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第2章
予知夢、そして執着 3
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それは、小さな違和感だった。
普段見かけない、弱い魔獣。
それは、北に近い辺境の村周囲には、いないはずの、色鮮やかな鳥の姿をしていた。
色は美しく、小さな動物を捕食する鳥。
とくに、その魔獣が周囲に害をもたらすことはない。
けれど、だからと言って、楽観視することもできない。
無言のまま、薄水色の髪と、ラベンダーの瞳をした騎士が、その魔獣を一刀に屠る。
それは、小さなほころびだった。だが、いないはずの魔獣が、その場所にいる。
それは、明らかに、これから起こる災厄の始まり。
「――――見つけた。スタンピードが起こるのは、この地ですか」
この地で、それが起こる理由は、はっきりしている。
今は、魔女と呼ばれる、元聖女の存在を、その騎士は掴んでいた。
そして、その近くで過ごす、愛しい存在のことも。
二人は、魔人と魔獣にとっては、最も優先すべき敵なのだから。
「リサ」
騎士は、砂埃が舞う、辺境の大地に降り立つ。
もうすぐこの場所は、戦いの舞台になる。
そして、騎士は一人、この場所で、愛しい彼女を守る覚悟を固める。
いつの間にか、その唇には、場の雰囲気にはそぐわない、柔らかい微笑みが浮かんでいた。
✳︎ ✳︎ ✳︎
「レナルド様?」
レナルド様の、低く耳に心地よく響く声が、私の名前を呼んだ気がした。
それは、懐かしいのに、ひどく私を不安にさせる音だった。
辺境の荒野。その中心に、なぜかその場所だけ緑豊かに存在する村。
その理由の一つが、魔女様と呼ばれる元聖女の存在だろう。
「――――どうして、魔女様と呼ばれるのですか?」
隣で柔らかい笑みを浮かべる老婦人に、勇気を出して私は尋ねてみる。
不躾であることは理解している。それでも、私は聞かずにはいられなかった。
「――――聖女の名を呼び、愛して良いのは、神だけだから」
「……おっしゃる意味が、分かりません」
「私は、聖女であることより、たった一人を愛することを選んだの。後悔はないわ。でも、その選択をした日から、私は聖女と呼ばれなくなったの」
この世界に来てから、シストのほかには、私のことを名前で呼ぶ人はいなかった。
出会ったあの日、守護騎士の誓いで、私の名を呼んでくれたレナルド様以外は。
――――では、聖女ではなくなった私も、今は魔女なのだろうか。
「……たぶん、リサさんは違うわ。私は、聖女の使命から逃げて、たった一人に愛されることだけを選んでしまった」
世界でたった一人、レナルド様のことだけを選んで、二人で逃げだす。
そんな未来を、想像しないわけではない。
きっと、レナルド様は、どこまでも私のことを大切に守ってくれる。
それは、甘くて、柔らかくて、ほろ苦い、幸せな未来。
「ナオさんは、幸せでしたか?」
「後悔はないの。でも、あの人がもういない今、許されるなら私は、もう一度、聖女として生きたい。それに、たぶん私が、聖女から逃げたせいで、リサさんは、召喚されてしまったのだと思うの。贖罪にはならないかもしれないけれど、力になりたいわ」
「――――私は」
もしも、元の世界で過ごしていたら、当たり前の日常を過ごしていただろうか。
誰かと恋に落ちただろうか。
「レナルド様と会えたから……。元の世界に未練がないと言ったら、嘘になりますけど」
「そうね。もし戻れるなら、一度くらい私も里帰りがしたいわ」
ほほ笑んだナオさんの瞳に浮かんだのは、懐かしい緑豊かで海に囲まれた、あの場所の記憶。
私たちだけが、それを共有することができる。
「――――聖女の称号は、世界に一つしかない。だから私はもう、聖女ではない。それでも、魔法の力は強くなっているの。だから、この場所を守るわ」
その言葉にうなずいた時、視線の先に、薄水色の色彩が映り込んだ。
「――――レナルド様!」
「リサ……」
あんなに会いたかった人が、急に現れたことに驚きつつも、私は子犬のように駆け寄る。
優しい守護騎士様の微笑み。
