上 下
100 / 177

何になっても構わないから。

しおりを挟む


 出仕するベルン公爵に連れられて、屋敷を出てからずいぶん長い時間がたってしまったように思う。
 ようやく、王太子殿下(お兄様)の執務室に到着した。

 噂によると、陛下は、ほとんどの実権をお兄様に譲り渡して、隠居を指折り数えているらしい。

 ――――この国のすべてが、お兄様の手腕にかかっているといっても過言ではないのだ。

「それで、ようやく来たのか」

 目の下にクマを作った、お兄様は、ため息交じりだ。

 もう少し手伝うべきだろうか。このままではお兄様が過労で倒れてしまいそうだ。何か手伝えることなんて、あるのだろうか。

 邪魔にしかならなそうだから、静かにしていよう。無力な妹をお許しください、お兄様。

 うつむいた瞬間に、青い眺めの前髪が、さらりと流れる。そう、お兄様は私の前世での推しだったのだから。

 しかし、最近はお兄様のそばにいつも一緒にいるはずの、彼女の姿がどこにもない。

「――――お兄様、ところでアイリ様はどちらに」

「アイリは『私は、あなたが何をしようと、気になんてなりませんから!』という、一言を残して、部屋に閉じこもってしまった」

 それは……。お兄様が思い出した記憶のことが、気になりすぎて逃げたんでしょうね。どこまで思い出したのとか、自分と距離をとってしまうのではないかとか。

「それは、相当気にしてそうだな」

「――――そうなのか? てっきり、もう俺のことなんて、気にならないのかと」

 ――――これはいわゆる、鈍感系主人公の勇者様と、ツンデレ幼馴染が盛大にすれ違っている展開ではないだろうか。

 個人的には、心躍る展開なのだけれど、身近な人がその展開となれば、楽しんでいる場合ではないだろう。

 それにしても、どうして、アイリ様のことを、お兄様よりベルン公爵のほうが理解しているんですか。
 でも、間に入る前に、どうしても確認しておかなくては。

「お兄様は、勇者の何を思い出したのですか?」

「……幼馴染を守るために、勇者になって魔王を」

 そこまで言って、お兄様は下を向いたまま首を振った。

「魔王を倒したところまでですか?」

「いや……。出会った魔王は、強すぎて、俺の手に余った。倒したのは……お前たちだろう?」

「――――え?」

「魔王が倒される直前、胸を貫かれた俺は、死ぬはずだった」

 たしかに、最後に魔王にとどめを刺したのは、魔法使いと聖女だったらしいけれど……。

「お前たちに関してだけは、勇者の子孫とはいっても、次の代で血が混ざっているだろう? さすがに、聖女に手を出したりしたら、魔法使いに瞬殺される」

 ん? 魔法使いと聖女も、勇者ハーレムの一員じゃないの?

「……思い出してないのか」

「どういうことだ、セルゲイ」

 しばしの沈黙の後に、お兄様は重い口を開いた。

「――――聖女にあれだけ執着していた魔法使いが、女のはずないだろう。誰もそんなこと言ってない」

 ん? そういえば、誰も言っていないですね?

 聖女は、その名称からして女性でしょうが、魔法使いが女性だなんて……。

 私とベルン公爵が、見つめあう。それは、まるで長い期間を経て出会った恋人同士みたいに。

 ――――執着という、気になる単語が聞こえたのは、気のせいですよね?

 私たちが、勇者の血を継いでいるってことしか、乙女ゲームでも語られていなかった。
 だから、全員勇者ハーレムの一員だったと、勝手に思い込んでいた?

「あ……」

 ひどい眩暈のせいで、ふらつく足元。

「セリーヌ?」

 抱きしめられた、感触は、とてもフワフワで安心できるものだった。

 その瞬間、鮮やかな赤色とともに、私の記憶が巻き戻っていく。

 カリスマ家政婦として働いていた日々。
 両親を亡くして、親せきの家に引き取られ、そこでなじむこともできず一人きりだったこと。
 私の笑いかける、懐かしい、父と母の笑顔。
 子ども時代の私は、いつも楽しそうに笑っていた……。

