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素直になれたら。

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 お兄様が帰ると、なぜかうろうろと、所在なさげなベルン公爵が私の部屋の前で待っていた。

「あれ。どうしたんですか? アップルパイ食べてなかったんですか?」

「――――帰るのか?」

「え?」

 ベルン公爵の声は心もち低い。
 表情が見えないせいかだんだん不安になっていく。

「帰るって?」

「兄上が迎えに来たんだろう? そのドレスも、宝石も思った通りとてもよく似合う。まさに気高く美しい公爵令嬢だ。その姿を見た人間は、今までのことは何かの間違いだと気づくだろう。それに、野獣の姿の公爵と無理やり婚約させられたのだと気の毒に思う」

 なぜだろう、お兄様に言われても何も感情は動かなかったのに。ベルン公爵に言われるとこんなに傷ついた気持ちになってしまうのは。

「帰った方が良い……」

 私はこれまで、一生懸命やってきた。でも、もしかしたら悪役令嬢を押し付けられたベルン公爵にとっては、日々の穏やかな生活を壊されるような迷惑なものだったのかもしれない。

「あの、迷惑だったでしょうか」

「――――迷惑?」

 ベルン公爵が、動きを止めた。

 でも、私はもう知ってしまっている。ベルン公爵がとても優しい人なんだってこと。
 もちろん、フワフワでフカフカの毛並みに抗えないのは事実だけれど、それ以上に私にとっては、そのやさしさが好ましい。
 こんな言い方をしたら止めてもらえるかもなんて心の底でたぶん思っていることに気がつく。ずるい私。

「あ、今のなしです。ごめんなさい……。すぐ、出ていく準備をしますから」

「え? 何で泣いて?」

 私はベルン公爵の横をすり抜けて、部屋の中に入る。
 仕方がない。私は断罪された悪役令嬢なのだ。迷惑をかけるわけにはいかない。

 ドレスを脱いで、いつものワンピースに着替える。
 宝石を外して、化粧も落として、いつものポニーテールに髪の毛を結い直した。

 私の荷物はほとんどない。
 ベルン公爵がくれたものばかりだから。

 もう一着のワンピースと、エプロンだけは貰っていくことにしよう。
 大丈夫、私の腕ならどんな場所でもハウスキーパーとしてやっていけるに違いない。

 そして、覚悟を決めてドアの外に出る。

 ――――なんで、そんなに小さく膝を丸めて、ドアの横にしゃがみ込んでいるんですか?

「あ……あの?」

「なんで……いつもの格好に戻っている。なんでさっきのドレスのままリオーヌ公爵家に戻らないんだ」

「あの家にはもう戻りませんよ? 勘当された身ですし」

「は……? 帰って来いと兄上のセルゲイ殿に言われていただろう? セバスチャンから聞いた……のに」

 帰れるはずもない。お兄様があんなことを言ってくれたからといって、迷惑がかかるとわかっているのに帰ることなんて。
 それに、乙女ゲームの続きが始まってしまったらと思うと怖くて仕方ない。

「――――じゃあ、どこに行くつもりだったんだ」

 なぜか、怒った様子のベルン公爵。
 こんなことなら、もう少し時間がたってからそっと出ていくんだった。

「私の家事の腕はご存知でしょう? 生活魔法も使えるし、どこでも生きていけますよ」

「――――帰る場所もなく、出て行こうとしていたのか」

「だって、迷惑だったんでしょう?」

「違う!」

 その瞬間、モフモフに体が埋まるみたいに抱きしめられていた。
 私から抱き着くことはあっても、ベルン公爵にこんなふうに抱きしめられるのは初めてだ。

「迷惑なんかじゃない! ただ」

「ただ?」

「あまりにセリーヌが美しいし、兄上が迎えに来たことを知って、野獣といわれる公爵と一緒にいるなんてやっぱり良くないと思ったから」

「――――は?」

 私は、ベルン公爵の体をこぶしでぽかぽかと叩いた。
 たぶん、毛皮に吸収されてしまって威力なんてないだろう。
 それでも、そうせずにはいられない。涙もボロボロこぼれて、つやのある毛並みを濡らしてぺたんこにしていった。

 しばらく、そうやって八つ当たりしながら泣いていた私をベルン公爵は黙って抱きしめていた。

「――――ここに、居たいです」

「――――本当に?」

「ここにいてはだめですか」

「……セリーヌが望むなら」

 ベルン公爵は、いて欲しいとは言ってくれなかった。
 それでも、今は私はそれで満足することに決めた。

 困ったことに私はいつの間にか、この空間が大好きになっていたみたいだ。
 それに、ベルン公爵のこと、その上質な毛並みだけでなく……。好きになっているのだろうと諦め半分認めることにした。
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