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絵に描いたような契約結婚 1

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 メイディン伯爵家の長女アリアーナは、分厚い書類の束を揃えてため息をついた。
 彼女が手にしているのは、メイディン伯爵家の今年度の会計報告書だ。

「ドレスにお金を使いすぎている。それに宝石まで……」

 悪天候が重なり領地の民は飢えている。メイディン伯爵家は傾きかけていた。
 それにも関わらず、義母と義妹は贅沢三昧を続けている。

 アリアーナはふと、鏡に映った自分の姿を目にしてもう一度長いため息をつく。

 鏡に映し出されているのは、キッチリとまとめられた地味な茶色の髪に、きつくも見える少々つり目がちな瞳の地味な令嬢だ。流行遅れの緑色のドレスは、もう何年も着ている。

「それにしても、地味よね。しかも社交界で噂の悪女」

 先日、『アリアーナは社交界で義妹を虐げる悪女』という噂が流れているという話を聞いてしまった。

 噂は現状を伝えているというよりも、アリアーナの悪評を故意に誰かが広めているように思えた。おそらく情報の発信源は義妹のフィアだろう。
 彼女はことあるごとに、アリアーナを目の敵にしている。

「……まともなドレスも持たず、社交界に出ることもない私が悪女だなんて」

 しかし噂は一人歩きし、アリアーナは贅沢三昧で遊び回り、貴族としての社交も満足にできない悪女だと周囲に思われているようだ。

 母を亡くした幼いころ、義妹を連れてこの家に後妻として嫁いできた義母は、父が亡くなるや否や、アリアーナの持つもの全てを奪ってしまった。

 父と母の形見も、幸せだったころの思い出の品も、ドレスも宝石も全て義母に売り払われてしまった今、アリアーナが持っているのは地味で質素で古くさいものばかりだ。

 ふと、アリアーナの脳裏にひび割れたブローチが浮かぶ。
 壊れてしまったブローチは、父と母と最後に揃って出掛けた宝飾店で、贈ってもらった思い出の品だ。

 装飾品としての価値は低いそれすら取り上げられ、売り払われてしまった。
 だから、今アリアーナが持つのは祖母が来ていた時代遅れのドレスと普段着とほんの少しの私物だけ。鞄一つに十分収まってしまうだろう。

 そして社交界どころか二十一歳になっても婚約者すらいないアリアーナは、ほとんどの貴族令嬢が二十歳までには結婚するこの国において、行き遅れと呼ばれる年齢になってしまった。

 そんな彼女を嫁に出そうと義母は躍起になっている。しかし義母が持ってくる縁談は、後妻を求め年齢が大きく離れていたり、悪い噂があったりと、問題のある貴族ばかりだった。

「はあ……」

 もう一度ため息をついてメイディン伯爵家の今年の収支報告書を机の上に置く。
 義母と義妹は、面倒な家事は全てアリアーナに押しつけて、自分たちは贅沢に着飾り遊び回っている。そしてアリアーナの功績は全て自分たちのものとして、この家に関連した悪い評判は全てアリアーナが原因だと触れ回っているのだ。

 ――さらにアリアーナは、大きな問題を抱えていた。

「アリアーナ」
「……レイドル様」

 書類を抱えていたために閉め切れなかった扉を開いて現れたのは、義妹フィアの婚約者であるバラード・レイドルだった。
 子爵令息である彼は、茶色の髪と瞳と色合いこそ地味だが、少したれ目で柔らかい印象を受け美男と言えるだろう。

 バラードが上から下まで舐めるような視線をアリアーナに向ける。

「はは、他人行儀だな。家族になるんだ、バラードと呼んでくれないか」
「まさか、妹の婚約者を名前で呼ぶなんてできません。もうすぐ母と妹も帰ってきますから」

 部屋から出ようとしたアリアーナの肩を少々乱暴にバラードが掴んだ。
 そして強引な力で引き寄せられ、耳元に唇が寄せられた。

「……先日の件、返事をくれないか」

 ぞわりとした感覚に鳥肌を立てながらアリアーナはバラードから距離を取った。

「――あなたは、妹の婚約者ですよ。愛人になんてなれるはずがありません」
「断るならお前に言い寄られたという噂を流す。社交界で悪評が流れているお前の言葉なんて信じないだろう。それにまともな縁談は全て握りつぶした。残るのは高齢で女を物のように扱うような貴族からの縁談だけだ」
「……そんな」

