1 / 25
絵に描いたような契約結婚 1
しおりを挟むメイディン伯爵家の長女アリアーナは、分厚い書類の束を揃えてため息をついた。
彼女が手にしているのは、メイディン伯爵家の今年度の会計報告書だ。
「ドレスにお金を使いすぎている。それに宝石まで……」
悪天候が重なり領地の民は飢えている。メイディン伯爵家は傾きかけていた。
それにも関わらず、義母と義妹は贅沢三昧を続けている。
アリアーナはふと、鏡に映った自分の姿を目にしてもう一度長いため息をつく。
鏡に映し出されているのは、キッチリとまとめられた地味な茶色の髪に、きつくも見える少々つり目がちな瞳の地味な令嬢だ。流行遅れの緑色のドレスは、もう何年も着ている。
「それにしても、地味よね。しかも社交界で噂の悪女」
先日、『アリアーナは社交界で義妹を虐げる悪女』という噂が流れているという話を聞いてしまった。
噂は現状を伝えているというよりも、アリアーナの悪評を故意に誰かが広めているように思えた。おそらく情報の発信源は義妹のフィアだろう。
彼女はことあるごとに、アリアーナを目の敵にしている。
「……まともなドレスも持たず、社交界に出ることもない私が悪女だなんて」
しかし噂は一人歩きし、アリアーナは贅沢三昧で遊び回り、貴族としての社交も満足にできない悪女だと周囲に思われているようだ。
母を亡くした幼いころ、義妹を連れてこの家に後妻として嫁いできた義母は、父が亡くなるや否や、アリアーナの持つもの全てを奪ってしまった。
父と母の形見も、幸せだったころの思い出の品も、ドレスも宝石も全て義母に売り払われてしまった今、アリアーナが持っているのは地味で質素で古くさいものばかりだ。
ふと、アリアーナの脳裏にひび割れたブローチが浮かぶ。
壊れてしまったブローチは、父と母と最後に揃って出掛けた宝飾店で、贈ってもらった思い出の品だ。
装飾品としての価値は低いそれすら取り上げられ、売り払われてしまった。
だから、今アリアーナが持つのは祖母が来ていた時代遅れのドレスと普段着とほんの少しの私物だけ。鞄一つに十分収まってしまうだろう。
そして社交界どころか二十一歳になっても婚約者すらいないアリアーナは、ほとんどの貴族令嬢が二十歳までには結婚するこの国において、行き遅れと呼ばれる年齢になってしまった。
そんな彼女を嫁に出そうと義母は躍起になっている。しかし義母が持ってくる縁談は、後妻を求め年齢が大きく離れていたり、悪い噂があったりと、問題のある貴族ばかりだった。
「はあ……」
もう一度ため息をついてメイディン伯爵家の今年の収支報告書を机の上に置く。
義母と義妹は、面倒な家事は全てアリアーナに押しつけて、自分たちは贅沢に着飾り遊び回っている。そしてアリアーナの功績は全て自分たちのものとして、この家に関連した悪い評判は全てアリアーナが原因だと触れ回っているのだ。
――さらにアリアーナは、大きな問題を抱えていた。
「アリアーナ」
「……レイドル様」
書類を抱えていたために閉め切れなかった扉を開いて現れたのは、義妹フィアの婚約者であるバラード・レイドルだった。
子爵令息である彼は、茶色の髪と瞳と色合いこそ地味だが、少したれ目で柔らかい印象を受け美男と言えるだろう。
バラードが上から下まで舐めるような視線をアリアーナに向ける。
「はは、他人行儀だな。家族になるんだ、バラードと呼んでくれないか」
「まさか、妹の婚約者を名前で呼ぶなんてできません。もうすぐ母と妹も帰ってきますから」
部屋から出ようとしたアリアーナの肩を少々乱暴にバラードが掴んだ。
そして強引な力で引き寄せられ、耳元に唇が寄せられた。
「……先日の件、返事をくれないか」
ぞわりとした感覚に鳥肌を立てながらアリアーナはバラードから距離を取った。
「――あなたは、妹の婚約者ですよ。愛人になんてなれるはずがありません」
「断るならお前に言い寄られたという噂を流す。社交界で悪評が流れているお前の言葉なんて信じないだろう。それにまともな縁談は全て握りつぶした。残るのは高齢で女を物のように扱うような貴族からの縁談だけだ」
「……そんな」
俯いたアリアーナの頬に手を触れようとしたバラードが物音に動きを止めた。
「フィアとお義母上が帰ってきたようだ。面倒だがフィアの相手をしなくてはな……。俺は大事な商談があってしばらく忙しい。次に君に会えるのは一週間後だ。――良い返事を待っている」
