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ファーストレグ

第36話

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 人生、苦難を乗り越えた後にはご褒美が待っている。
 かつてネットでそんなフレーズを目にしたときは、心の中で『嘘つけ』と罵倒したものだ。が、今日の僕はちょっと違うぞ。

 鏡にうつる自分の姿を見て、思わずニンマリする。
 時刻は、午前9時。現在、お出かけファッションの最終チェック中である――そう、ついにゴールデンウィーク最終日がやってきたのだ。

「兎唯ちゃん、兎唯ちゃん。この服装はどう?」

 リビングにおりて、モコモコ寝間着のままソファでグダグダしている妹にたずねる。
 本日の予定は、まず都内で美月と合流してスペシャルイベント(詳細不明)を堪能し、夕方からは慎たちと吉祥寺でカラオケ。それゆえ、服装には特に気を使わねば。

 他人に『ダサい』なんて言われようものなら、間違いなくテンションだだ下がり。せっかくなら一切の汚点なしに、この日を人生におけるメモリアルデーとして記憶に刻みたい。

「うーん……? そのへんによくいる量産型の男子高校生って感じで、普通だけどそこそこキマってるよぉ」

「あの、兎唯ちゃん? それって褒めているのかな?」

 僕はファッションセンスが皆無らしい……昔、胸にドラゴンと英字がバチバチにプリントされたTシャツを買ったのだが、普通に家族にドン引きされた。

 それ以降、自分ひとりで服を買うのを禁じられている。だから、いま着用している『カジュアルストリート系・ゆったり目コーデ』の私服は、何を隠そう兎唯ちゃんセレクトである。
 けれど、あろうことか量産型だと……!?

「ていうか、お兄ちゃん。めかし込んでどこへお出かけで?」

「今日は予定満載なんだ。これから原宿に行って、夕方からは吉祥寺でカラオケだ」

「え、原宿? カラオケ? 一人で行くのは寂しくない? 兎唯もついていこうか?」

「……いや、友だちと一緒だから。さすがの僕もそこまでぼっち極めてないから」

 この兄をいったい何だと思っているのか……まあ、実際よくお出かけに付き合ってもらっているけれども!

 僕にはずっと、休日に遊ぶような友だちがいなかった。兎唯ちゃんは昔から、そんなダメな兄を心配してくれる健気な妹なのである。たまに飛び出すチクチク言葉にさえ目をつむれば、本当に家族思いで優しい子なのだ。

「ほーん、友だちねぇ。じゃあ兎唯もいく」

「なんでそうなる?」

「だって、お兄ちゃんの友だち気になるし。おフロ入ってくるから待ってて」

 トコトコとお風呂場へ向かう妹を見送る。
 兎唯ちゃんは昔から兄思いの優しい子だ……が、それはそれ、これはこれ。当然ながら置いていきます。
 今度埋め合わせするから許してくれ。あと、お土産にスイーツを買ってくるからな。

「じゃあ、母さん。いってきます」

「はい、いってらっしゃい。思いっきり楽しんできなさい」

 コーデの仕上げにサコッシュを斜め掛けした僕は、母に見送られて家を出た。
 天気は快晴、気温も穏やか。外はこれ以上ないお出かけ日和。

 まずは美月との待ち合わせ場所、原宿の『表参道交差点』へ向かう。現地は目の前の国道をこえればもう『青山』というロケーションで、誰もが知る都内屈指のオシャレスポットだ。

 果たして、どんな素敵イベントが僕を待ち受けているのだろう……とワクワクしながら電車と徒歩で目的地へ向かう。到着したのは、集合時間の10分前だ。
 それから、さらに待つこと5分。

「おはよう、兎和くん。お待たせしちゃった?」

「あ、おはよ……」

 声に反応して振り返り、僕は言葉を失う。
 モダンな街並みを背景に、笑顔の美月が陽光を浴びて立っている――その超絶美少女ぶりは十分すぎるほど承知していたつもりだが、私服のインパクトはちょっと次元が違った。

 彼女はロングスカートに白いトップスを合わせ、薄手のジャケットを羽織っていた。さらにアクセントの効いたハイブランドのショルダーバッグが、その上品なスタイルを一層引き立てている。
 全体的にシンプルな装いながらも、大人の魅力に溢れるコーディネート。生来の気品や美貌までもが、洗練されたファッションセンスを通じてより際立って見えた。

