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徹夜は毛並みに良くないです。
しおりを挟むしばらくして、燃え尽きた様子のアイリ様が、おぼつかない足取りで私の部屋から出てきた。
そして、死んだ魚のような目をしたまま、チラリとベルン様を見て「予想通り……。いえ、我慢した方かしら」とつぶやくと、ふらふらと去っていった。
いったい、この短時間に兄に何を言われたのか、気になって仕方がない。途中まで、甘い雰囲気だったのに。
「さ、行こうか。まずは着替えて」
「え? 行くってどこにですか」
「……そんなの、決まっている。隣国の王太子殿下に、謁見の申込みをしているから」
キョトンとした私の顔は、かなり間抜けだったに違いない。
え? 謁見申し込みってそんなに簡単に通るものなの?
「……魔道具の輸出を匂わせたら簡単だったよ」
直後に、王子様みたいな姿に戻ったベルン公爵。その笑顔は、本気になってしまっている時のそれだ。交渉の席で、ベルン公爵がこの顔をしていたら、私ならすぐ諦めて撤退する。
なんの魔道具ですか? なんて、簡単に聞ける雰囲気ではないことが、私にもわかる。
そんな私に、ベルン公爵は、よそ行きの笑顔で笑いかける。
「セリーヌも行きたいのかなって、思ったけど……。違うなら俺だけで行くよ?」
「べ、ベルン様、だけで?!」
その言葉に、一瞬泣きそうになったのは、置いていかれると思ったからではない。つい先日まで、部屋から出ることすら、恐る恐るだった私のモフモフが、こんなにも立派になっての涙だ。
「…………セリーヌ?」
「あっ、はい」
美しい瞳が澱んでいますよ?
え、もしかしなくても、私のせいですか?
ちゅうっと、小さな音を立てて、ベルン公爵が口づけしてくる。そのまま、私の髪の毛をサラサラとかして、頬に手が添えられた。
「たしかに、今でも外の世界に出るのは、拒否感がある。でも、俺にとっての外の世界の定義に気付いたんだ」
「……あの、その定義とは」
聞いていいのだろうか。すごく聞きたいのに、聞いてはいけないような気がする。
「こんな離れていたのは、あの時セリーヌが俺を置いて家出して以来だからね。……思い知ったよ」
どうしてだろう、ドロドロとヤンデレの甘すぎる香りが漂ってきている気がするのは。
「ね……。これからはもう、こんなに長く俺のそばから離れないで? セリーヌがいる場所以外は、俺にとっては外の世界に等しいみたいだ」
「あ、はい」
「ふっ、冷たいな。セリーヌは……。まあ、俺の好きって気持ちについて来られないセリーヌを責めるなんて出来ないけど、寂しいかな」
「……ベルン様のこと、好きですよ?」
重すぎるところは、ありますけど。
そう告げると、ベルン公爵は嬉しそうに、でも少しドロドロ甘ったるい微笑みで、私を見つめる。
「閉じ込めたい衝動を抑えて、セリーヌを、自由にしている俺を、褒めて?」
「はっわ……」
閉じ込められる未来が、一瞬浮かんでしまったのに、モフモフとともに過ごす、小さな空間は、それほど嫌にも思えない。
コタツがあれば、さらに良い。
「……本当してしまいそうになるから、きちんと否定して欲しい」
だって、そこまで嫌ではないのだもの。
たぶん、そこは、モフモフと温かくて、外に出たくなくなるような、快適空間に違いない。
「あ、あのその。……一緒に引きこもります?」
「はあ。……敵わないな。セリーヌの想像は、近いようで遠いと思うけどね。たぶん、今篭ったら朝まで寝かせてあげられないよ?」
「徹夜は毛並みに良くないですよ?」
瞳の色が元通りになったことに安心したのも束の間、もう一度私は、今度はモフモフしていない、でも安心できる腕の中に、囚われていた。
「もう、結婚したんだから、少しくらい誘いにのって欲しいけど」
その言葉は、ベルン公爵の口の中で、溶けて消えてしまったらしく、私には聞こえなかった。
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