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出会って三日で契約結婚 3
しおりを挟むアリアーナが目を覚ましたとき、外はすでに暗くなりかけていた。
(いけない。眠り込んでしまったわ……)
廊下に顔を出してみると外の暗さに対して昼間のように明るかった。暗くなると自動に明かりが灯る最新式の魔道具だろうか……。
(そう、十年前だったら魔法を使わなければ、夜でも本が読めるほど安定した明かりを得ることは難しかったわ……。動力になる魔鉱石さえあれば、どこでも魔法の力を利用できる魔道具の普及。これがフィンガー商会の功績……)
もちろん魔道具はまだ誰しもが使えるほど安価ではない。
それでも、貴族、平民の境なく魔法の力を利用できるようになり、世の中は大きく変わった。
公にはされていないが、裏ではフィンガー商会の活躍があったらしい。それはメイディン伯爵家出入りの商人から聞いた噂話だが。
アリアーナは部屋に引き返し、今度は図書館に続く扉を開いた。
らせん階段を降りて二階部分に向かう。ふと、二階の廊下が気になって扉を開く。
(ベルマンとお客さま……?)
気がつかれないようにそっと扉を閉めようとしたとき、客人らしき男性の言葉が聞こえてしまう。
「フィンガー君が妻を迎えたと驚いたが、噂は本当だったようだな」
(すでに噂になっているのね……)
立ち聞きは良くないと思いながらも、アリアーナはつい話の続きに耳をそばだててしまった。
「貴族との繋がりのために悪女という噂の伯爵令嬢を妻に迎えたと」
「……旦那様は奥様を大切にしておいでです」
「大切にしているのなら、北の端に妻の部屋を作ったりしないだろう?」
「それでも旦那様は……」
アリアーナはそれ以上会話を聞いていることができずに、気がつかれないようにそっと扉を閉めた。
(そうよね。女主人の部屋は普通、屋敷の中心や日当たりの良い場所に作るもの……。いくらルドルフ様の部屋と図書室で繋がっているといっても……)
きっとルドルフには恋人がいて、いずれ屋敷に迎えるつもりなのだろう。
わかっていたつもりでも、自分が歓迎されていないと思い知らされるのは辛いものだ。
自室に戻り軽く落ち込んでいると、扉が軽やかにノックされた。
「どうぞ……」
「失礼致します!」
明るい挨拶と共に部屋に入ってきたのは、侍女のメリアだった。
黒い髪と瞳をした彼女はアリアーナに笑顔を向けると、夕食の用意ができたと告げる。
食事は豪華だったが、ルドルフは忙しいのだろう、まだ帰ってこない。
アリアーナは一人で食事をして、嬉しそうなメリアに窮屈なドレスを剥ぎ取られるように脱がされ、バスルームで磨き上げられて、フリルいっぱいの軽やかで可愛らしい夜着を着せられた。
「ずっと、奥様にお仕えできる日を心待ちにしていたのですよ」
「……メリア、ありがとう。これからよろしくね?」
「ええ、もちろんです。何なりとお申し付けください。では、私はこれで失礼致します」
この国では通常、妻の部屋を夫が訪れて初夜を迎える。
契約結婚とはいっても、やはりそういうことはあるのだろう。
アリアーナはとまどいながら、ベッドの端に遠慮がちに座る。
しかしそのまま時間は過ぎていって、夜中になってしまった。
(もしかして、このまま放置かしら……)
新婚初夜に夫が気にもしない妻など、屋敷の使用人にも馬鹿にされてしまうだろう。
やはりアリアーナは、どこに行っても幸せになんてなれないに違いない。
アリアーナは、眠ることができずにもう一度図書室へと向かった。
さすがにこの時間になれば魔道具の明かりも消されて真っ暗だと思っていたのに、意外にも図書室はまだ明るかった。
経済関連の最新資料が収められた本棚の前に、人影が見える。
「ルドルフ様……?」
「……起きていたのか」
こんな時まで無機質な声と表情をしたルドルフ。
緊張で体を硬くしたアリアーナ。ルドルフはそのまま近づいてくる。
「……ルドルフ様、お帰りなさいませ」
「まだ寝ていなかったのか? 俺の帰りを待つ必要はないと伝えたはずだが」
「でも、私たちは夫婦に」
ルドルフのあからさまなため息。アリアーナは次の言葉を聞きたくないと思った。