それは、いつもと変わらないようだった。
でも、その瞳に浮かんでいるのは、鋭い光。それは、まるで何かを覚悟してしまっているようにも見える。
そして、なによりも、あるべきはずの場所に、その名称がない。
なぜか、レナルド様のステータスから、守護騎士の名前が消えていた。
「探しました」
「あの、レナルド様、私」
一緒に戦わせてほしい、そう言おうとした瞬間、抱きしめられる。
それは、逃れることなんて出来ないほど、強い抱擁。
「一緒に来て、リサ。王都に帰りましょう」
「――――え? でも、私はここで」
この地が、戦いの舞台になる。
それは、なぜか私の中で、確実に起こる未来として認識されている。
「来てくれなければ、この周囲一帯を破壊して、俺もこの場所で」
「――――ひぇ?」
レナルド様らしくない、暗闇の中に鈍く光る尖った鉱石のような言葉。
そんな言葉が、降ってくるなんて、想像もしていなかった私は、体を硬直させる。
そんな私を見つめていたレナルド様は、さっきの言葉が聞き間違いだったみたいに、爽やかにほほ笑む。
その微笑みと、痛いほどに掴まれた手首が、あまりに対極的で、私を混乱させる。
――――不意に拘束する力が緩んで、私の手首に落ちてきた口づけは、待ち望んでいたみたいに熱くて、ますます私の思考を鈍らせる。
レナルド様の、あまりの変化に、私は、再会できたら絶対に伝えようと思っていた「好き」という言葉を伝えることも出来ない。
それでも、その手を振り払うことなんて、もちろん出来ない。
「行きましょう? 仲間たちも心配しています。周囲の問題は、片づけたから、王都は安全です」
――――どうやって?
聖女ではなくなった私を、王族や神殿は用済みと見做して刺客まで送ってきていたのに。
「……こんな未来が来ることなんて、想定していました。だって、俺はずっと、リサに聖女なんてやめてほしかったんですから。――――ずっと準備していたんですよ?」
「レナルド様、私は」
私は、聖女としてあなたを守りたい。
だから、聖女のままでいたい。
そんな私の顔を見て、レナルド様は、どこか諦めたみたいに笑う。
「そんな顔させてしまうこと、許してください。 ずっと好きでした。少しでいいから、俺の我儘に付き合ってくれませんか?」
「え?」
ずっと好きだった、という言葉。
それは、あまりにサラリと告げられて、きちんと理解する前に通り過ぎてしまう。
次の瞬間、体がバラバラの粒子になる転移特有の感覚、そして気が付けば私たちは、王都に戻ってきていた。
どんな方法を使ったのだろう。二人同時に、辺境から王都に戻るなんて、消費される魔力が桁違いすぎて、想像もできない。私の知っているレナルド様には、できなかったはずだ。
『いくら、この状況で君の力が強まっているからと言って、無茶するなぁ……』
心底呆れた様子のシストは、当たり前のように私たちについてきていたけれど。
転移酔いのせいで、膝から崩れ落ちそうになる私を、レナルド様がそっと抱き上げる。
「……あの」
「大丈夫、リサが嫌がることなんてしません。今までみたいな距離を保つように、できる限り努力しますから。だから、そばに置いて」
「……レナルド様」
その言葉通り、目の前で笑っているのは、いつものレナルド様だ。
私が大好きな、レナルド様だ。
でも、なぜか私には、それは本当のレナルド様に見えない。
私を傷つけてしまうくらい尖って澱んだ言葉を、絞り出すように伝えてきたレナルド様の姿を、知ってしまったせいだろうか。
まだ、気が付いたばかりの私の恋心は、急な変化についていくことができなくて。
この時だけだったのに、レナルド様にきちんと自分の言葉を伝えることができたのは。
遅すぎる答えに私がようやくたどり着いた時、レナルド様は一人でその場所に立っていた。
でも、それはまだ、ほんの少し先の未来。
さっきまでの姿が、嘘みたいに、「好きだ」と笑ったレナルド様に、抱きしめられた私は、胸が締め付けられるように苦しくて、幸せで、何も考えられなくなってしまったから。
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