【書籍化決定】断罪後の悪役令嬢に転生したので家事に精を出します。え、野獣に嫁がされたのに魔法が解けるんですか?

氷雨そら

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記憶を取り戻すなんてやめましょう?

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 ✳︎ ✳︎ ✳︎


「それにしても、育成に力を入れすぎたのかもしれない。やることがない……」

 最近は使用人たちの育成に力を入れすぎたせいで、私が手を出すまでもなく、家の中は完璧に整えられている。

 使用人たちは、屋敷の整備が完璧すぎるせいなのか、私を着飾らせることに最近は熱意を燃やしているようだ。今日の、黄色いバラみたいなドレスも、私を家事から遠ざからせている。

「もったいない……。ドレスなんて多くても七着くらいあれば十分じゃないのかしら?」

 ベルン公爵は、王国一の大富豪だ。

 クローゼットルームにあふれんばかりのドレス。

 ベルン公爵は、私のドレスを選ぶのが好きだ。完全に、敏腕商人のハンネスさんの手のひらの上で転がされている。

「ドレスなんて一日一着しか着られないのに」

 私はため息をついた。

 王家をしのぐというほどの潤沢な資金は、もちろんフェンディス公爵家の資産が基礎にあるが、それだけではない。

 ベルン公爵は、控えめに言って王国随一の天才だ。
 その才能は、建築から政治、経済、芸術まで幅広い。引きこもっている間に、こなした数々の事業の利益は、貯まる一方だった。

 うん、家事がいくら得意だと言って、根っから庶民で、公爵令嬢の皮をかぶった私とは、どう考えても釣り合わない。

 ――――唯一の欠点が、時々野獣と呼ばれる外見になってしまうことなのだけれど。

「うん、完璧すぎて、一つも粗がない」

 モフモフ至上主義の私としては、欠点と言われるそれすら、ベルン公爵の完璧さに花を添えてしまうだけ。むしろ、すべてがなくても、やさしさとモフモフだけあれば満点をあげたい。

 その時、セバスチャンが「奥様、お客様がお見えになりました」と、声をかけてきた。

 その声は、今日もどこか浮き足立っている。

 ……私としては、どうも慣れない、「奥様」という呼び名。

 それでも、セバスチャンが、奥様と呼ぶたびに嬉しそうにするので、「うん、まあセバスチャンが喜ぶんだから仕方ないよね?」と、そのうち諦めてしまった。

「どなたかしら?」

 まあ、ベルン公爵の姿が王国中で認められ始めた今となっては、飛ぶ鳥を落とす勢いのフェンディス公爵家に先ぶれもなく来ることが出来る人間は、ごく限られている。

「――――セルゲイ様でいらっしゃいます」

「ですよね……。お兄様くらいですよね」

 飛ぶ鳥を落とす勢いのフェンディス公爵家にアポなしで何度も押しかけてくるのは、昔も今もお兄様くらいのものだ。

 次期王位継承者なのに、相変わらず護衛もつけずにお忍びで来てしまうお兄様。
 先日、表情を無にしたアルト様が、後ろからつけてきているのに気がついてしまった。

 目があった瞬間、唇に指を当てて、秘密だとジェスチャーしていたけれど……。

 うちのお兄様が、ご迷惑をおかけしてます。

 今日は、アップルパイは焼いてないのだけれど。

 ――――ガトーショコラでもいいだろうか。
 それとも、ベルン公爵に作ってくれた特製の冷凍庫。そこに、入っているアイスクリームのほうが……。

「うん。アイスクリームは有事の際の交渉材料としてとっておこう」

 私にできるのは、お菓子作りくらいのものだ。
 レシピとともに、出し惜しみするのも仕方がない。

 それにしても、次期王位継承者に指名されてしまって以来、ここ数週間は、忙しすぎて王宮から一歩も外に出られないという噂のお兄様がこの屋敷に来るなんて……。大事件の予感がする。

 私は侍女のアンネを呼び出すと、手早く準備を整える。
 お兄様は忙しい。たぶんそれほどの時間はとれないはず。
 いったい、どんな用件なのかが気になる。

 足早に廊下を進み、お兄様の待つ応接室の扉を開いた。
 そこには、変わらない青い色彩と、優しい微笑みのお兄様がいた。

 いや……。どこか、違和感がある。
 少しだけワイルドな印象というか……。いつも、どこか自信がなさそうなお兄様の印象が、今日は明らかに違う。

 ――――なぜか自信に満ち溢れているように感じる?

「お兄様?」

「久しぶり。セリーヌ、元気そうでよかった」

 元気でしたけど……。なんだかおかしいですお兄様。何がおかしいって、はっきり言えませんけど。

「あの……」

「夢を見たんだ」

 え? 夢ですか。奇遇ですね! 私も見ました、チビもふもふの夢です。
 思わず楽しい会話の花を咲かせようとした私は、次の瞬間のお兄様の言葉を聞いて凍り付いた。

「――――勇者」

「ひっ……。お兄様?」

 私の動揺から、察したのだろう、お兄様は盛大なため息をついた。

「……やっぱり知っていて、俺に黙っていたのか」

「……言いましたよ。お兄様が、信じなかっただけです」

 お兄様が、勇者らしいってことは、言いましたよ。

 さすがに、勇者が魅了の魔法のせいで望まないハーレムを作っていたなんて、言えませんけど。

「――――アイリと顔を合わせづらくなって、目覚めてすぐここに来たんだ」

「ああ……。でも、それも含めてアイリ様はお兄様のそばにいてくれるんだと思いますよ?」

 ――――ところで、どのあたりまで思い出したんでしょう? ハーレムを作って、愛しい幼馴染を裏切るみたいになったことを思い出した割には、落ち着いているような?

 だとすれば、今のは失言だったかもしれない。

 ちなみに私は、話には聞いているけれど、アイリ様みたいに勇者に関する記憶を持っているわけではないのだけれど……。

「……え? アイリも何か知っているのか」

 ほらやっぱりその部分、思い出したわけではないのですね?!

 うわぁ……。交渉上手なお兄様相手に、私がどこまで口を割らずにいられるか。
 新婚夫婦の、ひいては王国の明るい未来が、私にかかっている気がします。

「……あの、ガトーショコラ。いいえっ、新作のアイスクリームというデザートが!」

「……話してくれるよな?」

 お兄様の表情が、宰相候補として、数々の難題を解決していたときの、それになった。

 うわぁぁ……。ベルン公爵は、どうしてこういうときに限っていないんですか。

 余計なことまで話してしまったら、お兄様は間違いなく勇者様みたいに旅に出てしまいそうです。

 固まる私と、逃がしてくれそうもないお兄様。
 次の訪問者が現れるまで、その沈黙は続くのだった。
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