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ひび割れた宝石と初恋 1
しおりを挟む「……ん」
いつもよりもずいぶん長く眠っていた気がした。
とても恐ろしい出来事があったような気がするのに、眠っている間感じたのは不思議なことに温かさと安堵だけだった。
「……」
まどろみながらゆっくりと緑色の瞳を開いたアリアーナは瞠目した。
目と鼻の先にいつもよりも幼げな表情で眠るのはルドルフだ。
(ど、どうしてルドルフ様が一緒に寝て……!?)
厳密に言うと一緒に眠ってはいない。ルドルフはベッドにもたれかかるように眠っているのだから。
(あ……)
今になって気がつく。ルドルフの上着の袖をしっかりと掴んだままだったのだ。
赤面しながらそっと手を離し、ルドルフを起こさないようにベッドから抜け出す。
昨日見たとおり、やはり部屋には物がほとんどない。
けれど一つだけアリアーナの目を引く物があった。
それは可愛らしい見た目の宝箱だ。明らかに女性のアクセサリーを収めるようなそれは、閑散としたこの部屋には、そして無駄を嫌うルドルフには、不釣り合いに思えた。
好奇心に駆られたアリアーナは、思わず指先でその箱に触れる。
「――――あっ」
恐らく魔力に反応するような魔道具だったのだろう。
宝箱は自然と開いて可愛らしく優しい音楽を奏で始めた。
(どうしましょう! 人の物を勝手に……)
きっとアリアーナに見せたくないものが入っているに違いない。
だってここまでの間、不自然なほどルドルフはアリアーナをこの部屋に入れようとはしなかったのだから。
「……え、あれ? このブローチ」
それは繊細な細工、中心に大きな緑色の宝石があしらわれたブローチだ。
しかし残念なことに宝石の真ん中には大きなヒビが入ってしまい、商品価値は失われている。
「まさか、そんなはず」
けれど、見れば見るほど確かにそれはアリアーナの大切な思い出の品によく似ていた。というより、間違いなく思い出の品そのものだ。
――震える手で、そっと手にする。
「やっぱり……。お父様とお母様が買ってくれたブローチ……」
ブローチを手のひらにのせて見つめていたアリアーナのうしろから、重々しいため息が聞こえてくる。それはもちろん、ルドルフのものだった。
慌てて振り返ると、ルドルフは悲しいとも苦しいとも言えないような微妙な表情でアリアーナを見つめていた。
「見られてしまったか。……俺に何かあったとき君が開けられなくては困ると、君の魔力に反応して開くように設定していたからな」
「どうしてこのブローチをルドルフ様が持っているんですか?」
「――これは君との繋がりだから」
「……え?」
間違いなくこのブローチは父と母が存命の時、わがままを言って買ってもらったものに違いない。
「……そう、あの時どうしてもあの子を助けたくて」
思い出すのは、この宝石を壊してしまい店員にひどい扱いを受けていた少年と彼を助けたいと強く望んだ幼いアリアーナの願いだ。
その記憶はすでに薄らいでいたが、ブローチを手にすれば昨日のことのようにありありと蘇る。
そう、あの少年に目を奪われ、どうしても助けたかったのだ。
目の前のルドルフは口を閉ざし、表情を消してしまっている。
けれどブローチを手に記憶をたどれば、あのときの少年は金の髪に夜空のような青い瞳をしていた。ルドルフと同じ色合い、そしてとてもよく似ている。
「どういうことですか、ルドルフ様……?」
「……少し昔話を聞いてくれるか」
しばらく表情を消していたが、ルドルフは何かが吹っ切れたかのように微笑んだ。
彼の笑顔を見る度に、アリアーナの心臓は壊れそうなほど高鳴る。言い訳しようがないほどルドルフが好きになってしまった、とアリアーナに教え込むかのように。
(……最近、笑い顔を見ることが増えた気がする)
そんなアリアーナの内心なんて気がついていないのだろう。ルドルフはひび割れてしまったブローチをアリアーナから受け取るとベッドに座り「君も隣に座ってくれないか」と声を掛ける。アリアーナは促されるまま、そっと隣に腰掛けた。
ルドルフが口を開き、過去を語り出す。それはルドルフの不遇な幼少時代であると同時に、アリアーナとルドルフ、二人の出会いの物語だった。
***
――ルドルフ・フィンガーは、裕福な商人の家に生まれた。
兄弟はいなかったが、優しい両親はルドルフのことをとても大切にしていた。
幼いころから几帳面だった彼は、家庭教師が舌を巻くほど物覚えが良く将来を期待されてもいた。
しかしその幸せは長くは続かなかった。ルドルフが七歳のとき、両親は馬車の事故で二人ともこの世を去ってしまったのだ。
あとからわかったことだが、両親の死は事故ではなかった。両親の財産を奪おうとするある貴族の手によるものだった。財産は全て奪い取られ、使用人たちもバラバラになり、ルドルフは計算が得意だったこともあり、宝石商で奉公することになった。
ルドルフは店員の一人に目をつけられ、いつも殴られて、それほど多くはない食事すら奪われていた。
しかし両親を相次いでなくした幼いルドルフは、それを誰かに訴える気力もなく、ただ日々黙々と働いていた。
そんなある日、ルドルフは裕福そうな両親と一緒に店に入ってきた、幸せそうに笑っている可愛らしい少女に目を奪われた。
ルドルフが持つ台から滑り落ちたブローチ。
本来であれば床には柔らかい絨毯が引かれていて、落としたとしても壊れることなどないはずだ。しかしたまたま当たり所が悪かったのか、そもそも見えないひびでも入っていたのか、高価なブローチの宝石は大きくひび割れてしまった。
元論、許されるはずもない。いつも彼に辛く当たる店員に手首を強くひねり上げられ、ルドルフは小さく呻き声を上げた。バッグヤードでの厳しい叱責と暴力を覚悟したとき、その声はかけられた。
「まって! そのブローチは私が買うわ」
その様子を見ていた先ほどの少女が大きな声を上げた。緊張のためか、少女の頬は上気し、その声は微かに震えている。
そして少女はルドルフと店長の間に割って入った。
「……お嬢様、こちらの商品にはすでにお売りするような価値がありません」
困惑したように店員が言うと、少女は大きく首を振った。
「そんなことありません! 価値ならあります!! ねえ、お父様、お母様、誕生日に贈って下さるならこのブローチが良いわ! お願い!!」
「そうか……。アリアーナがそんなに言うのならそれをもらおうか。しかし君、少し良いかな?」
貴族らしい裕福な身なりの男性は、怒りを滲ませた表情で店員に近づいた。
「娘の前で荒事など……。客である私たちに対して余りに失礼ではないか?」
「……お許しください」
「店長と話がしたい」
「かしこまりました……」
今から十五年ほど前の話だ。その頃は貴族と平民の差は今より大きかった。
平民が貴族に逆らうなんて、あり得ない話だった。
次の日からその店員は王都から地方の店に配属が変わった。ルドルフを怒鳴りつける店員は、それ以降誰もいなくなった。
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