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何になっても構わないから。
しおりを挟む出仕するベルン公爵に連れられて、屋敷を出てからずいぶん長い時間がたってしまったように思う。
ようやく、王太子殿下(お兄様)の執務室に到着した。
噂によると、陛下は、ほとんどの実権をお兄様に譲り渡して、隠居を指折り数えているらしい。
――――この国のすべてが、お兄様の手腕にかかっているといっても過言ではないのだ。
「それで、ようやく来たのか」
目の下にクマを作った、お兄様は、ため息交じりだ。
もう少し手伝うべきだろうか。このままではお兄様が過労で倒れてしまいそうだ。何か手伝えることなんて、あるのだろうか。
邪魔にしかならなそうだから、静かにしていよう。無力な妹をお許しください、お兄様。
うつむいた瞬間に、青い眺めの前髪が、さらりと流れる。そう、お兄様は私の前世での推しだったのだから。
しかし、最近はお兄様のそばにいつも一緒にいるはずの、彼女の姿がどこにもない。
「――――お兄様、ところでアイリ様はどちらに」
「アイリは『私は、あなたが何をしようと、気になんてなりませんから!』という、一言を残して、部屋に閉じこもってしまった」
それは……。お兄様が思い出した記憶のことが、気になりすぎて逃げたんでしょうね。どこまで思い出したのとか、自分と距離をとってしまうのではないかとか。
「それは、相当気にしてそうだな」
「――――そうなのか? てっきり、もう俺のことなんて、気にならないのかと」
――――これはいわゆる、鈍感系主人公の勇者様と、ツンデレ幼馴染が盛大にすれ違っている展開ではないだろうか。
個人的には、心躍る展開なのだけれど、身近な人がその展開となれば、楽しんでいる場合ではないだろう。
それにしても、どうして、アイリ様のことを、お兄様よりベルン公爵のほうが理解しているんですか。
でも、間に入る前に、どうしても確認しておかなくては。
「お兄様は、勇者の何を思い出したのですか?」
「……幼馴染を守るために、勇者になって魔王を」
そこまで言って、お兄様は下を向いたまま首を振った。
「魔王を倒したところまでですか?」
「いや……。出会った魔王は、強すぎて、俺の手に余った。倒したのは……お前たちだろう?」
「――――え?」
「魔王が倒される直前、胸を貫かれた俺は、死ぬはずだった」
たしかに、最後に魔王にとどめを刺したのは、魔法使いと聖女だったらしいけれど……。
「お前たちに関してだけは、勇者の子孫とはいっても、次の代で血が混ざっているだろう? さすがに、聖女に手を出したりしたら、魔法使いに瞬殺される」
ん? 魔法使いと聖女も、勇者ハーレムの一員じゃないの?
「……思い出してないのか」
「どういうことだ、セルゲイ」
しばしの沈黙の後に、お兄様は重い口を開いた。
「――――聖女にあれだけ執着していた魔法使いが、女のはずないだろう。誰もそんなこと言ってない」
ん? そういえば、誰も言っていないですね?
聖女は、その名称からして女性でしょうが、魔法使いが女性だなんて……。
私とベルン公爵が、見つめあう。それは、まるで長い期間を経て出会った恋人同士みたいに。
――――執着という、気になる単語が聞こえたのは、気のせいですよね?
私たちが、勇者の血を継いでいるってことしか、乙女ゲームでも語られていなかった。
だから、全員勇者ハーレムの一員だったと、勝手に思い込んでいた?
「あ……」
ひどい眩暈のせいで、ふらつく足元。
「セリーヌ?」
抱きしめられた、感触は、とてもフワフワで安心できるものだった。
その瞬間、鮮やかな赤色とともに、私の記憶が巻き戻っていく。
カリスマ家政婦として働いていた日々。
両親を亡くして、親せきの家に引き取られ、そこでなじむこともできず一人きりだったこと。
私の笑いかける、懐かしい、父と母の笑顔。
子ども時代の私は、いつも楽しそうに笑っていた……。
宇宙みたいな暗闇の中、キラキラと星のように瞬く記憶は、終わることなく遠い時間を巻き戻る。
それは、かつての私が生まれる、もっと前の記憶だ。
✳︎ ✳︎ ✳︎
残されたのは、魔王によって残された呪い。
そして、そこにいるのは、魔法使いにかばわれたせいで、一人致命傷を免れた聖女。
「お願い……。みんなのことが大好きなの」
誰に祈りを捧げればいいのだろう。
呪いを受けた聖女の願いなんて、誰が聞いてくれるのだろう。
真っ赤に染まる白いカーペット。
倒れる、大事な仲間たち。
私を守るように抱きしめたまま、深手を負った、大好きなあの人。
たった一人だけ動くことができるのは、私だけだった。
「全員、救いたいの。そのためなら私は何にだってなってみせる」
聖女は、魔王に清くあるほど貶められる呪いを受けた。
――――それなら、清く美しい聖女の力なんて、私はもういらない。
すべての力を、使い切っても構わない。
その瞬間、消えてしまった聖女の力と引き換えに、世界は光に包まれて元の形を取り戻す。
それでも、すべてが完全に戻るなんてこと、あるわけがなかった。
聖女は、悪役令嬢へとその運命を歪め、呪いは末裔の呪いとして、私たちの子孫へと受け継がれていくことになった。
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