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セカンドレグ

第39話

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 朝の静けさを破るアラーム音が響く。その拍子にベッドから転げ落ちた僕はよろよろと立ち上がり、部屋着をぬいで制服のシャツに腕を通す。
 濃厚な思い出を刻んだゴールデンウィークも終わりを告げ、今日から再び学校生活が始まる。

 鏡の中の自分は酷く眠そうな顔をしているが、どうにか着替えを完了させた。
 日課としていた早朝ランニングは、高校へ進学してからは忙しくてすっかりご無沙汰だ。そのせいで、少し寝起きが悪くなったみたい。

 リビングへ向かうと、母がすでに朝食を用意してくれていた。もこもこルームウェア姿の妹もおり、食卓でスマホを眺めながら雑穀米を口に運んでいる。 
 僕も自分の椅子に腰をおろし、さっそく「いただきます」と言って箸を持つ。

「あ、醤油とって」

「いいよ、お兄ちゃんのコップ取って? かわいい妹の兎唯がいっぱい注いであげるから一気に飲んでね」

 兎唯ちゃん、コップ一杯のお醤油を飲んだら人は死ぬぞ。
 この妹、昨夜からプンプンなのだ。この兄のお出かけに置いていかれたうえ、お土産のスイーツもなし(買い忘れた)。よって朝から暗殺を謀ろうとしても無理はない。

「ごめんって。今日の帰りにコンビニスイーツ買ってくるからさ、そろそろ機嫌なおしてくれ」

「……ついでに雑誌も買ってきて」

「わかったよ。タイトルは?」

 これ、と妹がスマホを差し出してくる。画面には、とあるティーンズファッション誌が表示されていた。
 僕はふと思う。今どきネットで見られるのに、わざわざ紙媒体の本を買ってくる必要があるのだろうか?

「あるの! この雑誌の場合は、モデルさんの恋愛相談コーナーとかがネットだと見られないんだから!」

「あ、はい。わかりました」

 最近じゃ雑誌もいろいろ工夫しているのだなあ、と。
 呑気に雑穀米を口に運ぼうとして、僕の目はとある文面に釘付けになる。

 妹のスマホにファッション誌が表示されているのは変わらない。しかしタイトルの下の方に、『予想外アピールで気になる相手の関心をゲット!?』と記されていた。青春を強く連想させるワードである。

「兎唯ちゃん……いや、兎唯様。この愚兄、恋愛の作法についておうかがいしたき儀がございます」

「ふむ、申してみよ。天才美少女恋愛アドバイザーたる兎唯様が答えてしんぜよう」

 一瞬でスイッチの入る妹である。ノリがよく、おバカ可愛いと僕の中で評判だ。
 微笑ましい反応に便乗し、朝食を食べ進めながら問いかける。異性に対する予想外アピールとはいったいどのようなもので、効果のほどやいかに。

「ああ、それね。いくつかの心理的要素がブレンドされてるけど、メインは『認知的不協和』による意識の変化ね」

 妹は当然の知識を披露するみたいに語った。
 認知的不協和とは、矛盾した認知や態度が存在するときに抱く不快感を解消しようとする心理的現象である、とのこと。

 興味のない異性から告白されたケースを例とする。この場合、告白された側には『相手は私に好意を持っている』といった新情報が加わり、なおかつ『私は相手を特別に意識していなかった』と認識の間で矛盾が発生する。

「この矛盾を解消するため、いきなり告ってきた相手をつい気にするようになっちゃうの。情報ソースはさっきの雑誌だよ――どんな恋愛の疑問でも答えがみつかる。そう、最近のティーンズファッション誌ならね」

 妹はキメ顔でそう締めくくった。
 なるほど……要は告白すると相手に強く意識してもらえて、上手くいけば恋愛感情に発展する可能性があるってことか。
 それと、最近のティーンズファッション誌って心理学の教本かなにかなの? 

「ともかく、よく理解できたぜ! 近いうち適当に誰か選んで告ってみる!」

「言動がゴミカスだし、やっぱり1ミリも理解できてないみたいだね。さすがおバカ可愛いお兄ちゃん」

 妹の戯言は聞き流しつつも、補足説明はきちんと耳に入れ、朝食を大急ぎで胃に収めて登校準備を整える。
 告白するにしても、まずはターゲットを選ばねばならない。そして僕が異性と接点を持てる場所といえば、学校以外には存在しない。あと頼もしい友に相談もしたい。

 いってきます、と母に告げる。
 返事を聞き終わる前に、僕は家を飛びだした。

 自転車にまたがったら全力でペダルをぶん回し、快晴の通学路を走破する。昇降口でスニーカーを脱ぎ、履き替えたスクールシューズのかかとを踏んだまま1年D組の教室へ駆けこみ、自席でスマホを眺めていたお目当ての人物の元へ向かう。

「おはよう、慎!」

 相手はもちろん、クラスメイトで友人の須藤慎だ。ちょっとびっくりした表情の彼を見据え、僕は呼吸を乱したまま決意を固めた顔で言う。

「僕は近々、告白するつもりだ。それで、相手は誰がいいと思う?」

「おう、え……? オーケー兎和、いったん落ち着こうか」

 ビークール、と慎は下に向けた両手のひらをゆっくり揺らす。
 一方で僕は、すでにターゲットの選定へ思考を切り替えていた。個人的には、加賀さんが第一候補。次いでサッカー部女子マネの小池さんが第二候補。

 というか、まともに口を聞いたことのある女子はその二人しかいない……妹曰く、認知的不協和、改め予想外アピールは、ある程度の関係を構築している相手でないと効果は薄いそうなのだ。
 もっとも親しい異性である美月は、本人から恋愛対象としてみないよう釘を刺されているので除外する。

「そうだ、昼に千紗も交えて相談するってのはどうだ? その方が、きっと兎和にとってもいい結果になる」

「あ、それいいね。ぜひお願いしたい」

 素晴らしい提案をいただき、僕は即座に頷く。
 たしかに女子目線の意見は重要だ。特に加賀さんは、慎の恋人である三浦(千紗)さんの友だちであるワケだし。

 ともあれ、青春に向けて一歩前進して喜んでいた矢先にチャイムが鳴ったので、僕は自分の席につく。それからは昼休みが待ち遠しくて、あまり授業に身が入らなかった。

 ***

「俺さ、学校にいるときつい神園さんのこと探しちゃうんだよね。それで理由を考えたら、恋をしている自分に気づいた。でも、俺たちは出会って間もないじゃん? だからさ、まずは連絡先を交換したいんだ。メッセージアプリのIDとかどう?」

「ごめんなさい。私、スマホ持っていないので」

 二時間目の授業が終わり、次の科目の準備をしていた私、神園美月は、突如1年A組に襲来した上級生男子の呼びだしを受け、廊下の端で告白まがいのセリフを聞かされていた。

 本人は出会って間もないと申告しているけれど、顔を合わせたのは今日が初めて。
 教室を出る前に、『相手は2年生でバレーボール部の先輩だよ』と友人たちが教えてくれた。学内では女子人気が高い男子らしい。

 そんな友人たちは、わりと近い位置からこちらの様子をうかがっている。瞳を輝かせ、色恋沙汰に発展することへの期待を隠そうともしない。

 けれども残念ながら、お望みの展開へは至らないわ。なにせ私は『体よく煙に巻いてお断りするスキル』を発動したところなのだから。
 長年に渡り、異性から頻繁に告白をされ続けてきたせいで開花した能力よ。涼香さんに言わせれば『スキルレベルも高め』なのだとか。

「え、スマホ持ってないってウソっしょ?」

「いえ、本当です。これを見てください」

 証拠として、カーディガンのポケットからキッズスマホを取りだして提示する。
 これは私が小学生の頃、心配性なパ……父から所持を義務付けられたものだ。現在も回線はつながっており、主にGPS機能を目的として利用されている。

 加えて、連絡先を聞かれた際に提示すると大抵の相手は困惑し、高確率で引いてくれるので意外と重宝している。

「あれ、でもこのキッズスマホでもネットは繋がるよね?」

「繋がりません。機能制限されています」

「あ、そうなんだ……じゃあ、スマホ買ったらID教えてよ……」

「検討しておきますね。では次の授業があるので、失礼します」

 波風立てずにお断りできたことに満足し、私は静かにその場を後にした。
 というか、なんで10分休みに来るの? こういうのって普通は放課後とかじゃないの? 

 学業の妨げになるし、いい迷惑だわ――と早足になりかけたとき、カーディガンのポケットでスマホが振動する。もちろん普段使っている方の端末だ。

 画面を確認すると三浦さん、改め千紗ちゃんからメッセージが届いていた。
 先日IDを交換してから名前で呼びあう関係になった相手なので、思わず頬が緩む。足を止め、その場で内容を確認する。

『大変、兎和くんが近いうちに告白するらしいよ! 相手は未定だって!』

 困ったわ……また彼が変なことを思いついたみたいね。
 私と個人的なマネジメント契約を結んだ白石兎和くんは、ユニークな言動が目立つ少年だ。思考ロジックが独特なので発想も突飛なの。

 だから千紗ちゃんには、なにか兎和くんの情報が入ったら教えてください、とお願いしてあった。情報源は、彼女の恋人である須藤慎くんみたいね。

 それにしても、誰が兎和くんに入れ知恵をしているのかしら?
 いくら思考プロセスが独特とはいえ、彼は積極的にアイデアを生み出すタイプではない。ならば自然と、着想の源泉は別にあると考えられる。
 どこのどなたかは存じ上げないけれど、もし顔をあわせる機会があったらキツく言い含めないと。

「あの、それって普通のスマホじゃ……」

 背後から飛んでくる上級生男子の問いかけを聞き流しつつ、私は教室へ戻る。同時に、昼休みになったら兎和くんに会いに行くことを決めた。
 ゴールデンウィークが明けたばかりなのに、早くも賑やかになりそうね。五月病とは無縁で何よりだわ。
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