明らかに高品質な魔石が組み込まれた細長い魔道具を取り出した。

「それは……」

 バキンッと音を立ててそれをへし折ると、一瞬馬車の中を閃光が包み、そして消える。

「本社との緊急時の連絡手段だ。救援が来るまでそこまで時間はかからないだろう」
「でも……」

 ルドルフは、震えるアリアーナの頭にポンッと手を置き優しく撫でた。

「だが、馬車に侵入されては困る。ここで大人しくしているように」
「ルドルフ様は……!?」
「成り上がってくる過程で荒事に離れているし、身を守るための魔道具はいつも身につけている。時間稼ぎ程度なら問題ない。だが君は違う。……絶対に外に出るな」

 そう言ってルドルフは馬車の扉を開けて素早く降りてしまった。
 ルドルフが身体を鍛えている姿など見たことない。口ではそう言っていたが、ルドルフがそこまで強いとはアリアーナは思えなかった。

「ルドルフ様!!」

 ルドルフが取り出した魔道具を投げると煙があふれた。剣を手にした男が口元を押さえて倒れ込んだ。
 けれど相手の人数は多く、完全にルドルフは囲まれてしまった。
 しかしルドルフはその口元に、不敵な笑みすら浮かべている。
 次に投げた魔道具は、真っ白なくもの糸のような物を吹き出して一人の足下を絡め取り身動きできなくさせた。

 しかし、平民は基本的に殺傷性のある武器を持つことや帯剣は許されない。
 ルドルフが持つのは、あくまでも護身用の魔道具だけのようだ。
 恐らくこの事態を想定していたのだろう。相手が少数ならば絶大な効果がある魔道具だ。しかし、相手は武器を持ちあまりに数が多い。

 倒れ込んだルドルフに近づく人影にアリアーナは目を見開く。
 それは、バラード・レイドル子爵令息だった。
 バラードが剣を抜いたのを見て、アリアーナはたまらず馬車の扉を開き、ルドルフのそばへと駆け寄る。

「やめてください……!」
「アリアーナ、君はこんな時までこの男をかばうのか?」

 バラードの目つきは虚ろですでに正常な精神状態ではないことが見て取れる。

「俺のそばにいればいいものを……。この男のおかげで俺は全てを失ったのに」
「……ルドルフ様!」

 ルドルフをかばおうとアリアーナが抱きつくと、バラードが剣の切っ先をアリアーナに向けて走り寄ってきた。
 このままでは刺されてしまうとわかりきっていても、アリアーナはルドルフをかばおうとその場を動こうとはしなかった。

「本当に君は自分が損するなどと考えず、すぐ人を助けようとする。そういった意味では商売には向かないな」
「……」
「でも、そんな君だから、俺はずっと」

 慌ててすがりつこうとしたアリアーナの目に映ったのは、ルドルフの笑顔だ。
 次の瞬間ドンッと強く突き飛ばされて、アリアーナは勢いよく地面に倒れ込んだ。
 視線の先で、バラードの狂剣がまっすぐにルドルフの胸へと吸い込まれていった。
 ルドルフは口元をつり上げ「……遅い」と呟いた。

 その言葉と同時に多数の憲兵がバラードを取り押さえ、事態を収束していく。
 いつのまにか集まった野次馬と、逃げてしまった男たち。

「ルドルフ様!」

 震える足を叱咤して、アリアーナは俯いたまま座り込むルドルフへと走り寄る。

「……ルドルフ様! や、嫌です! 好きなんです。愛しているんです! だから私のことを置いていかないで!」

 アリアーナがようやく正直に自分の気持ちを告げると同時に、ロドルフの胸からなぜか音を立てて剣が抜け落ちた。

「大げさだ」
「え……?」

 胸元には血が広がっているが、それほどその量は多くないようだ。
 顔を上げたルドルフは、先ほど何度も殴られたせいか口から血を流しているが、その瞳からは光が消えていない。

「……君がそんなことを言ってくれるとは、思ってもみなかった」
「ルドルフ……様?」

 ルドルフの胸ポケットから取り出されたのは、完全に粉々になってしまった宝石だ。

(ブローチが剣を防いでくれたの……?)

 その瞬間、アリアーナの脳裏に浮かんだのは『このブローチはきっと大切なものを守ってくれるお守りになるだろう。大切にしなさい』という父の言葉だった。

 愛おしげに宝石の欠片に口づけを落として、ルドルフが微笑む。

「また、借りができてしまったな」
「……借りというなら私こそ、何度も、何度も……」
「俺がしたくてしたことだ。……君の笑い顔が見たくて」
「……っ、好きです。ルドルフ様のことが、誰よりも大好きです」

 ギュッと目を閉じたアリアーナの頬を包み込むように大きな手が触れた。
 こぼれ落ちていく宝石の欠片が、キラキラ輝きながら地面へ散らばっていく。
 目を閉じたままのアリアーナの唇に、柔らかで温かい感触が重なる。
 そっと目を開けば、どこか余裕がない表情でルドルフがまっすぐにアリアーナを見つめていた。

「私と本当の夫婦になってください」
「……本当の、夫婦」
「ずっと一緒にいてほしいです」

 次の瞬間、息苦しいほど強い力で抱きしめられた。
 それに答えるようにアリアーナは、強くルドルフの上着を握った。それはまるで、ルドルフのことをもう離したくないのだと暗に告げているようだ。

「……あの日からずっと、君だけを愛していた。そして、今も」

 事件の直後、お互いの無事を確かめ合うように抱き合った二人は、翌日もちろん新聞記事の一面に載ってしまった。
 今までアリアーナから全てを奪い、悪評を流していた義母と義妹についての記事と共に……。
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