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もう、傷つかないでほしいから。
しおりを挟む「……お腹いっぱいだわ」
そのひと言で、ふと我にかえる。
「どうして、セリーヌ様が悪役令嬢の配役なの。むしろ、逆ハーレムエンドヒロインだわ」
「え? そんなバカな」
室内が静まり返る。そういえば、ユリア殿下の元に向かったアルト様は、今頃どうしているのだろうか。無茶をしていないといいけれど。
「ま、いいわ。着飾るわよ」
「え? この格好でよいのでは」
改めて、自分の服装を確認する。ベルン公爵が用意してくれたドレスは、一級品だ。そう、たとえ王族の前に出るとしても、全く問題がない。
それなのに、これ以上着飾るとは?
「えっと、この格好でよいのでは」
念のため、もう一度繰り返してみる。
それなのに、笑顔のままのアイリ様は、素敵な笑顔で首を「ノー」とばかりに横に振る。
「おすすめのドレスがあるの。それを着ましょう」
「そ、そうですか」
こうなったら、断るのは難しそうだ。
手を引いてくるアイリ様の後ろを黙ってついていく。
今日も少ししか食べられなかった。
「そもそも、そのドレスなんなのよ」
二人きりになったとたん、ぞんざいな口調のアイリ様。
意外と、この時間が好きだと思うのは、すでにヒロインの魅力にノックアウトされてしまっているということなのだろうか。
「ベルン様の瞳の色を取り入れたネックレスに指輪。淡いブラウンのドレスは、髪の色を取り入れている……。どこまで、所有権を主張すれば気がすむの」
「え? 落ち着いた色でいいな、と思っていたのですが」
「――――そうね。セリーヌは、そんな人よね」
アイリ様に与えられた客間は、王太子妃にふさわしい一番豪華なお部屋だった。
重厚な扉と、センスの良い家具。
インテリアについても、ベルン公爵が指示しているらしい。
椅子の背もたれ一つとっても、施された彫刻は、左右非対称で、ほかではあまり見ない。
それでいて、伝統を生かしたデザインは、自由でありながら長い歴史を持つイースランドの雰囲気によく調和している。
……どうして、こんなにセンスがいいのに、以前のフェンディス公爵邸は、あんなに暗い雰囲気だったのだろう。思わず背もたれに手を置いてみれば、磨き上げられた触感は、ひんやり、すべすべだ。
そして、私の好み通りにさせてくれているけれど、ベルン公爵がちゃんとすべて見繕ったほうが、素敵になる気がする。
――――それよりも。なんだろう、この空間は。
そんな、伝統と革新が同居したような室内にあふれかえるのは、色鮮やかなドレスの数々。
確かに、大商人のキャラバンという設定で、たくさんの馬車がついてきていたけれど、そのうちの大部分はドレスだったのかと思うほどだ。
「この世界にも、収納魔法があったらよかったのにね?」
無邪気にほほ笑んだアイリ様は、さっそく、隣国で流行しているという、動きやすくてガーリーなドレスを選び始める。
「セリーヌ様は、これね!」
以前着た、フォレストガール風のドレスに比べると、ずいぶん大人っぽいデザインだ。
締め付けが少なくて、胸元で切り替えられたデザインは、くるぶしまでそれほど広がらない。それでいて、計算されたドレープが美しい。銀色の光沢が上品な白いドレスだ。
一方、アイリ様は、同素材だけれど、ウエストに結ばれたリボンが可愛らしいドレス。肩口に重ねられたレースが妖精のような印象が、華奢で可憐なアイリ様のイメージにピッタリ合っている。
「――――あの」
「……ユリア殿下との約束なの。勝負の時には、ユリア殿下が用意してくださったドレスを身にまとって戦うって」
「ま、まさか、全部これ」
「そうよ。ユリア殿下が、全て持たせてくれたものなの。妙に気に入られているみたいなのよね、私」
堅苦しい王族としての生活。
そんな中で、自由なアイリ様の存在が、ユリア殿下に大きな影響を与えているのは間違いない。
「どうせなら、ヒロインとして私が悪戦苦闘している時に、助けて欲しかったわ」
そんなことを言いながらも、案外懐の深いアイリ様のことだ。
ユリア殿下と、それなりに仲良くやっているに違いない。
「――――ただ、ユリア殿下のお立場が微妙なのは間違いないから……。本当は、周囲の貴族たちからすれば、隣国の王太子殿下との婚約が成立するのが一番都合がよかったのでしょうけれど」
ユリア殿下は、メリルお姉様とカイル・ルドラシア殿下のメインストーリーでは、間違いなくライバルキャラクターだ。そもそも、続編では彼女の弟であるエルディオ様がどういった立ち位置なのかは、プレイしていない私たちにはわからないけれど……。
今のユリア殿下にとって、この婚約が成立しないということは……。
「ほら、もう訪問時間になってしまうわ」
「――――そうですね」
ベルン公爵が、婚約の前夜に話してくれた呪いで家族を失った話。今は、きちんと思い出すことが出来る。あの日、号泣してしまった私を逆に慰めてくれた優しい人。
もう、傷つかないで欲しいから……。
ふと、幸せなモフモフに囲まれている白昼夢を見た。
紫色の小さな影が、目の前を横切る。
……ヘルモードの影響なのだろうか。いくら眠っても、まだ眠い。
「セリーヌ」
その声に、眠気が消える。
紫色の小さな影が走り去っていった方向に目を向けると、マントをふわりと翻して、ほほ笑んでいるベルン公爵。
「俺が用意したドレスではないのが残念だが……。月の女神は、目のやり場に困るほど、美しいな。知っている? 月の女神をその目に映してしまえば、永遠にその姿だけを追い求める哀れな存在になってしまうという神話があるんだが……。今の俺の状況がまさに」
「――――さ、行きましょう! それに、月は、太陽の隣では、霞んで見えませんよ!」
このままでは、赤面したまま、大舞台に上がることになってしまう。そして、紺色がメインの礼装でありながら、ところどころ金色の装飾を取り入れたベルン公爵の横に並べば、私なんて誰が見ても添え物でしかないレベルだと思う。
私は、ベルン公爵の言葉を遮ると、その腕に手を絡めて、応接室へと向かうのだった。
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