アリアーナは、背を向けたバラードを見送ると壁に背中をつけてズルズルと座り込み、両手で顔を覆い俯いた。
そのとき、女性の高い声が彼女の名を呼んだ。
「……行かなくちゃ」
義母がアリアーナを呼んでいるということは、何かしらの失敗を見つけて嫌みを言おうとしているのだろう。
それとも虫の居所が悪く、アリアーナを叱責して鬱憤を晴らそうとでもいうのだろうか。
けれど行かなければ、義母からどんな仕打ちを受けるかわからない。
アリアーナはノロノロと立ち上がり、義母の部屋へと向かうのだった。
しかし、予想外にも義母は機嫌が良さそうだった。
「アリアーナ。あなたに縁談が来ているわ」
「……縁談、ですか?」
(高齢で女を物としか思っていない貴族からの……?)
先ほどのバラードの言葉がよぎり、アリアーナは思わず身構えた。
けれど、義母が口にした縁談相手は、アリアーナの予想とは違っていた。
「ええ、相手は平民だけれど、とても良い縁だと思うの。どうかしら?」
「平民……?」
「そう、ルドルフ・フィンガーという成り上がりよ」
「ルドルフ・フィンガー……」
貴族の娘が平民と結婚するなんて通常ではあり得ない。
そこにはアリアーナを貴族界から追い出して、確実にこの家を手に入れたいという義母の思惑が透けて見える。
けれどこの家から出られるのならそれでも良いかもしれないとアリアーナは思った。
それに、義母が口にした名前をアリアーナは知っていた。
「……っ、詳細を教えていただけますか?」
「ほら、これが結婚の申し込みの手紙よ。それにしても契約書みたいに事務的な文面ね。ものすごい変わり者だという噂は本当みたいね」
少々乱暴に押しつけられた手紙にアリアーナは視線を落とした。
確かに手紙は飾り気のない紙と硬い文章のせいでまるで契約書のようだった。
(一見すれば普通の紙だけど、これは魔法紙だわ……!)
手紙は魔法紙に書かれていた。魔法紙は特別な契約を交す際に使われて、大火でも燃えることがなく、双方の同意がない限り決して破ることもできない。
その代わり、一枚でも高価な宝石が買えるほど高く、手紙一つにいくらかかけているのかアリアーナには想像もできなかった。
メイディン伯爵家の家事を一手に引き受け、領地に関する重要な書面も目にすることがあるアリアーナにはその価値がわかったが、義母は気がついていないようだった。
(いったい、どういうことなの……?)
義母は意地悪な表情でアリアーナを見つめながら口を開いた。
「お相手は明日屋敷を訪れるみたいだから……。良い返事をしなさいね」
「……かしこまりました」
義母の部屋から出て、隣にある義妹フィアの部屋の前を通り過ぎる。少しだけ開いた扉から楽しそうに過ごすバラードとフィアの姿が見えた。
(このままでは、私は間違いなく……)
小さく身震いをしたアリアーナは、足早に部屋の前を通り過ぎて日の当たらない北の端の自室へと籠もる。
そこには、本棚以外にほとんど物がない。
小さくて粗末な机、装飾のない椅子に座りアリアーナはルドルフからの手紙を読み始める。そこには、几帳面さを感じる小さな文字で事務的な文面が書かれている。
――それは、絵に描いたような契約結婚だった。
149
お気に入りに追加
2,724
あなたにおすすめの小説
溺愛最強 ~気づいたらゲームの世界に生息していましたが、悪役令嬢でもなければ断罪もされないので、とにかく楽しむことにしました~
夏笆(なつは)
恋愛
「おねえしゃま。こえ、すっごくおいしいでし!」
弟のその言葉は、晴天の霹靂。
アギルレ公爵家の長女であるレオカディアは、その瞬間、今自分が生きる世界が前世で楽しんだゲーム「エトワールの称号」であることを知った。
しかし、自分は王子エルミニオの婚約者ではあるものの、このゲームには悪役令嬢という役柄は存在せず、断罪も無いので、攻略対象とはなるべく接触せず、穏便に生きて行けば大丈夫と、生きることを楽しむことに決める。
醤油が欲しい、うにが食べたい。
レオカディアが何か「おねだり」するたびに、アギルレ領は、周りの領をも巻き込んで豊かになっていく。
既にゲームとは違う展開になっている人間関係、その学院で、ゲームのヒロインは前世の記憶通りに攻略を開始するのだが・・・・・?
