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義兄と父の入れ替わり
しおりを挟む勢いよく執務室の扉を開けると、書類作業をしていた父が顔を上げた。
そして驚いたように目を見開いた。
「アイリス! どうした、顔色が悪い……風邪でも引いたか!?」
立ち上がった拍子に、書類の山が崩れてしまったけれど父はお構いなしに私に走り寄ってきた。
「ええ……朝から寒気がして……」
「そうか、ゆっくり休むと良い」
「心細いです……そばにいてほしいです」
父が死んでしまったときのことを思い出せば、涙が勢いよくこぼれ落ちた。
「でも、無理ですよね……国王陛下のご命令で視察に行かなくてはいけないのですもの」
よろけると、父が私の体を支えてくれた。
「――熱はないようだな」
「……お父様」
涙に濡れた瞳で見上げると、父は私のことを横抱きにした。
「きゃ!? 歩けます、お父様!」
「黙っていなさい。今日は部屋でゆっくり休むように。視察はシルヴィスが代わりに行っている。この後どうしても出掛けなくてはいけないが、少し待っていてくれれば、そばにいることもできるだろう」
「――お義兄……様が?」
実際に私の顔色はひどく青ざめていたことだろう。
涙がピタリと止まってしまう。けれど、父に気がつかれてはならないと慌てて胸元に顔をうずめる。
(どういうこと……? 視察に行くのは父で、その先で死んでしまうはずなのに)
「お父様はどちらに出掛けるのですか……」
「ああ、国王陛下からお呼び出しを受けていてね。なに、半日程度で戻れるだろう。それまで、ゆっくりしていなさい」
「わかり……ました」
父は私をベッドに寝かせると、布団を掛けて微笑んだ。
「くれぐれも無理をせずに、ちゃんと休んでいるんだよ」
「我が儘を言ってごめんなさい」
「はは、具合の悪い娘がそばにいてほしいというなら陛下の頼み事だってお断りするさ。いざというときのためのネタはいくらでもある」
「ひぇ?」
「……冗談だ」
一瞬だけ、父の淡い紫色の瞳に剣呑な光が浮かんだ気がした。
父は家族にはとても甘いけれど、最近本格的に参加し始めた社交界では、冷酷で厳格で国王陛下すらおいそれと父を自由にはできないらしいと聞いている。
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父は私の頬をそっと撫で、優しい笑みを浮かべた。
「……君はこの家に来て幸せかい?」
父がなぜか先ほどの義兄と同じようなことを質問してくる。
もちろん、その答えは一つしかないので、私は大きく頷いてから口を開いた。
「もちろんです。とても幸せですわ……お父様」
「そう、それは良かった」
父は少しだけ名残惜しそうにベッドサイドから立ち上がった。
「では、行ってくる」
「行ってらっしゃいませ」
部屋から出て行った父をベッドの中から見送り、私は少しだけ考えを巡らせた。
けれど、結局思い当たる事実は一つしかない。
(確証を得ることができなかったから口にしたことはないけれど、やっぱりお義兄様も前の人生の記憶があるのではないかしら……)
あまりに変わったため、義兄の中が違う人になってしまったのではないかと思ったこともある。
けれど、私と父に対する態度以外義兄が変わった部分は何一つない。以前よりも周囲に認められ、高い地位にいるけれど才能豊かで努力家の義兄は本来これくらい認められていても良かったはずだ。
けれど、まさかやり直しているのかと聞くこともできない。
それに私自身婚約を解消された日の夢を見て以降、やり直し前の夢を見ることもなくなっていた。
毎日過ごすうちに、やり直す前の人生はすべて夢だったのかもしれない、と思うことすらあったのだ。
心臓が激しく音を立てて鼓動を始める。
嫌な予感が全身を支配して鳥肌が立つ。
(どうして考えなかったの……お義兄様がお父様の身代わりになろうとするかもしれないって)
突如脳裏に浮かんだのは、やり直す人生の最期の記憶だ。
唇に落ちてきた雫からは、鉄の味はしなくて、ただ塩辛かった。
そう、まるでたくさんの涙が私の顔に降り注いでいたように。
布団を跳ね上げて勢いよく起き上がる。
ドアを開けると、水差しと薬を持ったリリアンが目を見開いた。
「アイリス様、お加減が悪かったのでは?」
「少し休んだらすっかり治ったわ! ごめんなさい、どうしてもしなくてはいけないことがあるの。少し一人にしてちょうだい。この扉は夕方まで開けないで!」
扉を閉めて、慌てて部屋着を脱ぎ去る。
そして、いざというときのために隠していた簡素なワンピースへと着替えた。
(父の説得が上手くいかなかったときのために、用意をしておいて良かったわ)
いざというときのために渡されていた銀貨一袋。
テラスから庭まではらせん階段で繋がれている。
幸いなことに、庭には人影がない。
私は階段を駆け下りて、家族だけが知っている抜け穴から外へと飛び出したのだった。
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