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出会って三日で契約結婚 2
しおりを挟む浮かない気持ちで馬車に乗り込む。軽やかに走り出した馬車の窓から、アリアーナは外を眺めた。
ルドルフの屋敷は、高位貴族の屋敷が建ち並ぶ王都の中心部に建っている。
実際に見たことはないが、その敷地は広大で豪邸が建っているのだと聞いたことがあった。
(だからといって、ここまでだなんて聞いていない……)
馬車は正門をくぐって、広いが花の一つも咲いていないどこか閑散とした庭園を抜けて行く。
どこまで行っても屋敷にたどり着かないのではないか、と思えるほどその敷地は広大だった。
「奥様、どうぞお手を」
「ベルマンさん、ありがとうございます」
アリアーナが礼をしようとすると、ベルマンが首を振ってそれを止めた。
「ここから先、私に礼など必要ありません。あなたはこの屋敷の女主人なのです。ですからどうか私のことはベルマンとお呼びください。そうでなければ使用人たちに示しがつきません」
「……でも」
(もしかして、ベルマンさんは私とルドルフ様の結婚が契約上のものだって聞いていないのかしら? でも、確かに契約結婚だとしても妻として振る舞う必要はあるのかもしれないわね)
アリアーナは困惑したが、ベルマンの言うことには一理あると納得することにした。
「……わかりました。ベルマン、これからよろしくお願いします」
「はい、何なりとお申し付けください」
そのままベルマンについて屋敷の玄関へと向かう。
そこには使用人たちが左右に並び頭を下げていた。
「奥様、もしよろしければ使用人たちに声をかけていただけますか?」
「……ええ。本日からルドルフ様の妻となりました。アリアーナです。皆さんどうぞよろしくお願いします」
「メリア、こちらへ」
「はい!」
元気で可愛らしい声。歩み出てきたのは、さらさらの黒い髪と瞳をした若い侍女だった
この屋敷の使用人たちは、表情を表に出さない訓練をしているのだろう。そんな中で一人、笑顔いっぱいのメリアにアリアーナは好感を持った。
「こちらが奥様の専属侍女になります」
「メリアと申します! 奥様、何なりとお申し付けくださいませ!」
「ありがとう。うれしいわ……」
目の前の侍女は元気一杯の可愛らしい笑みをアリアーナに向ける。
(性格の良さそうな可愛らしい侍女。屋敷の使用人たちに冷たく扱われるのを覚悟していたのに)
ここ三日間、思い悩むことが多かったアリアーナまでメリアにつられて笑顔になった。
「気に入っていただけたようでようございました。それでは、奥様の部屋にご案内いたします」
ゆっくり歩くベルマンについて屋敷の中に入る。
(広い……!!)
玄関を入ってすぐの広間はとにかく広い。大きな暖炉にシャンデリア、そして二階へと続く大きな階段までフカフカの絨毯が敷き詰められていた。
それでいて白い壁、飾り気のないソファーと良く言えばシンプル、悪く言えば殺風景な印象を受ける。
(……そう、建物や部屋の豪華さに比べてあまりに何もないわ)
本来であれば客を一番初めに出迎える広間は、装飾に凝るのが一般的だ。
しかし、暖炉のマントルピースすらほとんど装飾がなく、花も飾られていない。
「驚かれましたか?」
「……ええ、あまりに広いので」
「それもありますが、あまりに装飾品がないと思われませんか?」
「そうですね。正直に言えば、お屋敷の規模に比べてあまりにシンプルな内装なので驚きました」
「すべて奥様がお好きなように誂えるように、と申し受けております」
「えっ……?」
もしかすると、ルドルフは家の内装に興味がないのだろうか。
それにしては、着ている服にはこだわりが感じられたし、身につけた装飾品もすべて一流のものだった。
(……居心地の良い場所にしたいわね)
アリアーナはルドルフの感情を感じられない表情を思い浮かべる。
いつもこんなに殺風景な屋敷に帰っていたら、くつろぐことも難しいのではないだろうか。
「奥様、屋敷内をご案内いたしましょうか? それとも、少し休まれますか」
「屋敷の案内をお願いするわ」
一番豪華であるはずの広間ですらこうなのだ。一通り見ておかなくてはいけないだろう。
(王都の中心部にこんな大きなお屋敷が建てられるのだもの。本当にお金持ちなのは間違いないわ……。でも)
応接間、居間、食堂、書斎、ビリヤードルーム、温室、そしていくつもある浴室。
次々に案内されて、アリアーナは一つ結論づけた。
(応接間や書斎、ビリヤードルーム。ルドルフ様が仕事で使う部屋は全て美しい壁紙が貼られて調度品も最高級の品が揃えられている……。どれもとても趣味が良いわ)
それに引き換え、居間や食堂、温室や家族の浴室。客人を招く以外のプライベートスペースは閑散としているのだ。
(……準備が間に合わなかった? いいえ、最低限の設備はあるしそれぞれは最高級の品だったわ)
「最後に奥様の部屋にご案内します」
ベルマンの言葉にアリアーナは我に返った。
アリアーナの部屋は、三階中央部にあるルドルフの執務室から離れ、屋敷の北側にあるようだ。しかも、なぜか階段を降りたベルマンは二階の廊下を進んでいく。
(北側、しかもルドルフ様の私室は三階にあるにもかかわらず私の部屋は二階に……? 夫婦なのに階が違うなんて愛人でも囲うつもりなのかしら……)
「そのまえに奥様の部屋の隣に設置された図書室をご覧ください」
