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契約と甘い朝食 3

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 仕事中のルドルフのように表情のない美人秘書セシリアとアリアーナは無言のまま向き合う。
 アリアーナは、セシリアこそがルドルフの愛人なのではないかとつい先日まで思っていた。けれど、ルドルフの言葉を聞いてしまったからなのか、今はそうは思えない。

(……なぜかしら、二人は似過ぎているのよね)

「どうぞお座りください」

 セシリアに促されるままに応接用のソファーに座ると、小さなお菓子と紅茶が出された。

「あの、セシリアさんも座ってください」
「仕事中ですので」
「相手を立たせたままでは落ち着きません」
「そうですか」

 冷たい言葉だがルドルフの態度に慣れてしまったからだろうか。なぜか嫌な印象を受けない。
 二人は向かい合い、お互い紅茶を口にする。

「お気づきだと思いますが。社長は未だかつてない危機に陥っています」
「……それは」
「我が社の主力事業は魔鉱石の採掘。先日の会議はその王国最大級の魔鉱石鉱脈の採掘権を手に入れるためのものでした」

 それも全てアリアーナがルドルフを引き留めたせいだとでもいうのだろうか。それが事実だ、と思いながらも、アリアーナは次の言葉に身構える。

「社長は表沙汰にはしませんでしたが、いつも奥様のことを第一にしてきました」
「……え?」
「奥様は、王立学園を第一回特待生として優秀な成績でご卒業されていますね?」
「え、ええ……」

 確かにアリアーナは、王立学園を奨学金が受けられる特待生として卒業している。
 最終学年で父を失ったアリアーナは、その当時新設された特待生制度を使い、王立学園をかろうじて卒業することができたのだ。

「宰相閣下を通してですが、その特待生制度の資金、寄付したのは社長ですよ? もちろん、今も継続して寄付を続けています」
「……ルドルフ様が」

 あまりに唐突に告げられた事実にアリアーナは呆然とする。

「それに、かろうじてメイディン伯爵家がここまで無事だったのも、陰ながら社長が助けていたからですし」
「では、もしかして出入りの商人も」

 確かに不可思議なことに、本当に困ったときにはいつでもどこからか手が差し伸べられていた。

「もちろん、社長が手を回したのでしょう。愛されていますね」
「でも、あの……」
「何か勘違いしていますか? 社長のことは仕事上ではとても尊敬していますが、好きな女性に思いも伝えられないような情けない男、私にとって恋愛対象ではありません」
「……」

 確かに、ルドルフが始めから説明してくれていたなら、アリアーナがこんなに悩むこともなかっただろう。

「あら、顔が赤いですよ?」
「……そ、それは」
「まあ、可愛らしいこと。あの社長が夢中になるのもわかる気がしますね。……あら、私としたことが話しすぎてしまったようです」
「ありがとうございます」
「ええ……」

 そのあとは、お互い手持ちの書類に目を落として無言のまま過ごした。
 ルドルフが今までずっと手を差し伸べていてくれたという事実。
 よくよく振り返れば、真冬に薪が買えなかったとき、運良く商人から大量の廃棄資材を譲ってもらえたのも、商人が新作のアンケートをしていると持ってきてくれたスイーツも、あまりに都合が良すぎた。

(もしや、以前訪れた菓子店への融資も!? いえいえ、そこまでは考えすぎよね)

 書類にはルドルフが書いてくれた要点や検討事項、修正内容がびっしりと書かれている。
 アリアーナは、ルドルフが仕事に関しては細かく、正確で、完璧であることを知っている。

 それでいて自身の健康管理にはあまり興味がなく、食事も抜きがちで、放っておくと夜を徹して仕事をしてしまうことも知っている。
 笑うと案外幼く見えることも、彼を見る令嬢や夫人の視線には案外鈍感なことも……。

(とても見目麗しいけれど、個人に興味を持たない実業家、ルドルフ・フィンガー。彼をよく知らない人には彼が完璧に見えるでしょうね)

 書類に視線を落とす。今日も文字が見えないほど真っ赤だ。
 ここまで几帳面に細かい文字でびっしり書き込まれていると、まるで結婚契約書を見た初日を思い出す。

(ルドルフ様って案外、不器用で可愛い人なのね……)

 そう思った瞬間、アリアーナの心臓がドクリと音を立てた。そこから、口から飛び出してしまいそうなほど鼓動が強くなる。

「あれ……?」

 この感情の名前を思い出そうと、アリアーナは必死で考える。
 そのとき、勢いよく扉が開いた。
 あっという間にアリアーナのそばまで駆け寄ってきたルドルフは、肩で息をしている。

「……どうしてそんなに急いで」
「アリアーナがいなくなってしまっていたら、困るから」
「いなくなりませんよ」
「……そうだったな」

 アリアーナは、ルドルフの姿を見て余裕を取り戻し、クスリと笑った。

(私、ルドルフ様のことがとても好き。いいえ、大好き……)

 アリアーナは、ルドルフを見つめ微笑みながら屋敷を出る前に焼き上げたクッキーを差し出した。

「これは?」
「差し入れは直接お渡しする契約です」
「……差し入れ」
「食べさせて差し上げましょうか?」

 冗談めかしてそう言うと、ルドルフが耳元を赤く染めてそっぽを向いた。
 ふと気が付くと、室内にはルドルフとアリアーナの二人だけになっていた。

 しばらく見つめているうちに、いったんは静まっていた心臓が再び鼓動を早めていく。
 慌て始めたアリアーナを見て、ルドルフは余裕を取り戻したのだろう。
 少々意地悪げな表情を浮かべた。

「食べさせてくれるのではなかったのか?」
「えっ、あの」
「自分から言いだしたことは完遂すべきでは?」

 怖ず怖ずと取り出したクッキーをアリアーナの指先から直接食べて、ルドルフが咀嚼する。

「好みの味だ」
「そうですか」
「とても、好きだ……」

 アリアーナを真っ直ぐ見つめるルドルフの瞳は夜空みたいな深い青色で、吸い込まれてしまいそうになる。

(クッキーが、好きだと言ったのよね?)

「君が」
「えっ……」
「君が作ったクッキーを一生食べられたら良いのに」

(そうね、クッキーを……一生?)

 苦しいほど高鳴った胸を押さえてアリアーナが口を開く。

「こんな物で良いなら一生作ってあげますよ」
「……そんなことを言われると、諦めきれなくなる」

 ルドルフは眉を寄せてどこか困ったかのように笑う。

「諦めるって……?」

 二人の距離は近づいたようでやはり遠いのだとアリアーナは思い知らされるようだ。

「私、聞きたいことがたくさんあるんです」
「そうか……。俺からも話がある」
「え?」
「とりあえず、今日の仕事は終わりだ。馬車で屋敷に帰ろう」
「……はい」

 ルドルフの態度に首をかしげながらも、手を引かれて二人並び歩いていく。

「さあ、手を」
「ありがとうございます」

 馬車に乗るアリアーナをエスコートして、ルドルフは一瞬だけ口の端を歪めた。
 しかし次の瞬間には、いつものように無表情になり、その変化は誰にも気がつかれることはなかった。
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