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上司のような夫と契約妻 2
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図書室を去ったルドルフに執事長ベルマンが近づく。
「差し出がましいとは思いますが、貴族のご令嬢だったアリアーナ様に、少々厳しすぎるのでは」
ルドルフと長い付き合いがあるベルマンは、時々諭すようなことを言う。
そんな彼をルドルフは信頼しているのだ。
「……アリアーナは着眼点が良い、今まで誰も指導してこなかったからそれを実現する方法を知らないだけだ。それに彼女は強い。どんなに厳しくしてもついてくるだろう。……彼女はドレス事業に興味があるようだから、万事上手くいくように、それとなく手伝うか裏で手を回しておけ。そうだな、まずは先日のデザイナーの名が王都中に広まるようにカルロスに指示しておくか……。彼女の案を広めるためには……」
「……少しで良いから奥様に態度で示せばいいものを」
「――何か言ったか?」
「いいえ……。かしこまりました、そのように手配いたします」
「ああ、頼んだ」
そのまま執務室へと向かうルドルフを見つめ、執事長は軽くため息をつくと、その指示に従うために早速行動を開始したのだった。
***
「ルドルフ様、見てください!!」
「……早いな」
執務室に走り込んだアリアーナを出迎えたルドルフは、無表情のまま事業案を手にした。
立ったまま目を通したルドルフは、机に戻ると何やら事業案に書き込みをする。
まるで合否発表を待つように緊張しながらその様子を見つめていたアリアーナは、帰ってきた事業案を見てゴクリと喉を鳴らした。
「真っ赤……」
(もとの黒インクの色がわからないくらい真っ赤だわ!?)
事業案には細かい指摘がびっしりと書かれていた。
もはやアリアーナが書いた黒インクの文字が見えないほど真っ赤になっている。
「すぐに直してきます!」
「……ああ」
そんなアリアーナに興味を失ったようにルドルフは再び机に戻ると仕事を再開してしまった。
(すごい……。書くときに迷った部分、ルドルフ様にはお見通しなのね。全部詳細に指示されているわ!)
三階の廊下を急ぎ足で歩み、図書室に飛び込んだアリアーナは猛然と事業案を検討し始めた。
そして一時間後、再び事業案を持ってルドルフの執務室を訪れる。
「確認をお願いします!」
「……思ったより早かったな」
アリアーナに渡された事業案を立ったまま読みルドルフは机に向かった。
夜中にもかかわらず幾度となく繰り返される二人のやりとり。
ルドルフの指摘は厳しいが繰り返すうちに事業案の赤色は徐々に少なくなっていく。
そして七回目、日が高くなるころ、ようやくルドルフからその言葉は告げられた。
「及第点だ。とりあえず今日はここまでにするか」
「っ……ありがとうございます!」
こんなに感動したことがあっただろうか、とアリアーナは思う。
苦労した末に及第点とはいえ合格がもらえたことは嬉しいが、素人が書いた事業案にルドルフが真剣に向き合ってくれたことがなお嬉しい。
「ずいぶん早く完成したな」
「あの……。貴重なご意見のおかげです」
アリアーナが口にした言葉に、ルドルフが口の端を歪める。
「君が努力したからだ」
「……っ」
危うくこぼれそうになった涙。アリアーナは慌てて目元に力を入れてそれを阻止する。
今までどんなに努力を重ねても、アリアーナは誰かに認められることはなかった。
当然だと、もっとできるはずだ、と言われて搾取され続けてきた。
けれどルドルフは違う。努力すればそれを認めてくれる。
「腹が減らないか?」
唐突にルドルフがアリアーナを見つめて質問した。
途端にアリアーナのお腹は小さく鳴ってしまった。その音がルドルフに聞こえてしまったのではないかと軽く頬を染めてアリアーナが「ええ」と返事をする。
「そういえば……。もうすぐお昼ですね」
「――君は甘い物が好きか?」
「ええ、大好きです」
「王都の中心部に新しくできた菓子店がある。店内で食べることができるからそこに行くか」
「えっ……!?」
「――実はその店に融資しているんだ。新作について君の意見が聞きたい」
「あっ、そういうことですか」
(な、なんだ……。仕事の話の続きだったのね)
その言葉にアリアーナが感じたのは、落胆半分喜び半分だった。
もちろん妻として誘ってもらえなかったことは残念だが、それはすでにもう十分理解していることだ。だから残り半分は、努力をルドルフが認めて自分に意見を求めてくれているのだと嬉しかったのだ。
「ぜひ一緒に行きたいです」
「そうか。では早速」
手を引かれて、そのまま執務室の外に出た二人。
そこにはベルマンが静かに控えていた。
「ベルマン、王都のあの店に出掛けてくる」
「それはよろしゅうございますね。馬車を用意いたします」
「ああ、夕食までには戻る」
「かしこまりました」
けれどそのまま出掛けようとした二人に声がかかる。
「その格好のまま行くわけではないですよね」
「メリア……?」
侍女のメリアがなぜか二人のそばに駆け寄ってきた。
明るく朗らかなミリアだが、普段は侍女としての立場をわきまえておりこんなに興奮しているなんて珍しいことだ。
「二人で出掛けるのです。ぜひお召し替えを」
「ああ、それがいいな。せっかく行くのだから着替えてくると良い」
「何を仰っているのですか。ルドルフ様もですよ」
「俺も? いや、俺はこのままで……」
「お二人の初めてのデートなのです! 気合いを入れていただかなくては!」
メリアがベルを鳴らすと、たくさんの使用人たちが廊下に集結した。
そしてアリアーナとルドルフはそれぞれ少々強引に使用人たちに連れ去られる。
こうして出発はしばしお預けになったのだった。
***
そして三十分後、アリアーナは困惑した声を上げた。
「ねえ、ちょっと着飾りすぎではない?」
「いいえ、このくらいで丁度良いのです。初めてのデートなのですから」
「デート……」
メリアが勘違いするのも無理はない。夫婦が二人で王都の有名な菓子店に出掛ける。
一般的にはそれはデートと言うに違いない。
(でも、ルドルフ様が融資しているお店の視察のために行くのよね……)
菓子店に男性一人で入れば目立ってしまう。
だからこそルドルフはアリアーナに声を掛けたのだ。
そのことを説明するべきか否か悩んでいるうちルドルフの準備も整ったとの知らせが来てしまった。
説明することは諦めてアリアーナは広間を抜けて玄関へと向かう。
そこには、いつもの生真面目な印象のスーツではなく、ラフでありながらおしゃれさを感じるセンスの良い衣装に身を包んだルドルフがいた。
(なんという格好良さ……! 王都の道行く女性が全員振り返るレベル!!)
いつもと違って柔らかい淡い水色でまとめられたルドルフの衣装は、厳しく冷酷な彼の印象を柔らかく変えている。
しばらく呆然とその美麗な姿を見つめていたアリアーナだが、近づいてきたルドルフがそっと手を差し出してきたことで我に返る。
「……よく似合う」
「っ、ルドルフ様こそ……。とても素敵です!」
「はは、こういった服はあまり着慣れていないから落ち着かないな」
少しだけ照れたように笑ったルドルフに、そんな表情もできたのかとアリアーナは衝撃を受けた。
そして赤くなった頬を隠すこともできずにルドルフのエスコートを受ける。
こうして二人は視察へと出掛けることになったのだった。
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