それなのに、なぜか近づいてきた距離。
胸がひどく早鐘を打つのは、ときめいているからなのか、それとも緊張なのか、アリアーナには判別するすべがない。
ほんの少しだけひそめられた端正なルドルフの眉。
アリアーナは、その表情に次に告げられる言葉が自身の望むものではないと覚悟する。
「一度しか言わないからよく聞け。これは契約結婚だ。君は俺の帰りなど待つ必要はないし、自由に過ごせば良い」
「……」
その言葉は予想していた通りだった。けれど、なぜかルドルフが自嘲するように唇を歪めた気がした。それは、夜遅く明かりが灯されていても少々薄暗いこの空間が見せたものだろう。アリアーナはそう解釈する。
(そう、ルドルフ様と私は契約結婚をしただけ。それでいいと思っていたじゃない)
アリアーナは傷ついている内心に気がつかれないように、ほんの少し微笑みを浮かべた。
「良好な夫婦関係を築いていると周囲に知らしめるなら、夫の帰りは待つべきだと思います」
「……急に帰ることができなくなることもある。俺の生活に合わせていたら健康を害する。非効率的でお互いのためにならない」
それだけ働いていては、ルドルフも健康を害するのではないか。
アリアーナはそう思ったが、それを口にするのは踏み込み過ぎている気がして口をつぐむ。
「だが契約書に書かれている内容は最低限守るように。確かに朝食はできれば一緒にとると書いたが、帰りを待つようにとは記載していないはずだ」
確かにできる限り朝食をともにするとは結婚契約書には書かれていたけれど、ルドルフの帰りを待つようにとは書かれていなかった。
アリアーナはルドルフの健康を気にしながら、少しだけ反抗心が湧いてくるのを感じて口を開く。
「……ルドルフ様の帰りを待ってはいけないとも書かれていませんね?」
「――君が待っていたとしても、明日からしばらく帰ってこられないんだ。それに出発も早いから見送りは必要ない」
「朝食を一緒に撮るのは契約です」
「俺の仕事が早い場合には一緒に食べなくて良いこという但し書きをつけていたはずだ。……俺もそろそろ寝る。君も早く寝るように」
「……」
ルドルフは読みかけの本を戻すとアリアーナに背中を向けた。
(ルドルフ様にとって、私は本当に貴族との繋がりを手に入れるためだけの妻なのね……)
そんなことはもうすでにわかっていたはずなのに、アリアーナはなぜかひどく落胆した。
(ルドルフ様が貴族との繋がりを持てるようになったら、きっとこの契約結婚も終わるのね……。でも、実家にはもう戻りたくない)
背中を向けたルドルフは、もう振り返ることもない。
そのまま自室に戻り、柔らかく寝心地の良いベッドに横になる。
一般的なサイズよりも大きなベッドが、ことさら広いように感じた。
目を閉じたアリアーナのまぶたの裏に浮かぶのは、この家の図書館の膨大な蔵書だ。
(――落胆ばかりしていてはダメ。これはチャンスなの。一人で生きていけるようにこの家にいる間に準備するわ……! あれだけ本があるのだもの、きっと何かヒントがあるはず)
色々と考えている家にアリアーナは眠りにつき、朝日が昇ってすぐに目が覚めた。しかしすでにルドルフは屋敷を出たあとだった。
「……はあ、見送りすらできなかった」
アリアーナはのろのろと起き上がると、着替えをすることにした。ほどなく、メリアが走り寄ってきた。
「着替えをしたいの。私の服を片付けた場所を教えてくれるかしら?」
「かしこまりました」
心なしか嬉しそうなメリア。もしかしたら勘違いしているのかもしれない。
何もないどころか『契約結婚』だということを再度言い含められたと知ったらどんな反応をするだろうか。
(……この家にも私の居場所はなくなってしまうかもしれないわね)
そんなことを思いながらメリアについていく。メリアはどこか誇らしげに隣の部屋の扉を開けた。
その部屋をのぞき込んだアリアーナは思わず目を見張る。
「……えっと、間違いじゃない?」
その部屋には色とりどりのドレスが飾られ、さらにガラスケースには所狭しと宝飾品が飾られている。
当然ながらアリアーナが持参したものではない。
「さあ、こちらへどうぞ」
「え、ええ……」
メリアに促されるまま、大きな姿見の前の椅子に座る。