 モデル顔負けというか、もはや比較することすらおこがましく思えてくる。
 実際、周囲を通過する男性の多くが美月に目を奪われていた。きっと芸能人か何かだと勘違いしているのだろう。
 本当に僕と同級生なのか、いよいよもって疑わしくなってくる。

「ぼうっとして、どうしたの?」

「いや、なんかめっちゃ大人っぽいからびっくりして……その、服、すごく似合っている」

「ふふ、ありがとう。兎和くんもよくお似合いよ。けれど、ちょっと意外だったわ。てっきりジャージ姿で現れるかと思っていたのに」

 いったい僕にどんなイメージを抱いているのか……と反論しかけたが、妹の存在しない世界線であればジャージ着用でここに立っていてもおかしくはなかった。
 よく考えると兎唯には、他にも色々と世話になっているような気がしないでもない。

「僕の私服は、妹が選んでくれたものだ。そしてたった今、お土産に高級スイーツを買うことが決定した」

「どんなプロセスを辿ったのか気になるわ……そういえば、兎和くんには妹さんがいたのよね。今度一緒にショピングへいきましょう、とぜひ伝えてちょうだい」

 すっごくいやだ。ちょっと想像するだけでも恐ろしい……美月と兎唯が仲良くなってコンビ結成ともなれば、どんな理不尽な要求だろうが丸め込まれてしまう自信があるぞ、僕は。

 ところで、コンビで思いだしたのだが、今日はクールビューティーにして生粋のニートたる女性の姿が近くに見当たらないな。

「涼香さんは遠慮するって。高校生同士で楽しんできなさい、とか言っていたわ。実際のところは、ソーシャルゲームのイベントで忙しいみたい。『新マップ開放』がどうのと朝からご機嫌だったのよ」

 涼香さんは、美月を車で現地へ送り届け次第そそくさと姿を消したそうだ。
 どこかのゆったりできるカフェあたりで、軽く半日はかかるソシャゲのイベントを消化するつもりらしい。 

「というか、やっぱり今日も美月は車移動なんだな」

「うちのパパ……父が、電車に乗るなってうるさいの。ちょっと心配性なのよね」

「ああ、納得。美月が電車に乗っていたらトラブルしか寄ってこなさそうだ。あと、いま『パパ』って言った?」

「言ってない。でも、電車を避けている女の子って結構多いのよ。うちの高校でも、車通学の生徒は私以外に沢山いるしね」

 基本的に車行動なのは知っていたが、まさか登下校までとは……しかも栄成高校には、他にも車登校の女子生徒が複数存在するようだ。
 僕が仄かな経済格差を感じていると、美月が腕時計をチラッと見て言った。

「それじゃあ、スペシャルイベントの開幕ね! まずはブランチよ」

「あ、確かにお腹すいたな……いや、待ってくれ。僕はかなり好き嫌いが多くて……」

 輝くような笑顔を浮かべ、さっそうと歩き出す美月。
 その横に並びながら、冴えない表情を浮かべる僕。

 行動開始すぐに水を差すような発言をして申し訳ないが、外食は苦手なのだ。自分の体質が『健康食オタク』なせいで、母の手料理以外は大抵口にすることができない。
 その辺の事情については、トラウマ克服トレーニングの最中に通達済みのはずなのだけれど、もしかして忘れてしまったのだろうか?

「もちろん覚えているわ。安心して、兎和くんにも満足してもらえるようなお店をチョイスしたの。きっとお口に合うと思う」

 美月の返答にホッとしながら歩く。
 向かった先は、南青山エリア。大通りを渡ってしばらく進むと閑静な住宅街へたどり着き、その内の一角にお目当ての店舗はひっそりと建っていた。

「厳選されたオーガニック食材を丁寧に調理して提供してくれるカフェレストラン、だそうよ。涼香さんがオススメしてくれたの」

 西洋風の民家を改築した建物のようで、カラフルなモザイクガラスの窓と開放的なテラス席が印象的だった。
 続けて店内に足を踏み入れると、温もりに満ちた木材と清潔感あふれる白い壁が調和した空間が出迎えてくれた。

 柔らかい光が反射して、室内全体を明るく照らしている。テーブルやカウンターは、シンプルながらも質素さを感じさせないデザインだ。
 店員さんに案内された予約席にはクッションが備えつけられており、ゆったり食事ができそうな雰囲気である。

「いや、オシャレ過ぎだろ……」

 席に腰を落ち着けるなり、思わずつぶやく。
 一般の高校生が来るようなお店じゃない。年上の涼香さんに紹介されただけあって、周囲のお客さんはこぞって『大人の休日』といった空気を漂わせている。ハッキリ言って、僕は異物だ。

 一方で正面のイスに腰掛ける美月は、場に馴染むどころか主役級の存在感を放ちつつ、リラックスした様子でメニューを眺めている。その青い瞳の輝きが、いつもより数割増しになっているような気がした。

「兎和くんはどれにする? 迷ってしまうようだったら、今回は私と同じメニューにしましょう」

 高速で首を縦にふった。
 とてもありがたい提案である。メニューを見ても『オーガニックなんちゃらの~』と書かれており、あまりイメージが沸かなかったのだ。

 軽く協議した結果、美月はオーソドックスなランチセットをチョイス。しばらくして実際に届いた料理を観察してみたところ、苦手な食材は使われていなかった。

「あ、美味い」

「ね、とっても美味しいわ。兎和くんも問題なく食べられるようだし、このお店を選んでよかった」

 ランチセットにはメインの蒸し鶏と、新鮮な野菜がふんだんに盛り付けられている。主食は五穀米で、ボリュームも申し分ない。
 母の料理とは素材や味付けが異なるため新鮮に感じられ、あっという間に完食した。少しの時間をおいて美月も食べ終わり、揃って食後のコーヒーをいただく。

「コーヒーも美味い……いい店だ」

「お気に召したようで光栄ね。次回は別のメニューに挑戦しましょう」

 美月の言った『次回』という単語に強く反応してしまう。青春スタンプカードがある限り、スペシャルイベントの開催は続く。逆にトラウマを克服してしまえば、この関係はおしまいになる。
 治ってほしいけれど、治ってほしくない……トラウマに対して肯定的なイメージを抱くのは初めてだ。
 僕は複雑な気分で僕はコーヒーに口をつけた。

「さて、次にいきましょう。ちょっと驚くかもしれないけれど、私の指示に従ってね」

 美月の不穏なセリフを合図に席を立ち、店を後にする。お会計はもちろん折半した。
 続いての目的地も南青山エリアらしく、骨董通り方面へと徒歩で移動する。ややあって足を止めたのは、やたらスタイリッシュなビルの前。

「時間もちょうどいいし、中に入りましょうか」

 腕時計を確認した美月は、目の前のビルに慣れた様子で入っていく。
 僕は困惑しつつも、その背を追って自動ドアをくぐった。さらにエレベーターで二階へ……ここで、覚えのある芳香が漂ってくる。

「もしかして、ヘアサロン……?」

「そう、正解。これから、兎和くんの髪を切ってもらいます」

「え!? こんな高級そうなおしゃれサロンで?」

 美月はニッコリと笑って頷く。
 追加説明によれば、ここは彼女の行きつけのヘアサロンだそうな。しかも担当の美容師さんは業界でも名が知れた方で、数々の賞を獲得しているとのこと。

「いらっしゃいませ、美月ちゃん。ちょっと久しぶりだね」

 店内は明るく、小洒落たヘアケア製品の並ぶ受付カウンターが入口脇に設置されている。そしてその前に立つ洗練された女性が、美月へフランクに声をかけてきた。
 どうやらこの方が、話題にあがった有名美容師さんみたいだ。

「こんにちは、片瀬さん。今日は無理を聞いてくださってありがとうございます」

「いえいえ、美月ちゃんのお願いならいつでも大歓迎だよ。気にしないで」

 有名美容師のお名前は、片瀬さん。
 加えて雑談の流れで判明したのだが、片瀬さんは現在、新規のお客さんを取っていないらしい。有名すぎて、予約だけで手一杯なのだとか。

 今回はお得意様である美月の依頼だから特別に、という話である。
 そんなわけで僕は、ラグジュアリーな設備と大きな鏡が並ぶ店内の奥へと案内された。またも場違い感が強く、恐縮しきりだった。
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