 俯いたアリアーナの頬に手を触れようとしたバラードが物音に動きを止めた。

「フィアとお義母上が帰ってきたようだ。面倒だがフィアの相手をしなくてはな……。俺は大事な商談があってしばらく忙しい。次に君に会えるのは一週間後だ。――良い返事を待っている」

 アリアーナは、背を向けたバラードを見送ると壁に背中をつけてズルズルと座り込み、両手で顔を覆い俯いた。

 そのとき、女性の高い声が彼女の名を呼んだ。

「……行かなくちゃ」

 義母がアリアーナを呼んでいるということは、何かしらの失敗を見つけて嫌みを言おうとしているのだろう。
 それとも虫の居所が悪く、アリアーナを叱責して鬱憤を晴らそうとでもいうのだろうか。

 けれど行かなければ、義母からどんな仕打ちを受けるかわからない。
 アリアーナはノロノロと立ち上がり、義母の部屋へと向かうのだった。

 しかし、予想外にも義母は機嫌が良さそうだった。

「アリアーナ。あなたに縁談が来ているわ」
「……縁談、ですか?」

(高齢で女を物としか思っていない貴族からの……?)

 先ほどのバラードの言葉がよぎり、アリアーナは思わず身構えた。
 けれど、義母が口にした縁談相手は、アリアーナの予想とは違っていた。

「ええ、相手は平民だけれど、とても良い縁だと思うの。どうかしら?」
「平民……?」
「そう、ルドルフ・フィンガーという成り上がりよ」
「ルドルフ・フィンガー……」

 貴族の娘が平民と結婚するなんて通常ではあり得ない。
 そこにはアリアーナを貴族界から追い出して、確実にこの家を手に入れたいという義母の思惑が透けて見える。

 けれどこの家から出られるのならそれでも良いかもしれないとアリアーナは思った。
 それに、義母が口にした名前をアリアーナは知っていた。

「……っ、詳細を教えていただけますか?」
「ほら、これが結婚の申し込みの手紙よ。それにしても契約書みたいに事務的な文面ね。ものすごい変わり者だという噂は本当みたいね」

 少々乱暴に押しつけられた手紙にアリアーナは視線を落とした。
 確かに手紙は飾り気のない紙と硬い文章のせいでまるで契約書のようだった。

(一見すれば普通の紙だけど、これは魔法紙だわ……!)

 手紙は魔法紙に書かれていた。魔法紙は特別な契約を交す際に使われて、大火でも燃えることがなく、双方の同意がない限り決して破ることもできない。

 その代わり、一枚でも高価な宝石が買えるほど高く、手紙一つにいくらかかけているのかアリアーナには想像もできなかった。

 メイディン伯爵家の家事を一手に引き受け、領地に関する重要な書面も目にすることがあるアリアーナにはその価値がわかったが、義母は気がついていないようだった。

(いったい、どういうことなの……?)

 義母は意地悪な表情でアリアーナを見つめながら口を開いた。

「お相手は明日屋敷を訪れるみたいだから……。良い返事をしなさいね」
「……かしこまりました」

 義母の部屋から出て、隣にある義妹フィアの部屋の前を通り過ぎる。少しだけ開いた扉から楽しそうに過ごすバラードとフィアの姿が見えた。

(このままでは、私は間違いなく……)

 小さく身震いをしたアリアーナは、足早に部屋の前を通り過ぎて日の当たらない北の端の自室へと籠もる。

 そこには、本棚以外にほとんど物がない。

 小さくて粗末な机、装飾のない椅子に座りアリアーナはルドルフからの手紙を読み始める。そこには、几帳面さを感じる小さな文字で事務的な文面が書かれている。

 ――それは、絵に描いたような契約結婚だった。
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