小説家になろうにも掲載しています。
私が死んで満足ですか?
マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。
ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。
全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。
書籍化にともない本編を引き下げいたしました
初夜に大暴言を吐かれた伯爵夫人は、微笑みと共に我が道を行く ―旦那様、今更擦り寄られても困ります―
望月 或
恋愛
「お前の噂を聞いたぞ。毎夜町に出て男を求め、毎回違う男と朝までふしだらな行為に明け暮れているそうだな? その上糸目を付けず服や装飾品を買い漁り、多大な借金を背負っているとか……。そんな醜悪な女が俺の妻だとは非常に不愉快極まりない! 今後俺に話し掛けるな! 俺に一切関与するな! 同じ空気を吸ってるだけでとんでもなく不快だ……!!」
【王命】で決められた婚姻をし、ハイド・ランジニカ伯爵とオリービア・フレイグラント子爵令嬢の初夜は、彼のその暴言で始まった。
そして、それに返したオリービアの一言は、
「あらあら、まぁ」
の六文字だった。
屋敷に住まわせている、ハイドの愛人と噂されるユーカリや、その取巻きの使用人達の嫌がらせも何のその、オリービアは微笑みを絶やさず自分の道を突き進んでいく。
ユーカリだけを信じ心酔していたハイドだったが、オリービアが屋敷に来てから徐々に変化が表れ始めて……
※作者独自の世界観満載です。違和感を感じたら、「あぁ、こういう世界なんだな」と思って頂けたら有難いです……。
十三月の離宮に皇帝はお出ましにならない~自給自足したいだけの幻獣姫、その寵愛は予定外です~
氷雨そら
恋愛
幻獣を召喚する力を持つソリアは三国に囲まれた小国の王女。母が遠い異国の踊り子だったために、虐げられて王女でありながら自給自足、草を食んで暮らす生活をしていた。
しかし、帝国の侵略により国が滅びた日、目の前に現れた白い豹とソリアが呼び出した幻獣である白い猫に導かれ、意図せず帝国の皇帝を助けることに。
死罪を免れたソリアは、自由に生きることを許されたはずだった。
しかし、後見人として皇帝をその地位に就けた重臣がソリアを荒れ果てた十三月の離宮に入れてしまう。
「ここで、皇帝の寵愛を受けるのだ。そうすれば、誰もがうらやむ地位と幸せを手に入れられるだろう」
「わー! お庭が広くて最高の環境です! 野菜植え放題!」
「ん……? 連れてくる姫を間違えたか?」
元来の呑気でたくましい性格により、ソリアは荒れ果てた十三月の離宮で健気に生きていく。
そんなある日、閉鎖されたはずの離宮で暮らす姫に興味を引かれた皇帝が訪ねてくる。
「あの、むさ苦しい場所にようこそ?」
「むさ苦しいとは……。この離宮も、城の一部なのだが?」
これは、天然、お人好し、そしてたくましい、自己肯定感低めの姫が、皇帝の寵愛を得て帝国で予定外に成り上がってしまう物語。
小説家になろうにも投稿しています。
3月3日HOTランキング女性向け1位。
ご覧いただきありがとうございました。
愛するつもりなぞないんでしょうから
真朱
恋愛
この国の姫は公爵令息と婚約していたが、隣国との和睦のため、一転して隣国の王子の許へ嫁ぐことになった。余計ないざこざを防ぐべく、姫の元婚約者の公爵令息は王命でさくっと婚姻させられることになり、その相手として白羽の矢が立ったのは辺境伯家の二女・ディアナだった。「可憐な姫の後が、脳筋な辺境伯んとこの娘って、公爵令息かわいそうに…。これはあれでしょ?『お前を愛するつもりはない!』ってやつでしょ?」