わかっているつもりではいたが、あからさまに妻として認められていない扱いに落胆を隠せないでいたアリアーナ。しかし、次の瞬間そんな気持ちは吹き飛んでしまう。
「図書室……!?」
アリアーナの声が一段高くなったのを聞いて、なぜかベルマンが笑みを深めた。
そのことに気がつくことなく、アリアーナは重厚な彫刻がされた扉へと駆け寄る。
「わあ……!」
恭しく開かれた扉。その直後に飛び込んできた光景に思わずアリアーナは感嘆の声を上げた。
図書室に入り一番始めに目に入るのは、本棚ではなく中央に設置されたらせん階段だ。
二階に設置された図書室は三階まで吹き抜けになっている。
通常高い本棚の上段ははしごを登ってとらなければいけないが、この図書館のらせん階段は本棚の前にバルコニーのように作られた何段もの空間に繋がっていてアリアーナの背丈でも全ての本をとることができる。
そして図書室は内装も完璧に誂えられていた。深く落ち着いたローズピンクの絨毯が敷き詰められ、棚には可愛らしい小物が置かれている。
そして広い図書室の端には、一カ所だけ壁に囲まれた小さなスペースがあった。あまりに広すぎる屋敷内に落ち着くことができないと思っていたアリアーナは、喜んでその場所に入り込む。
アリアーナの背丈ギリギリの高さのその場所には、座り心地の良い淡いピンク色の猫脚のソファーが置かれ、左右に小さな本棚が置かれている。
その本棚に詰め込まれているのは……。
「ルドルフ様が経営している出版社の本ね!」
「ええ……。その通りです」
可愛らしい装丁の本は、色とりどりでそれだけでインテリアのようだ。
一冊ずつ確認していったアリアーナは、しかし首をかしげる。
(あの本がないわ……。一番売れていたはずなのに)
不自然なことに、アリアーナがすり切れるほど愛読している本だけが本棚にはなかった。
「私の荷物は?」
「すでに奥様の部屋に運び込んでおります」
「鞄を持ってきてもらえる?」
「かしこまりました」
ベルマンはらせん階段を上がっていき、ほどなく鞄が届く。アリアーナはそこから一冊の本を取り出した。
すり切れるほど読まれたその本を見たベルマンが、なぜか目を見開いた。
そのことに気がつくことなく、アリアーナは本棚に大切そうにその本をしまい込んだ。
(まるで、この本を置くために作られていたみたいだわ……。もちろん偶然に違いないけれど)
アリアーナは満足するとベルマンに笑顔を向けた。
「そういえば、私の部屋は二階なの?」
「いいえ、旦那様と同じ三階でございます。図書館を挟んで旦那様の部屋とも繋がっております」
「そうなの? それでは部屋に案内してもらえるかしら?」
「かしこまりました」
図書館はあまりに広く、中央のルドルフの部屋と北側のアリアーナの部屋を繋いでしまっているらしい。
(夫婦なのにずいぶん離れた部屋だと思っていたけれど……。本当にルドルフ様は本がお好きなのね。少しだけ親近感を感じるわ)
出版社を経営しているほどなのだ。もちろん本が好きに違いない。
アリアーナはそう納得し、ベルマンに案内されて新しい自分の部屋へと向かったのだった。
――図書館のらせん階段を上り、本棚の横を抜けるとそこには二つの扉があった。
反対側も同じ作りになっているのだとベルマンは言った。
「……つまり、こちらの扉が私の私室に繋がっていて、そちらの扉は三階の廊下に繋がっているのね」
ものすごく離れているけれど、よく考えれば真ん中に共有スペースをがもうけられているのだ。一般的な夫婦の部屋の造りと言えなくもない。
(ということは、図書館でルドルフ様と顔を合わせることもあるのかしら……)
ベルマンがそっと扉を開く。
扉が開かれた途端、柔らかい花の香りが漂ってくる。
部屋はたくさんの花が飾られて、淡いピンクに白い模様の壁紙、座り心地の良さそうなソファー。備え付けられた白いテーブルの上には色とりどりのスイーツが並んでいる。
図書室と仕事関係の部屋以外は建築途中なのかと思えるほどシンプルだったので、自分の部屋も何もないのだろう、と漠然と思っていたアリアーナは驚きに目を見開いた。
「ものすごく広くて豪華だわ」
「お気に召していただけたでしょうか」
「ええ……。とても素敵」
足を踏み入れれば、靴底が沈み込むほど絨毯はフカフカとしている。
そっと窓辺に近づいたアリアーナは、一際香しい淡いピンク色の薔薇に鼻先をそっと寄せた。窓辺から見える庭園には花が植えられていない。先ほど見学した温室もまだ花が植えられていなかった。代わりに花にあふれたこの部屋こそが屋敷の庭園のようだ。
「昼食はどうなさいますか?」
「軽めのものをお願い」
「かしこまりました」
ベルマンは柔和に笑うと、簡単につまめる小さなサンドイッチと紅茶を用意してくれた。
緊張と不安で食べ物が喉を通らないのではないかと思っていたが、フワフワしたパンはどれも味付けが違って甘い物としょっぱいものを交互に食べているうちに完食してしまった。
「それではこれにて一旦失礼致します。ご用の際にはそちらのベルを鳴らしてください」
「わかったわ」
ベルマンは廊下側から静かに出て行き、部屋にはアリアーナだけが残された。
「……ふぅ」
少しだけ、と思ってソファーに座り込んだアリアーナはここ三日間眠れずにいたせいか、そのまま眠り込んでしまった。
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