手際よく化粧され、髪の毛は美しく結い上げられた。
用意されていたドレスは、実家から持ってきた物とは比べようがないほど上等で、淡い緑に金糸の刺繍がされ、茶色い髪と緑色の瞳をしたアリアーナのために誂えたかのようだ。
「お似合いです」
「これは?」
「奥様の服を用意しておくように指示されましたので」
「……そうなの」
(驚いたわ。確かに契約書には社交のための衣服はルドルフ様が用意するって書いてあったけど。でも、確かに私が持ってきた服はあまりにみすぼらしいからこの家に相応しくないかもしれないわね)
立ち上がってみれば、惜しみなく布が使われているにもかかわらず重さは感じない。普段着というにはあまりに豪華なドレスは、それでいてとても軽やかで着心地が良い。
「ありがとう、メリア」
「お礼は旦那様に」
「それもそうね……」
もっと窮屈で制限される生活を覚悟していたにもかかわらず、侍女も好意的で素晴らしい図書室と豪華な私室まで用意されている。
(愛のない結婚には違いないわ。それでも、こんなに良くしてもらっているのだもの、私は自分にできることをしていこう)
アリアーナは早速、妻としてするべきことを探すことにした。
(元々メイディン伯爵家の家事は全て私がしていたのだもの。帳簿もつけられるし役に立てることがあると思うの。それに契約書にも屋敷内では自由にしていいと書いてあったわ)
用意された朝食は、豪華ではないが温かく味も最高だった。
さっそくお礼を言うためにアリアーナは厨房を訪れた。料理人たちは嬉々として厨房の説明をしてくれた。
置いてある食材は街でよく見かける物だったが、どれも新鮮で、野菜も果物もとてもみずみずしかった。
(食べ物からルドルフ様の人柄が見えるようだわ。きっと、無駄な贅沢はお嫌いなのね)
ルドルフは出版事業で富を手に入れ、宝飾品、飲食、出版、流通と幅広く事業を拡げているらしい。さらに最近では魔道具と魔鉱石の採掘で巨万の富を得たという。
そんなルドルフが無駄な贅沢をしないということに、アリアーナは好感を持った。
(表立って名を出しているわけではないけれど、王都でも徐々に販路を広げているとメイディン伯爵家に出入りの商人が言っていたわ……。ドレスや宝石にしか興味がないお義母様とフィアは知らなかったみたいだけれど……)
そこまで考えて、あえて結婚契約書に魔法紙を使ったことや、アリアーナのために贅沢な宝石やドレスを用意していることが不釣り合いに思えて首をかしげる。
(でも、そうね……。少し変わっている人だもの。何かこだわりがあるのかも)
食事を終えたアリアーナは、早速ベルマンを呼び出し口を開いた。
「この屋敷で私がするべきことを教えてちょうだい」
「奥様は好きなように過ごして良いと旦那様は仰っていました」
「……そう。それならなおさら、私は自分のすべきことはきちんとこなしたいわ」
「……かしこまりました。それでは屋敷内の帳簿を確認なさいますか?」
「えっ、いいのかしら……?」
「奥様の願いは全て叶えるようにと命を受けておりますので」
「……そう。それならまず、殺風景すぎる屋敷内を住み心地良く温かい印象にしたいわ……」
「それはようございます。旦那様もお喜びになるでしょう」
(ルドルフ様が喜ぶ姿なんて、どうしても想像できないわ……。でもベルマンは案外冗談が好きなのね。それに帳簿を見て良いのなら私も少しは役に立てそうだわ)
ベルマンの言葉に返事をする代わりに、アリアーナは曖昧な笑顔を浮かべたのだった。
ベルマンに案内され執務室に入ったアリアーナは、屋敷内の帳簿を確認し始めた。
それが終わると屋敷を巡回し、使用人一人一人の顔と名前を覚えた。
わからないことはすぐに質問し覚えが早い。貴族らしい傲慢さなどみじんも見せず、使用人たちが働く場にも顔を出し気さくにねぎらうアリアーナは、すぐに好意的に迎えられた。
「旦那様から伺ってはいましたが、ここまでとは……」
「ベルマン、何か言った?」
「いいえ、年寄りの独り言でございます」
そして使用人たちが新しい女主人への好奇の視線を徐々に尊敬に変えていくのにそれほど時間はかからないのだった。
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