期待も遠慮も捨ててる新妻ディアナと、好青年の仮面をひっ剥がされていく旦那様ラキルスの、『明日はどっちだ』な夫婦のお話。
※なんちゃって異世界です。なんでもあり、ご都合主義をご容赦ください。
※新婚夫婦のお話ですが色っぽさゼロです。Rは物騒な方です。
※ざまあのお話ではありません。軽い読み物とご理解いただけると幸いです。
※おまけ更新中です。
侯爵家のお飾り妻をやめたら、王太子様からの溺愛が始まりました。
二位関りをん
恋愛
子爵令嬢メアリーが侯爵家当主ウィルソンに嫁いで、はや1年。その間挨拶くらいしか会話は無く、夜の営みも無かった。
そんな中ウィルソンから子供が出来たと語る男爵令嬢アンナを愛人として迎えたいと言われたメアリーはショックを受ける。しかもアンナはウィルソンにメアリーを陥れる嘘を付き、ウィルソンはそれを信じていたのだった。
ある日、色々あって職業案内所へ訪れたメアリーは秒速で王宮の女官に合格。結婚生活は1年を過ぎ、離婚成立の条件も整っていたため、メアリーは思い切ってウィルソンに離婚届をつきつけた。
そして王宮の女官になったメアリーは、王太子レアードからある提案を受けて……?
※世界観などゆるゆるです。温かい目で見てください
【完結】さようなら、婚約者様。私を騙していたあなたの顔など二度と見たくありません
ゆうき@初書籍化作品発売中
恋愛
婚約者とその家族に虐げられる日々を送っていたアイリーンは、赤ん坊の頃に森に捨てられていたところを、貧乏なのに拾って育ててくれた家族のために、つらい毎日を耐える日々を送っていた。
そんなアイリーンには、密かな夢があった。それは、世界的に有名な魔法学園に入学して勉強をし、宮廷魔術師になり、両親を楽させてあげたいというものだった。
婚約を結ぶ際に、両親を支援する約束をしていたアイリーンだったが、夢自体は諦めきれずに過ごしていたある日、別の女性と恋に落ちていた婚約者は、アイリーンなど体のいい使用人程度にしか思っておらず、支援も行っていないことを知る。
どういうことか問い詰めると、お前とは婚約破棄をすると言われてしまったアイリーンは、ついに我慢の限界に達し、婚約者に別れを告げてから婚約者の家を飛び出した。
実家に帰ってきたアイリーンは、唯一の知人で特別な男性であるエルヴィンから、とあることを提案される。
それは、特待生として魔法学園の編入試験を受けてみないかというものだった。
これは一人の少女が、夢を掴むために奮闘し、時には婚約者達の妨害に立ち向かいながら、幸せを手に入れる物語。
☆すでに最終話まで執筆、予約投稿済みの作品となっております☆
婚約破棄され家を出た傷心令嬢は辺境伯に拾われ溺愛されるそうです 〜今更謝っても、もう遅いですよ?〜
八代奏多
恋愛
「フィーナ、すまないが貴女との婚約を破棄させてもらう」
侯爵令嬢のフィーナ・アストリアがパーティー中に婚約者のクラウス王太子から告げられたのはそんな言葉だった。
その王太子は隣に寄り添う公爵令嬢に愛おしげな視線を向けていて、フィーナが捨てられたのは明らかだった。
フィーナは失意してパーティー会場から逃げるように抜け出す。
そして、婚約破棄されてしまった自分のせいで家族に迷惑がかからないように侯爵家当主の父に勘当するようにお願いした。
そうして身分を捨てたフィーナは生活費を稼ぐために魔法技術が発達していない隣国に渡ろうとするも、道中で魔物に襲われて意識を失ってしまう。
死にたくないと思いながら目を開けると、若い男に助け出されていて……
※小説家になろう様・カクヨム様でも公開しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる