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淡い紫の薔薇の庭
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(そろそろ飽きてしまったわ……)
リリアンが甲斐甲斐しくお世話をしてくれる。
「いかがでしょうか、アイリス様」
「ありがとう、リリアン」
髪はゆるくまとめられ、白い部屋着は細いリボンとレースで清楚な印象だ。
頬に張られた絆創膏が少しだけやんちゃ盛りの少年にも見えるけれど、斜面に生えていた枝で擦ってしまっただけだから、私は元気いっぱいだ。
(頬の傷は浅いからすぐに治りそうだけれど、建国祭では手袋をつけなければいけないわね)
爪が剥がれてしまった指先。
痛みはずいぶん軽くなったけれど、完治にはほど遠い。
夕ご飯を終えて、部屋着に着替えた私はベランダへと降り立った。
完治するまで外に出ることは許さないと言われてから早三日。冗談かと思ったのに本当に一歩も外に出してもらえずにいる。
今頃、庭には、晩秋の薔薇が咲きはじめたことだろう。
今日も私の部屋の前には、淡い紫色の薔薇が飾られていた。
(今日は四本だった……本数が少ないなんて珍しい薔薇なのね、きっと)
もしかすると、薔薇を飾るように指示したのは義兄なのではないか。私はそんなことを考えるようになっていた。
「それにしても、まさかお義兄様には私が死んだときの記憶がないなんて」
でも、そんな記憶ないほうがいいに決まっている。思っていたよりもずっと家族思いだった義兄は、きっと自分の魔法で私が死んだなんて知ったら深く傷つくだろう。
「……私だって、家族が傷つく顔なんて見たくない」
ただ、義兄に初めて抱き締められた瞬間を私だけが覚えていることが少しだけ……。
(……あれ? 少しだけ、何だというの)
不思議に思いながら、ベッドに潜り込んだけれどまったく眠くならない。
(夜風に当たりたいけれど、外に出てはいけないと言われているし……)
私はガウンを羽織ると、屋敷内を少し歩くことにした。
二階にある私の部屋を出て、階段を登る。父の執務室は、私の部屋の真上にある。
扉の下の隙間からは、明かりが漏れている。父はきっとまだ仕事をしているに違いない。
(お父様が、今日も生きている……)
本来であれば、今頃この家は父の喪に服していたはずだ。かつての悲しみと今の喜びと、本当に生きているかの不安から無性に父の顔が見たくなって、片方の手でノブを掴む。
扉を叩こうとしたとき、部屋の中から義兄の声が聞こえてきた。
いけないとは思いながら、ついつい聞き耳を立ててしまう。
「婚約をする必要はありません。……アイリスが幸せになれるよう、今度こそ良い兄になろうと思います」
(婚約……。やり直す前、私たちはすでに婚約をしていた。でも、今はそんな話一言も出ていない。お義兄様が断っていたのね)
「そう……君がそう望むなら。けれど、君はその立ち位置に満足できるのかな」
「……」
「いつかアイリスがほかの誰かと婚約し、君以外の人の隣で笑っていたとしても」
「もちろん構いません。俺はアイリスの兄ですから。どうか婚約の話はなかったことにしてください」
去ろうとしたけれど、慌てすぎたのかノブを掴んでいた手に力が加わりギシリと音を立ててしまった。
慌てて手を離したけれど、物音に気がつかれてしまったのだろう。扉が勢いよく開いた。
(どうして私は泣いているんだろう)
無表情だった義兄の眉根がはっきりと寄せられた。
「アイリス……」
私の名を呼んだ義兄の声には、ありありと困惑が浮かんでいる。
私は何も言えずに義兄に背を向け、屋敷から飛び出したのだった。
* * *
薄暗い庭園には、今年も白い薔薇が月明かりに照らされて美しく咲き誇っていた。
薔薇の垣根の合間を縫うように走る。
広大な庭は、迷路のように入り組んでいて、いつしか私は初めて見る場所にいた。
そこには、私の部屋の前に飾られていた淡い紫色の薔薇が植えられていた。
一株だけ大きく育っているけれど、その他の株は小さい。きっと、植えられてそれほど経っていないのだろう。
(ここに……咲いていたのね)
甘くさわやかな香りと、闇の中にほのかに浮かび上がるような美しい色合い。
月明かりに照らされた庭は、幻想的であまりの美しさに少し恐ろしくなるほどだ。
「アイリス」
いつも私の心をすくい上げてくれたその薔薇がとても愛しく思えて、触れようと手を伸ばすと、後ろから声をかけられた。
涙はもう乾いている。
少し目が赤いかもしれないけれど、この暗闇の中ではそこまで見えないだろう。
そう思って、笑顔を浮かべて振り返る直前、義兄は私を背中側から強く抱き締めてきたのだった。
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