 宇宙みたいな暗闇の中、キラキラと星のように瞬く記憶は、終わることなく遠い時間を巻き戻る。

 それは、かつての私が生まれる、もっと前の記憶だ。


 ✳︎ ✳︎ ✳︎

 
 残されたのは、魔王によって残された呪い。
 そして、そこにいるのは、魔法使いにかばわれたせいで、一人致命傷を免れた聖女。

「お願い……。みんなのことが大好きなの」

 誰に祈りを捧げればいいのだろう。
 呪いを受けた聖女の願いなんて、誰が聞いてくれるのだろう。

 真っ赤に染まる白いカーペット。
 倒れる、大事な仲間たち。
 私を守るように抱きしめたまま、深手を負った、大好きなあの人。

 たった一人だけ動くことができるのは、私だけだった。

「全員、救いたいの。そのためなら私は何にだってなってみせる」

 聖女は、魔王に清くあるほど貶められる呪いを受けた。

 ――――それなら、清く美しい聖女の力なんて、私はもういらない。

 すべての力を、使い切っても構わない。

 その瞬間、消えてしまった聖女の力と引き換えに、世界は光に包まれて元の形を取り戻す。
 それでも、すべてが完全に戻るなんてこと、あるわけがなかった。
 
 聖女は、悪役令嬢へとその運命を歪め、呪いは末裔の呪いとして、私たちの子孫へと受け継がれていくことになった。

しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

完結 「愛が重い」と言われたので尽くすのを全部止めたところ

音爽(ネソウ)
恋愛
アルミロ・ルファーノ伯爵令息は身体が弱くいつも臥せっていた。財があっても自由がないと嘆く。 だが、そんな彼を幼少期から知る婚約者ニーナ・ガーナインは献身的につくした。 相思相愛で結ばれたはずが健気に尽くす彼女を疎ましく感じる相手。 どんな無茶な要望にも応えていたはずが裏切られることになる。

世界最強の公爵様は娘が可愛くて仕方ない

猫乃真鶴
ファンタジー
トゥイリアース王国の筆頭公爵家、ヴァーミリオン。その現当主アルベルト・ヴァーミリオンは、王宮のみならず王都ミリールにおいても名の通った人物であった。 まずその美貌。女性のみならず男性であっても、一目見ただけで誰もが目を奪われる。あと、公爵家だけあってお金持ちだ。王家始まって以来の最高の魔法使いなんて呼び名もある。実際、王国中の魔導士を集めても彼に敵う者は存在しなかった。 ただし、彼は持った全ての力を愛娘リリアンの為にしか使わない。 財力も、魔力も、顔の良さも、権力も。 なぜなら彼は、娘命の、究極の娘馬鹿だからだ。 ※このお話は、日常系のギャグです。 ※小説家になろう様にも掲載しています。 ※2024年5月 タイトルとあらすじを変更しました。

異世界に召喚されたけど、従姉妹に嵌められて即森に捨てられました。

バナナマヨネーズ
恋愛
香澄静弥は、幼馴染で従姉妹の千歌子に嵌められて、異世界召喚されてすぐに魔の森に捨てられてしまった。しかし、静弥は森に捨てられたことを逆に人生をやり直すチャンスだと考え直した。誰も自分を知らない場所で気ままに生きると決めた静弥は、異世界召喚の際に与えられた力をフル活用して異世界生活を楽しみだした。そんなある日のことだ、魔の森に来訪者がやってきた。それから、静弥の異世界ライフはちょっとだけ騒がしくて、楽しいものへと変わっていくのだった。 全123話 ※小説家になろう様にも掲載しています。

三歳で婚約破棄された貧乏伯爵家の三男坊そのショックで現世の記憶が蘇る

マメシバ
ファンタジー
貧乏伯爵家の三男坊のアラン令息 三歳で婚約破棄され そのショックで前世の記憶が蘇る 前世でも貧乏だったのなんの問題なし なによりも魔法の世界 ワクワクが止まらない三歳児の 波瀾万丈

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

異世界に召喚されたけど間違いだからって棄てられました

ピコっぴ
ファンタジー
【異世界に召喚されましたが、間違いだったようです】 ノベルアッププラス小説大賞一次選考通過作品です ※自筆挿絵要注意⭐ 表紙はhake様に頂いたファンアートです (Twitter)https://mobile.twitter.com/hake_choco 異世界召喚などというファンタジーな経験しました。 でも、間違いだったようです。 それならさっさと帰してくれればいいのに、聖女じゃないから神殿に置いておけないって放り出されました。 誘拐同然に呼びつけておいてなんて言いぐさなの!? あまりのひどい仕打ち! 私はどうしたらいいの……!?

【コミカライズ決定】契約結婚初夜に「一度しか言わないからよく聞け」と言ってきた旦那様にその後溺愛されています

氷雨そら
恋愛
義母と義妹から虐げられていたアリアーナは、平民の資産家と結婚することになる。 それは、絵に描いたような契約結婚だった。 しかし、契約書に記された内容は……。 ヒロインが成り上がりヒーローに溺愛される、契約結婚から始まる物語。 小説家になろう日間総合表紙入りの短編からの長編化作品です。 短編読了済みの方もぜひお楽しみください! もちろんハッピーエンドはお約束です♪ 小説家になろうでも投稿中です。 完結しました!! 応援ありがとうございます✨️

お飾り公爵夫人の憂鬱

初瀬 叶
恋愛
空は澄み渡った雲1つない快晴。まるで今の私の心のようだわ。空を見上げた私はそう思った。 私の名前はステラ。ステラ・オーネット。夫の名前はディーン・オーネット……いえ、夫だった?と言った方が良いのかしら?だって、その夫だった人はたった今、私の足元に埋葬されようとしているのだから。 やっと!やっと私は自由よ!叫び出したい気分をグッと堪え、私は沈痛な面持ちで、黒い棺を見つめた。 そう自由……自由になるはずだったのに…… ※ 中世ヨーロッパ風ですが、私の頭の中の架空の異世界のお話です ※相変わらずのゆるふわ設定です。細かい事は気にしないよ!という読者の方向けかもしれません ※直接的な描写はありませんが、性的な表現が出てくる可能性があります

処理中です...